サーラの冒険5 幸せをつかみたい! 山本 弘 ------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)末路《まつろ》 |:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号 (例)「……証明|完了《かんりょう》」 [#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定 (例)[#改ページ] -------------------------------------------------------  目次  1 予兆《よちょう》  2 見覚えのある地図  3 魅惑《みわく》の闇《やみ》  4 大人になるということは  5 いくつかの再会《さいかい》  6 思い出の捨《す》て場所  7 地底へ  8 罠《わな》を抜《ぬ》けて  9 迷宮《めいきゅう》の守護者《しゅごしゃ》  10 夢《ゆめ》の末路《まつろ》  11 サーラの決断《けつだん》  12 夜の翼《つばさ》   あとがき   キャラクター・データ [#改ページ]    1 予兆《よちょう》 「敵襲《てきしゅう》!」  ドワーフの野太い怒鳴《どな》り声に、サーラは一瞬《いっしゅん》で目を覚ました。シーツ代わりにまとっていたキャンバスをはねのけ、荷車に詰《つ》めこまれた穀物袋《こくもつぶくろ》の間から飛び起きる。衣服はもちろん、ハード・レザーの防具《ぼうぐ》も身に着けたまま寝《ね》ていたので、枕元に置いた短剣《タガー》をひっつかめば、即座《そくざ》に戦闘《せんとう》を開始できる態勢《たいせい》だった。  馬車の幌《ほろ》をめくり、外に首を突《つ》き出した。ここは森の中の野営地《やえいち》。月は出ておらず、空き地の中央で燃えている焚《た》き火が唯一《ゆいいつ》の光源《こうげん》だ。早くも剣《けん》と剣がぶつかり合う音があちこちから響《ひび》き、人影《ひとかげ》がいくつも走り回っているのが見えるが、寝惚《ねぼ》けた目では、とっさに状況《じょうきょう》を判断《はんだん》するのは困難《こんなん》だった。 「うわっ!」  サーラはのけぞった。すぐ横の幌に、矢が突き刺さったのだ。あとほんの少し、身を乗り出していたら、首を貫《つらぬ》かれていただろう。 「ぼやぼやすんな!」  そう叫《さけ》びながら、少年の横から黒い風のように飛び出して行ったのは、エルフのミスリルである。彼は戦闘で場数を踏《ふ》んでおり、精霊使《せいれいつか》い特有の暗視能力《あんしのうりょく》もあるので、ざっと周囲を見回しただけで、即座に戦闘の状況を把握《はあく》していた。  サーラがもたついている間に、キャラバンが野営していたこの森の中の空き地は、敵味方の入り乱《みだ》れる戦場と化していた。シルエットからすると、敵はモンスターではなく人間だ。おそらく山賊《さんぞく》の集団《しゅうだん》だろう。馬車一〇台から成るキャラバンに夜襲をかけるのだから、かなりの人数に違《ちが》いない。  ミスリルは敵の矢を避《さ》けて馬車の蔭《かげ》を走りながら、目についた敵に向けて精霊|魔法《まほう》を唱えた。焚き火から炎《ほのお》の矢がほとばしり、次々に山賊たちを直撃《ちょくげき》する。それは人間を一撃で倒《たお》すにはやや威力《いりょく》が弱いが、命中すれば火傷《やけど》を負わせることができるし、敵を浮き足立たせる効果《こうか》もある。案の定、火のついた敵は悲鳴をあげて逃《に》げ出した。  サーラもおっかなびっくり馬車から飛び出した。また矢に狙《ねら》われないよう、円陣《えんじん》を組んだ幌馬車の列に沿って小走りに駆《か》け回って位置を変えながら、自分のやるべきことを見きわめようとする。  少年はもうじき十三|歳《さい》になる。一年前に比べて身長は頭半分ほども伸《の》びたし、手足も少したくましくなった。しかし、童顔《どうがん》にはほとんど変わりがなく、少女のようにさらさらした金髪《きんぱつ》のせいもあって、まだ大人には遠い印象を受ける。起きたばかりで乱れている金髪は、焚き火の明かりを浴びて赤くきらめいている。  買ったばかりの防具はまだ体にしっくり来ておらず、動くたびに違和《いわ》感があった。サーラ自身が貯《た》めた金で、体格《たいかく》に合わせて特注したものだ。胸《むね》を覆《おお》う革《かわ》の板と、同じく革でできた肩当《かたあ》てから構成《こうせい》された単純《たんじゅん》なもので、見るからに軽く、細いダガーや野獣《やじゅう》の爪《つめ》ぐらいならまだしも、剣や斧《おの》に対してはほとんど無力な代物《しろもの》だ。その効果《こうか》を過信《かしん》するほど彼もお人好《ひとよ》しではない。だが、戦闘では紙一重《かみひとえ》の差が生死を分けることもあるので、まったく無意味とは言い切れない。着たまま寝《ね》るのは窮屈《きゅうくつ》だが、ベテランの冒険者《ぼうけんしゃ》であるミスリルの助言に従《したが》い、野外では防具を着たまま寝る習慣《しゅうかん》をつけたのだ。「狼《おおかみ》や山賊どもは、こっちが鎧《よろい》を着るのを待ってちゃくれないからな」というのがミスリルの弁《べん》である。  デルはどこだろう? 彼女は少し離《はな》れた馬車で寝ていたはずだ。心配になってあたりを見回したものの、焚き火の明かりの中、敵味方の人影が激《はげ》しく交錯《こうさく》し、走り回っているこの状況では、特定の人物を見分けるのは困難だった。  とにかく戦闘に加わらなくては——そう思って、サーラは走り回り、手伝えそうなところを探《さが》した。足手まといでいるわけにはいかない。まだ半人前とはいえ、自分も金を貰《もら》って護衛《ごえい》の任務《にんむ》に雇《やと》われた冒険者の一人なのだから。  一台の馬車の向こう側に回りこむと、そこでは一対三の戦いが繰《く》り広げられていた。三人の山賊を相手に奮戦《ふんせん》しているのは、歩哨《ほしょう》をしていたドワーフのメイガスだ。サーラよりも背《せ》が低いが、ドワーフ族特有の屈強《くっきょう》な筋肉《きんにく》の持ち主で、使いこんだ金属鎧《きんぞくよろい》でがっちりと身を固めている。猛々《たけだけ》しい雄叫《おたけ》びをあげながら、自分の背丈《せたけ》の倍近くもある棒状武器《ポールウェポン》をぶんぶんと振《ふ》り回し、三人の敵を寄《よ》せつけない。それはハルバード——長い柄《え》の先端《せんたん》に斧と槍《やり》の穂先《ほさき》が付いた武器《ぶき》で、相手を斬《き》り裂《さ》き、また突くこともできるのだ。三人の山賊の方は傭兵崩《ようへいくず》れといった風体《ふうてい》で、傷《いた》みの激しい革鎧を着ていた。二人は剣を、ひときわ体格の大きい一人は|鎖つき鉄球《モーニング・スター》を持っている。  見たところ、両者は拮抗《きっこう》していた。山賊の側はハルバードの攻撃力《こうげきりょく》を恐《おそ》れて攻《せ》めあぐねているが、メイガスの方もうかつに攻めこめない。ハルバードは威力はあるものの、長すぎて小回りが利《き》かない。一人に斬りかかると、その隙《すき》に他の二人に懐《ふところ》に入りこまれる危険《きけん》があるのだ。  バランスを崩す必要がある。  サーラはダガーにこめられていた魔法を発動させた。ダガーの刃《やいば》が青い光を帯びる。それを胸の前でしっかりと支《ささ》え、こちらに背を向けている大柄《おおがら》な山賊に向かって、全身の力をこめてぶつかっていった。 「イレム、後ろだ!」  仲間に警告《けいこく》され、山賊は驚《おどろ》いて振り返ろうとした。だが、遅《おそ》すぎた。体当たりと同時に、ダガーが男の脇腹《わきばら》、鎧の隙間に抵抗《ていこう》なく突《つ》き刺《さ》さる。  サーラははね返るような動きでダガーを引き抜《ぬ》き、転がりながら飛び離れた。角度が浅かったために致命傷《ちめいしょう》ではなかったが、男に激痛《げきつう》を与《あた》え、動揺《どうよう》させるには充分《じゅうぶん》だった。怒《いか》りの声をあげながら、男がでたらめに振り回したモーニング・スターの鉄球が、ぶんっと空を切る。  バランスが崩れた。メイガスが雄叫びをあげながら、他の二人に向かって突進《とっしん》する。その勢《いきお》いに押《お》され、一人は慌《あわ》てて後ずさった。もう一人が側面から斬りかかってくる。メイガスは身をひねりながら、ハルバードを振り回し、その攻撃をはじき返した。ハルバードの巨大《きょだい》な運動量に耐《た》え切れず、山賊の剣が軽々と吹《ふ》っ飛ぶ。 「うおおおおっ!」  武器を失ったうえ、手がしびれて狼狽《ろうばい》している相手に対して、メイガスは頭上高くからハルバードを振り下ろした。  ずさっ。  不気味な音とともに、男の体は肩から胸まで一直線に斬り裂かれた。  メイガスは即座《そくざ》にハルバードを抜こうとしたが、絶命《ぜつめい》した敵《てき》の肋骨《ろっこつ》に深く食いこんだ刃がひっかかり、難儀《なんぎ》していた。そこにもう一人が側面から斬りかかってくる。メイガスの首を狙《ねら》ったつもりなのだろうが、彼がとっさに身を引いたので、誤《あやま》って胸に当たり、金属鎧にはじき返された。  メイガスはハルバードを手放し、短い角のついた兜《かぶと》でそいつの腹に頭突きを食らわせた。ドワーフの体力は人間離れしている。男は派手《はで》に吹っ飛び、転倒《てんとう》した。メイガスは予備《よび》の武器であるショート・ソードを抜き放ち、男に飛びかかった。二人はもつれ合い、地面をごろごろ転がりながら取っ組み合いを演《えん》じた。  サーラにはその戦闘《せんとう》を見ている余裕《よゆう》はなかった。脇腹を傷《きず》つけられた男が、逆上《ぎょくじょう》して襲《おそ》いかかってきたのだ。反撃など考えなかった。盗賊《とうぞく》ギルドで戦いの訓練を積んだとはいえ、少年には大男と切り結べる力はない。体重も体力も、たぶん倍以上は違《ちが》う。一撃|離脱《りだつ》が唯一《ゆいいつ》の戦法だ。  男は少年に向かって、鉄球をやみくもに振《ふ》り回していた。傷の痛《いた》みのせいか、その攻撃はぎこちない。サーラは軽いフットワークでそれをかわし続けた。トゲのついた鉄球を鎖でつないだモーニング・スターは、威力《いりょく》は大きいものの、スイングが剣よりやや遅《おく》れるので、相手の動きを見きわめればよけるのはたやすい。  相手は怒りと苦痛に我《われ》を忘《わす》れており、隙だらけだった。そこを攻めれば倒《たお》せるかもと、ちらりと考えたが、「自分を過信《かしん》すると命取りになる」というミスリルの言葉が浮かび、考え直した。無理に倒す必要はないのだ。少なくとも一人の敵を自分に引きつけておくだけで、仲間の負担《ふたん》を減《へ》らし、戦いを助けることになる。  敵に気を取られていたため、足許《あしもと》の注意がおろそかになった。後退《こうたい》しようとして木の根につまずき、派手に転倒する。 「小僧《こぞう》!」  男は怒りに顔を歪《ゆが》め、サーラに覆《おお》いかぶさるように襲いかかってきた。サーラはとっさに転がってよけた。一瞬前《いつしゅんきえ》まで頭があった場所に、トゲつき鉄球が勢《いきお》いよくめりこむ。男はうなり声をあげ、サーラの脇腹を力いっぱい蹴飛《けと》ばした。少年の小さな体は吹き飛ばされ、馬車の車輪に叩《たた》きつけられた。革鎧でいくらかやわらげられたとはいえ、かなりの衝撃《しょうげき》だ。  サーラは激痛にうめいた。苦しくて息もできない。車輪に寄りかかり、腹を押さえてうずくまった。視野《しや》の隅《すみ》に、モーニング・スターを高々と振り上げて近づいてくる男のシルエットが見える。逃《に》げなくてはと思うのだが、体が動かない……。  その時、男は見えない何かに蹴り飛ばされたかのように、側面からの強烈《きょうれつ》な打撃を受け、吹き飛ばされた。神聖魔法《しんせいまほう》の一種「フォース」だ。  衝撃が飛んできたのは、樹《き》の蔭《かげ》の暗闇《くらやみ》からだった。と、闇の一部が遊離《ゆうり》して実体を得たかのように、黒ずくめのほっそりした人影《ひとかげ》が飛び出してきた。むき出しの両腕《りょううで》と顔以外、髪《かみ》もシャツもズボンもすべてが漆黒《しっこく》だった。 「デル!」  サーラは少女の名を呼んだ。少女は駆《か》け寄ってきて、サーラを抱《かか》え起こした。歳はサーラよりほんの四か月上。背丈《せたけ》も体格《たいかく》もあまり変わらない。  デルは普段《ふだん》、感情《かんじょう》を顔に表わさない。無口で、表情の変化に乏《とぼ》しいうえ、いつも黒ずくめの女の子らしくない格好《かっこう》を好むので、同じ年頃《としごろ》の子供《こども》たちから気味悪がられている。しかし、サーラの前ではその仮面《かめん》は剥《は》がれ落ち、本当の感情をあらわにする。今、その表情は険《けわ》しく、サーラを深く気づかっているのが分かる。 「……だいじょうぶ?」 「うん」  見ると、男はうめきながら起き上がろうとしていた。手にはまだモーニング・スターを握《にぎ》り締《し》めているし、野獣《やじゅう》のように歯をむき出し、二人を恐《おそ》ろしい眼《め》でにらみつけて、戦闘《せんとう》意欲《いよく》が少しも失《う》せていないところを見せつけている。よく見ると顔は古傷だらけで、多くの修羅場《しゅらば》をくぐり抜《ぬ》けてきた男であることが分かる。  しかし、その表情が虚勢《きょせい》であることは明らかだった。「フォース」を受けた拍子《ひょうし》に脇腹《わきばら》の傷がさらに裂《さ》けたらしく、鎧《よろい》の隙間からだらだらと血を流している。体はすでに限界《げんかい》らしく、上半身はどうにか起こせたものの、地面から膝《ひざ》を離《はな》すことさえできないでいる。 「……とどめを」 「えっ?」  サーラは驚《おどろ》いて振り返った。デルは冷酷《れいこく》な口調で繰り返す。 「とどめを刺《さ》して」  サーラは動揺《どうよう》した。あらためて男に目をやる。理屈《りくつ》で言えば、彼女が正しいことは分かっている。これは訓練ではなく、本物の戦いだ。こいつらは人殺しの山賊《さんぞく》で、殺されてもしかたのない連中だ。しかも命乞《いのちご》いをせず、戦う意志《いし》を放棄《ほうき》しようとしない。とどめを刺すのは正しい。相手は重傷《じゅうしょう》を負っており、息の根を止めるのは子供でもできる。  にもかかわらず、サーラはためらっていた。ミスリルたちのパーティに加わって、そろそろ一年近くになろうとしている。これまで戦いは何度も経験《けいけん》してきた。怪物《かいぶつ》を殺したこともある。冒険者《ぼうけんしゃ》仲間が悪人を倒すのを手伝ったこともある。しかし、この手で人を殺したことはまだない……。  少年の態度《たいど》に業《ごう》を煮《に》やしたのか、デルが一歩進み出た。自分でとどめを刺す気なのだ。サーラは慌《あわ》てて彼女の腕をつかみ、引き戻《もど》した。 「……僕《ぽく》がやる」  小さい声でそう言うと、ダガーを握り締め、瀕死《ひんし》の男にゆっくりと歩み寄った。 「ほう」  男は左手で腹を押さえ、ぜいぜいと苦しそうに息をしながら、近づいてくる少年を不敵《ふてき》ににらみつけた。 「……お前が俺《おれ》に引導《いんどう》を渡《わた》すのか?」  あまり喋《しゃべ》ってくれるな、とサーラは思った。無言や、うなり声だけなら、まだ気は楽だ。相手を野獣か、魂《たましい》のないゾンビのようなものだと思いこむこともできる。しかし、言葉を聞かされると、どうしても相手が人間であることを意識《いしき》してしまう。  まだ十二年しか生きていないとはいえ、サーラにも人生の重みぐらいは分かる。目の前にいるこの男はたぶん、自分の三倍も長く生きているだろう。その間に多くの喜びや悲しみを体験しただろう。生まれた時から悪人だったはずはない。きっと純真《じゅんしん》な子供時代はあっただろうし、恋《こい》に胸《むね》を焦《こ》がしたこともあったかもしれない。こいつの心の奥《おく》には、その頃の楽しい思い出だって残っているはずだ……。  自分はこれから、それを断《た》つのだ。 「……いいだろう」  男は最後の力を振り絞《しぼ》ってどうにか片膝《かたひざ》を立て、モーニング・スターを振りかぶると、血まみれの左手で小さく手招《てまね》きした。 「……来なよ、坊主《ぼうず》」  やるしかない、とサーラは思った。彼は一流の冒険者になるのが夢《ゆめ》だった。正義《せいぎ》のために戦い、弱い人たちを守る英雄《えいゆう》になるのだ。当然、悪党《あくとう》と戦うこともよくあるだろう。冒険者になる以上、いずれ必ず、人を殺さなくてはならないのだ。これが初めてというだけのことではないか……。 「さあ、来い!」男は怒鳴《どな》った。  相手が抵抗《ていこう》の意志を示《しめ》しているのが、せめてもの救いだ。無抵抗の相手を殺すより、いくらか気が楽だ。  サーラは左手でぎゅっと右手首を握り締め、手の震《ふる》えを止めた。(よけいなことを考えるな。戦いに集中しろ)と、自分に言い聞かせる。戦場では、相手への同情は自分の死につながりかねない。  何度か深呼吸《しんこきゅう》し、心の中から雑念《ざつねん》が消えた瞬間《しゅんかん》、サーラは思いきって、相手の攻撃圏内《こうげきけんない》に踏《ふ》みこんだ。男もそれに反応《はんのう》して動く。  しかし、サーラの動きはフェイントだ。さっと横によけると、空を切った鉄球は目標を大きくそれ、地面に深くめりこんだ。男は鎖《くさり》を引いて、鉄球をひきずり戻そうとする。だが、その間にサーラは地面を蹴《け》って側面から男に肉薄《にくはく》し、ダガーをすばやくその首に突《つ》き立てていた。  反撃を警戒《けいかい》し、再《ふたた》び飛び離《はな》れた。しかし、その必要はなかった。男は糸が切れたあやつり人形のように、あっけなく地面に突っ伏《ぷ》し、それっきり動かなくなった。  男の顔面の下の地面に、濡《ぬ》れた暗い染《し》みが静かに広がってゆく。  サーラは力が抜け、地面にぺたんと尻餅《しりもち》をついた。 「サーラ……!」  デルが駆《か》け寄《よ》ってくる。心配そうに肩《かた》にかけられた手を、サーラは払《はら》いのけた。 「いや……平気だよ」  そうつぶやく声は、ひどく平板だった。  いつの間にか、周囲では剣《けん》を打ち合う響《ひび》きがまばらになっていた。戦闘《せんとう》は終わりに近づいているようだ。 「平気だ……」  サーラはそう言いながら、倒《たお》れて動かない男を——自分が生まれて初めて殺した男を、いつまでも見つめていた。 「岩の街」ザーン。  小国ザーンの首都であり、国名と同じ名を持つこの街は、アレクラスト大陸でも珍《めずら》しい半地下都市である。テーブル状《じょう》の巨大《きょだい》な岩山の内部に、四五〇〇人もの市民が生活しているのだ。岩山の内部を網《あみ》の目のように走る立体的な通路に沿って、大小様々な空洞《くうどう》が掘《ほ》られ、住居《じゅうきょ》や店舗《てんぽ》、あるいは作業場として利用されている。近隣諸国《きんりんしょこく》の住民はザーン人を「穴居人《けっきょじん》」と馬鹿《ばか》にするが、実際《じっさい》のザーンは、外観からは想像《そうぞう》もできないほど近代的な街だ。照明は外部の光を鏡で導《みちび》いたり、一部では魔法《まほう》も利用するなど、様々に工夫《くふう》されている。厚《あつ》い岩の壁《かべ》は、外敵《がいてき》に対する最高の防備《ぼうび》であると同時に、夏は陽射《ひざ》しをさえぎり、冬は熱を逃《に》がさず、内部は一年を通して過《す》ごしやすい。  その奥深く、秘密《ひみつ》のベールに包まれた区画が存在《そんざい》する。長年|暮《く》らしている市民でさえ、存在《そんざい》は耳にしていても、正確《せいかく》な場所を知らないことが多い。ここに足を踏《ふ》み入れることが許《ゆる》されている者は、ごく少数なのだ。  ザーン盗賊《とうぞく》ギルドの秘密会議室。  隣国ドレックノールほどではないが、このザーンもまた、盗賊ギルドが大きな権力《けんりょく》を有する国である。アレクラストの他の多くの国と同様、盗賊ギルドは悪《あ》しき存在とは考えられていない。特にこのザーンでは、市民の生活に深く密着し、親しまれてきた。商業ギルドや石工ギルドとも関係が深い。  現国王《げんこくおう》ギャスク五世は、花いじりが趣味《しゅみ》の無能《むのう》な君主で、ギルドの傀儡《かいらい》に近い存在である。ザーン王家を支持《しじ》する国民など、ほとんどいない。この国の経済《けいざい》を牛耳《ぎゅうじ》り、国策《こくさく》を編《あ》み、治安を保《たも》ち、外敵から守っているのは盗賊ギルドなのだ。  この小さく質素《しっそ》な内装《ないそう》の会議室こそが、ザーンの内閣《ないかく》であり、ザーンの未来図はここで描《えが》かれるのである。今回は特に重要な議題であるため、盗賊ギルドだけでなく、魔術師《まじゅつし》ギルドのメンバーも出席していた。 「……というわけで、海賊ギルドが魔獣創造《まじゅうそうぞう》実験の根拠地《こんきょち》を別の場所に移《うつ》したことは、ほぼ確実と見ていいでしょう」  幹部《かんぶ》の一人、ギルドの国外|諜報活動《ちょうほうかつどう》を担当《たんとう》する「コウモリの耳」ベイスンが報告《ほうこく》した。彼は何年も前から、コリア湾《わん》一帯を荒《あ》らし回っている海賊ギルドにスパイを潜入《せんにゅう》させており、その動向を探《さぐ》らせていた。海賊といっても、コリア湾の海賊|集団《しゅうだん》は、小さな国家に匹敵《ひってき》する軍事力を有する組織《そしき》で、「西部諸国《テン・チルドレン》の十一番目の子供《こども》」と呼《よ》ぶ者もいる。ザーンにしてみれば、ドレックノールと並《なら》んで警戒《けいかい》しなければならない勢力《せいりょく》だった。  一年前、ザーンで子供が何人も誘拐《ゆうかい》されるという事件《じけん》があった。それは海賊ギルドのしわざで、ボグラムという魔術師が海賊ギルドから援助《えんじょ》を受け、孤島《ことう》で魔獣創造実験を行なっていたのだった。子供たちはその実験材料として使われるところだったのだ。  キマイラ、マンティコア、ミノタウロス、メデューサなど、現在のアレクラスト大陸には危険《きけん》な魔獣が多数存在する。それらの中には、もともと自然に存在していたものもあるが、古代王国時代の魔術師たちの忌《い》まわしい生命|操作技術《そうさぎじゅつ》によって誕生《たんじょう》したものも多いとされている。その技術は古代王国|崩壊《ほうかい》とともに失われていたが、近年になってその秘密があちこちの古代|遺跡《いせき》で再発見《さいはっけん》され、禁断《きんだん》の実験に手を染《そ》める者が現《あら》われていた。ボグラムもその一人だった。しかし、六人組の冒険者《ぼうけんしゃ》の活躍《かつやく》によって、子供は救出され、ボグラムの研究も潰《つい》えたと考えられていた。  報告を受け、テーブルを囲んでいる幹部たちは、不安げに顔を見合わせた。 「ボグラムは死んだのではなかったのか?」 「いや、弟のエフレムは『空飛ぶ船』が落ちて死んだらしいが、ボグラムの生死は確認《かくにん》されていない」 「生きていたのか、他の者が引き継《つ》いだのかは不明です」とベイスン。「しかし、海賊ギルドの『七|英雄《えいゆう》』の一人、『ルビーアイ』キースが計画を積極的に進めているのは間違《まちが》いありません。子供を素材《そざい》に用いようとしているのは、人間型の魔獣の創造を目指しているからでしょう。もっとも、今のところ、研究はドレックノールの『|闇の庭《ガーデン・オブ・ダークネス》』より大きく遅《おく》れているようですが」 「『闇の庭』か……」  幹部の一人が、その名を憎々《にくにく》しげにつぶやいた。それは十数年前、ドレックノールの盗賊ギルドのギルドマスター、「地下王」ドルコンの指示《しじ》によって誕生した秘密機関で、現在はドルコンの息子《むすこ》、「西部諸国一|危険《きけん》な男」と呼ばれるジェノアによって運営《うんえい》されている。優秀《ゆうしゅう》な魔術師、薬剤師《やくざいし》、賢者《けんじゃ》らを集め、人間を改造したり、人間に似《に》た魔獣や魔法生物を創造するという計画で、すでにいくつかの成功例があると噂《うわさ》されているものの、実態《じったい》は謎《なぞ》に包まれている。ベイスンも探りを入れてはいるが、「闇《やみ》の王子」ジェノアのガードは予想以上に固かった。 「キースめ、ジェノアに対抗《たいこう》しているつもりか」  ギルドマスター、「虎《とら》の涙《なみだ》」ダルシュは不機嫌《ふきげん》そうに言った。彼は今年で六一|歳《さい》。盗賊ギルドを三〇年も支配《しはい》してきた、いわばザーンの実質《じっしつ》的な最高|権力者《けんりよくしゃ》だ。その二つ名の示《しめ》す通り、殺人や卑劣《ひれつ》な手段《しゅだん》をいとわぬ冷酷《れいこく》な人物であると同時に、部下や一般《いっぱん》市民に対する人情《にんじょう》に厚《あつ》く、多くの者に慕《した》われている。  今の彼にとって最大の敵はジェノアである。ザーンに対して見えない魔手を伸《の》ばしてくる彼に対して、強い憎しみと警戒心を抱《いだ》いていたが、同時に、彼の謀略《ぼうりゃく》にかける才能、悪魔的な手腕《しゅわん》、徹底《てってい》した冷酷さには、同じ謀略の世界で生きてきた者として、一種の畏敬《いけい》の念を抱いていた。それに比べれば小者でしかないキースが、こざかしくもジェノアのものまねをしているのが許《ゆる》せないのだ。 「海賊《かいぞく》ギルドだけではありません」ベイスンは注意をうながした。「秘密《ひみつ》結社『死神《しにがみ》』はすでに『|花の子供たち《フラワー・チルドレン》』というアルラウネ変異体《へんいたい》を生み出しているという情報《じょうほう》もあります。また先日、プロミジーの盗賊ギルドが、プロミジーとタイデルの中間にあるデルヴァの森で、古代の魔獣創造|施設《しせつ》を手に入れようとしたそうです。幸い、『|夜を壊す者《ナイトブレイカーズ》』という冒険者によって施設は破壊《はかい》され、未遂《みすい》に終わったそうですが……」 「今の流行は魔獣創造か?」  ダルシュの横に座《すわ》っていたアルド・シータが、不細工な顔でせせら笑った。|人食い鬼《オーガー》のようなごつい体格《たいかく》で、白い歯をむきだして笑うと、ぞっとするような迫力《はくりょく》がある。しかし、その容姿《ようし》とは裏腹《うらはら》に心優《こころやさ》しい男で、ギルドの教育係として若《わか》い後輩《こうはい》たちの育成に力を住いでいる。ダルシュもこの男に大きな信頼《しんらい》を寄《よ》せていた。 「冗談《じょうだん》ではないぞ、アルド」  そう言ってたしなめたのは、ザーン魔術師《まじゅつし》ギルドのギルドマスター、ヴリル・ウォーカットだ。この初老の魔術師は、魔法|理論《りろん》に関する知識《ちしき》は豊富《ほうふ》だが、ギルドに閉《と》じこもりきりであるせいか、頭でっかちで偏屈《へんくつ》だという定評《ていひょう》がある。 「海賊、ドレックノール、『死神』、プロミジー……西部諸国内のいくつもの勢力が、古代の魔獣創造の秘法を復活《ふっかつ》させようと企《たくら》んでいるのは確《たし》かなのだからな」 「ほう?」ダルシュはにやりと意地悪そうに笑った。「だから我《われ》らも流行に乗れと言うのか? ギャラントゥスの迷宮《めいきゅう》を探《さが》させていたのは、そのためか?」  ヴリルの表情がこわばるのが、誰《だれ》の目にもはっきりと分かった。居《い》ずまいを正し、わざとらしく咳払《せきばら》いをする。 「か、隠《かく》していたわけではない。報告を忘《わす》れていただけだ……」  見えすいた言い訳《わけ》だった。ヴリルは一年も前から、盗賊ギルドにも秘密で、魔術師ギルドのメンバーを西部諸国のあちこちに差し向け、ある迷宮の捜索《そうさく》を行なわせていたのだ。それはとっくにダルシュにばれているばかりか、すでにこの席に着いている全員が知っている。彼はダルシュの情報|収集力《しゅうしゅうりょく》を見くびっていたのだ。ダルシュがこの背信行為《はいしんこうい》を強く糾弾《きゅうだん》しなかったのは、魔術師ギルドとの関係を悪化したくなかったことと、ヴリルの野望があまりにも幼稚《ようち》すぎて、警戒《けいかい》するには当たらないと判断《はんだん》したからだ。 「これは純粋《じゅんすい》に学術《がくじゅつ》的な興味《きょうみ》で……」 「言い訳は必要ない」ダルシュは冷たく言い放った。「わしの目の黒いうちは、魔術師ギルドに独断専行《どくだんせんこう》はさせん」  初老の魔術師は、はた目にも哀《あわ》れなほどしょんぼりとなった。 「しかし、ダルシュ」ベイスンが割《わ》って入った。「一理ある考え方ではないでしょうか。ドレックノールや海賊ギルドに対抗するためには……」 「却下《きゃっか》だ」ダルシュはぴしゃりと言った。「魔獣創造など論外だ」 「どうしてです?」 「第一に、技術《ぎじゅつ》的な問題だ。この国の魔術師ギルドの水準《すいじゅん》は、悲しいかな、ドレックノールやベルダインに比べれば貧弱《ひんじゃく》だ」  ヴリルが不愉快《ふゆかい》そうな表情を浮《う》かべるのを無視《むし》して、ダルシュは話し続けた。 「第二に、すでに大きく水を開けられている以上、今から資金《しきん》や労力を投入したところで、ドレックノールに追いつけんのは明白だ。我々《われわれ》の規模《きぼ》や財力《ざいりょく》が、ドレックノールにはるかに劣《おと》ることを忘《わす》れるな。それを魔獣創造に振《ふ》り向けるのは、徒労であるばかりか、我々の力を削《そ》ぐだけの自殺行為だ。わしの見るところ、海賊ギルドもプロミジーも、その罠《わな》にはまっている。  第三に、それは恐怖《きょうふ》を増大《ぞうだい》させる。合わせ鏡のようなものだ。お互《たが》いに危険《きけん》な力を持ち合い、相手が持っている大きな力を目にして恐怖し、その恐怖から逃《のが》れようと、さらに大きな力を求める。それが繰《く》り返され、際限《さいげん》がない……」  ダルシュは静かにかぶりを振った。 「いや、だめだな。そんな泥沼《どろぬま》に、一歩を踏《ふ》み出すわけにはいかん」 「しかし……」 「ああ、もちろん対抗|手段《しゅだん》は必要だ。海賊なりドレックノールなりが、魔獣を差し向けてきた場合の対策《たいさく》は立てておくべきだ。あるいは、こちらから先に妨害《ぼうがい》を仕掛《しか》けて、奴《やつ》らの企《たくら》みを潰《つぶ》すことも考えねばならん。そのためには、魔獣創造に関する情報がもっと欲《ほ》しい」  ベイスンは安堵《あんど》とも失望ともつかぬため息をついた。 「それはもちろん」 「それと、古代王国の実験|施設《しせつ》や、魔獣創造に関する資料がまだどこかに眠《ねむ》っているなら、見つけ出して闇《やみ》に葬《ほうむ》る必要がある。技術がこれ以上|拡散《かくさん》すると厄介《やっかい》だ」 「同感です」  ダルシュはヴリルに顔を向けた。 「ボグラムはどこで資料を手に入れた?」 「ベルダインとガルガライスの間、ガドシュ半島にある砦《とりで》のようです。いちおう、我々も探索《たんさく》しましたが、すでに重要なものは持ち去られていました」 「まだ発見されていない施設は?」 「古代の文献《ぶんけん》には、魔獣創造実験を行なっていたとされる魔術師《まじゅつし》や賢者《けんじゃ》の名が何人も記されています。ガドシュ砦にいた女魔術師ヴァルゲニアもその一人です。他《ほか》にも、いまだ実験施設の発見されていないのは、シリース、マイアラ……そしてギャラントゥス」 「ギャラントゥス……」アルドが顎《あご》を撫《な》でた。「聞いたことがあるな。確《たし》か伝説の勇者に退治《たいじ》された邪悪《じゃあく》な魔術師じゃなかったか? おとぎ話に出てきたと思うが」 「おとぎ話ではない」自分の研究成果を茶化《ちゃか》されたと思いこみ、ヴリルは露骨《ろこつ》に顔をしかめた。「ギャラントゥスの実在《じつざい》は文献によって証明《しょうめい》されている。その研究施設もどこかにあるはずなのだ」 「どこかとは?」  ヴリルはばつが悪くなって、顔をそむけた。「このザーンから遠くない土地……ということしか」  アルドは苦笑《くしょう》した。「雲をつかむような話だな」 「しかし、探《さが》す価値《かち》はある」 「そのギャラントゥスの研究は、なぜ重要性《じゅうようせい》が高いのだ?」とダルシュ。 「他の者とは異《こと》なる方法を研究していたからです」  ヴリルはそう言って、会議の資料として持ってきた古い書物のページをめくった。目的のページを開き、ダルシュに向けて押《お》しやる。 「これです」 「ふむ?」  ダルシュはそれを見下ろし、顔をしかめた。紙は時代を経《ヘ》てひどく変色している。どうやら古代の魔術師が残した覚え書のようなものらしい。子供《こども》のいたずらのような乱《みだ》れた筆跡《ひっせき》で、ところどころかすれており、古代語を学んだことのあるダルシュにも判読しにくいものばかりだ。 「ギャラントゥスの構想《こうそう》を弟子《でし》が書き留《と》めたものです。その男は研究が完成する前に、その覚え書だけを持って、師匠《ししょう》の元から逐電《ちくでん》しました。ギャラントゥスのやろうとしていることに恐《おそ》れをなしたのでしょう」 「何だ?」 「その次のページを」  ヴリルに言われて、ダルシュはページをめくった。そこには字だけではなく、絵が描《えが》かれていた。これもまた子供の落書きのような稚拙《ちせつ》な絵だ。 「それがギャラントゥスの構想です」  その瞬間《しゅんかん》、テーブルを囲んでいた者たちは、めったに見ることのできないものを目にした。  ダルシュが狼狽《ろうばい》している。  彼の顔から冷静さが消えていた。目を見開き、稚拙な絵を見下ろして、口をぽかんと開けている。老いた顔から血の気が引き、恐怖に襲《おそ》われているのは明らかだった。その大げさな反応《はんのう》は、絵を見せたヴリルにも予想外のことだった。 「ダルシュ? どうされました?」  ベイスンが心配になって声をかけた。 「夢《ゆめ》ではなかった……」ダルシュは震《ふる》える声でつぶやいた。「あれはやはり、夢ではなかったのだ……」 [#改ページ]    2 見覚えのある地図  ザーンの内部はいくつもの階層《かいそう》、いくつもの区画に分かれている。東側の第二階層から第四階層を斜《なな》めに貫《つらぬ》く、長いだらだらした坂道を登りきったところに、「月の坂道」亭《てい》はある。店の前の通路にある大きな明かり取りの窓《まど》から、夜になると月が眺《なが》められることから、この名がつけられた。  ここはいわゆる「冒険者《ぼうけんしゃ》の店」だ。冒険者たちの宿であると同時に、貴重《きちょう》な情報交換《じょうほうこうかん》の場でもあり、そして何より憩《いこ》いの場である。その一階は酒場になっており、毎夜、十数人の男女がたむろしている。みんな命がけの宝探《たからさが》しや怪物《かいぶつ》退治を生業《なりわい》とする荒《あら》くれ者たちだ。いつもは酒を飲んで歌ったり口諭《こうろん》したり夜遅《よるおそ》くまで騒《さわ》がしいのだが、今夜は少し様子が違《ちが》った。彼らはテーブルのひとつを取り囲み、きゅうくつそうに顔を寄せ合って、酒とも賭け事とも財宝《ざいほう》の噂《うわさ》とも違う話題に夢中《むちゅう》になっていた。 「うわあ、かわいいわねえ」 「へえ、目元がデインにそっくりだ」 「男の子だって? 将来《しょうらい》は冒険者か?」  みんなの注目を集めているのは、母親の腕《うで》に抱《だ》かれた、生後|一月《ひとつき》にもならない小さな赤ん坊《ぼう》だった。新生児《しんせいじ》特有の、満月のようなふくよかな顔つき。くりくりした黒い眼《め》で、自分を覗《のぞ》きこんでいる男女の顔を見上げ、不思議そうにしている。 「それにしてもレグ、その格好《かっこう》は似合《にあ》ってねえなあ!」 「ほっとけ!」  赤ん坊を抱いている若《わか》い母親は、幸福そうにはにかみ、揶揄《やゆ》を笑い飛ばした。  レグディアナは南の国、ガルガライス出身の女戦士だ。これまで数えきれないほどの冒険を重ね、怪物《かいぶつ》や野獣を屠《ほふ》ってきた。男勝《おとこまさ》りのたくましい体格《たいかく》と、浅黒い肌《はだ》。顔には大きな刀傷《かたなきず》がある。喋《しゃべ》り方や物腰《ものごし》も、ちっとも女らしくない。口が悪く、喧嘩《けんか》っ早いのでも有名だ。  そんな彼女が赤ん坊を抱いてにこにこしているのだから、「似合わない」と言われるのも無理はない。 「名前はシイムだったっけ?」 「デインもいよいよ責任《せきにん》重大だな」 「俺《おれ》はレグに母親が務《つと》まるかどうかより、デインに父親が務まるかどうかの方が不安だがなあ」  デインはどう答えていいか分からず、「いや、そんなことは……」とどぎまぎしている。新妻《にいづま》と違って実直な性格《せいかく》なので、からかいの言葉をまともに受け止めてしまうのだ。  ハンサムで頭も切れる好青年デインは、この街のチャ=ザ神殿《しんでん》の神官長の息子《むすこ》だ。レグやミスリルたちのパーティのリーダー格である。もっとも、冒険者をやっていたのはあくまで父の後を継《つ》いで立派《りっぱ》な神官になるための修行《しゅぎよう》、一種の社会勉強のはずだった。  ところが今年のはじめにレグを妊娠《にんしん》させてしまったもので、人生の軌道《きどう》がすっかり狂《くる》ってしまった。案の定、父親に結婚《けっこん》を猛反対《もうはんたい》された挙句《あげく》に勘当《かんどう》され、今では下町に居《きょ》を構《かま》えるしがない一冒険者である。  当たり前の話だが、冒険者という職業《しょくぎよう》と、育児を両立させるのは難《むずか》しい。冒険の旅に赤ん坊を連れて歩くのは言語|道断《どうだん》だが、誰かに預《あず》けるのも不安だ。今までは自分の生命だけを心配していればよかったが、これからは幼《おさな》い子供《こども》を孤児《こじ》にしてしまうかもしれない危険《きけん》も背負《せお》わなくてはならない。何かと金もかかるだろう。二人の前途《ぜんと》は多難《たなん》である。  もっとも、本人たちはあまりそのことを苦にしている様子はない。むしろ生まれたばかりの我《わ》が子に夢中で、他のことは目に入らないようだ。彼らを取り囲む連中にしても、口は悪いものの、冒険者仲間から幸せなカップルが生まれたことを喜び、心から祝福《しゅくふく》していた。 「本当に幸せそうね」  しみじみとそうつぶやいたのは、少し離《はな》れた席に座《すわ》っていた女魔術師《おんなまじゅつし》のフェニックスだった。デインとレグの共通の友人である彼女は、赤ん坊が生まれた直後から何度も目にしている。わざわざ人垣《ひとがき》に割《わ》って入ってまで見ようとは思わなかった。  フェニックスはハーフエルフである。ほっそりとした体格で、赤い髪《かみ》を長く垂《た》らし、いつもおしゃれに気を遣《つか》う。冒険者らしからぬ穏《おだ》やかな物腰《ものごし》の美女だ。あらゆる点でレグと正反対だった。 「お前さんも子供が欲《ほ》しくなったか?」  そう言ってからかったのは、向かいに座ってビールを酌《く》み交《か》わしているミスリルだ。エルフ族だが、ダークエルフの血が半分|混《ま》じっている彼は、黒い肌をしている。そのせいでよく好奇《こうき》や嫌悪《けんお》の視線《しせん》で見られ、迫害《はくがい》も受ける。サーラやフェニックスたち冒険者仲間は、何のこだわりもなく話し合える、数少ない友人だった。 「まさか」フェニックスはくすっと笑った。「まだそんな気はないわ」 「そんな気になったら、いつでも話に乗ってやるぜ」 「よしてよ、そんな下品な冗談《じょうだん》——だいたい、あなたこそ、父親になる覚悟《かくご》なんてあるの?」 「うーむ、そう言われるとな」ミスリルは真面目《まじめ》くさった顔になった。「俺の性格からすると、ガキができたなんて聞かされたら、とっとと逃《に》げ出すだろうな」 「それ見なさい」 「だからデインは立派だって言うんだ。逃げずにちゃんと責任を取りやがったものな」 「当たり前じゃない。世の中の父親の大半はそうよ。あなたの方が世間の常識《じょうしき》からはずれてるんだわ」  ミスリルは肩《かた》をすくめた。「ま、それは生まれた時から身に染《し》みてるがな」 「ごめんなさい。そういう意味じゃ……」 「いいって、気にすんな」  そう言いながらミスリルは、ふと苦笑した。フェニックスたちとつき合うようになって、いったい何百回「いいって、気にすんな」と言っただろうか。肌の色をめぐるわだかまりは、まったくないというわけではなく、何日かに一度、ふとしたはずみで顔を出してしまう。それはデインやフェニックスたちのせいというより、自分が心の底でこだわりを捨《す》てきれないせいではないかと思う。 「悔《くや》しいが、俺にはまだ『家族』なんて重荷を背負《せお》う覚悟がない」ミスリルは急に真剣《しんけん》な口調になった。「俺の親父《おやじ》は、周囲の反対を押し切って、ダークエルフの女と結婚した。エルフ族の不倶戴天《ふぐたいてん》の敵《てき》とだ。デインも親に反対されたが、俺の親父の前に立ちふさがった壁《かべ》ときたら、そんなものとは比《くら》べものにならなかったに違《ちが》いない。俺は親父の生き方を誇《ほこ》りに思ってるが、いまだに親父の足許《あしもと》にも及《およ》ばない……」  彼は言葉を切り、ぐいっとビールをあおった。 「……ある意味、デインが羨《うらや》ましい。あいつは確《たし》かに俺より立派な野郎《やろう》だ」 「もしかして、落ちこんでる?」 「まさかな」ミスリルは笑った。「人生はこれからだ。あれができない、これができないって、落ちこむにゃ早すぎる」 「確かにね」 「ただ、人生ってのはみんな違う。俺は決してデインみたいになれないし、デインも俺みたいになれないよ——それだけのことさ」  ミスリルは肩をすくめ、この話題を打ち切った。 「それより、俺としちゃあ、あいつの方を心配すべきだと思うんだが」  彼は声をひそめ、親指でこっそりと、店の隅《すみ》のテーブルを指した。  人の輪から離れ、サーラがぽつんと座っていた。赤ん坊には興味《きょうみ》がない様子で、とっくに空になったジュースのカップをもてあそび、何か考えこんでいる。陽気《ようき》な喧騒《けんそう》に満ちた店内で、そこだけが別の空間のように感じられる。 「まだ立ち直れないの?」 「ああ」ミスリルはため息をついた。「あれから四日も経《た》ってるってのに、まだああなんだ」 「慰《なぐさ》めてあげた?」 「考えつくかぎりの言葉を並《なら》べたぞ。『気にすんな』『当然の報《むく》いだ』『すぐに忘《わす》れる』『誰《だれ》でも通る道だ』『しっかりしろ』……」ミスリルはそう言いながら、指を折っていった。「だが、あまり効果《こうか》ないみたいだ」 「分かるわ。私だって、初めて人を殺した時は、けっこうショックだったもの——あなたは?」 「俺? 俺は人殺しなんてしたことないぜ」 「とぼけないで」  フェニックスはちょっときつい口調になった。ミスリルが物取りや恨《うら》みで人を殺したことがないのは知っているが、ならずもの相手の戦闘《せんとう》では、数えきれないほど殺している。その戦い方には、まったく容赦《ようしゃ》がない。いっしょに何年も冒険《ぼうけん》をしてきて、それは何度も見てきた。 「初めての時、どう感じた? 震《ふる》えた? 怖《こわ》くなった?」 「さあどうだったっけ。忘れたな。初めての女なら覚えてるが」  フェニックスはあきれて、笑いながらかぶりを振《ふ》った。「あなたってほんと、鈍感《どんかん》ね。それじゃサーラの気持ちなんて分からないでしょ?」 「いや、あいつの方が繊細《せんさい》すぎるんじゃないか」ミスリルはちょっと眉《まゆ》をひそめた。「もしかして、あいつ、冒険者には向いてないのかもな」 「優《やさ》しすぎるから?」 「ああ。敵《てき》を倒《たお》すたびにいちいち落ちこんでたら、そのうち自分の心に押《お》し潰《つぶ》されるぞ」 「でも、私たち全員、あの子に冒険者の素質《そしつ》があると見こんだから、あの子を仲間にしたんじゃないの?」  昨年の夏、ミスリルたち四人は、財宝《ざいほう》が眠《ねむ》る地下|迷宮《めいきゅう》があるという情報《じょうほう》を聞きつけ、ザーンから遠く離《はな》れたハドリー村に出かけた。そこで怪物《かいぶつ》キマイラを退治《たいじ》する仕事を引き受けたのだが、その際《さい》、案内役を買って出たのが村に住む少年サーラだった。最初は彼の存在《そんざい》をうとんじていた一行だったが、地下での冒険で、サーラに人並《ひとな》みはずれた勇気や決断《けつだん》力があることに気づいた。彼らは「英雄《えいゆう》になりたい」というサーラの夢を叶《かな》えてやるため、ザーンに来て冒険者になるよう勧《すす》めたのだ。 「その通りだ。だから俺たちは、あいつの人生に責任《せきにん》がある」  ミスリルの表情《ひょうじょう》はいつになくきびしかった。 「もし、あきらめさせるなら、早い方がいい」 「おう、坊主《ぼうず》、しけてるなあ!」  どやしつけられるような大声で呼《よ》びかけられ、サーラはびくっとして顔を上げた。メイガスが顔よりも大きなジョッキを持って、向かいの席に腰《こし》を下ろすところだった。  このドワーフは半年前に仲間になったばかりだ。以前はデインをリーダーに、レグ、ミスリル、フェニックス、それにサーラでパーティを組んでいた。ところがレグが身重《みおも》になって一時的に戦えなくなったもので、戦力の補充《ほじゅう》が必要になった。そこで <月の坂道> をふらりと訪《おとず》れたメイガスに声をかけ、仲間に加えたのだ。  豊《ゆた》かな髭《ひげ》に覆《おお》われた顔は精悍《せいかん》だが、近くで見ると肌《はだ》は荒《あ》れており、小さなしわが目立つ。恥ずかしがって自分の歳《とし》を明かそうとはしないが、長寿《ちょうじゅ》のドワーフ族の中でさえ高齢《こうれい》の部類ではないかと思われた。ずっと東方の国に生まれ、若《わか》い頃《ころ》から多くの土地を渡《わた》り歩いて冒険を重ねてきたとかで、戦いの経験《けいけん》も豊富《ほうふ》、頼《たよ》りになる戦力だった。デインはレグが復帰《ふっき》してもメイガスといっしょに冒険がしたいと考えているようだ。 「まだこの前のことでくよくよしてんのか? え?」 「うん……」サーラは小さくうなずいた。 「お前さんがあのでかい奴《やつ》を引き受けてくれたおかげで、俺は助かった。感謝《かんしゃ》してるんだぜ」 「うん……」  サーラはこのドワーフを嫌《きら》いではなかった。多少|気難《きむずか》しいところがあり、最初はとっつきにくく感じたが、いったん打ち解《と》ければ気さくに話せる相手だ。夜営《やえい》の際など、彼の冒険談を聞くのは楽しかった。  だが、今日は話をする気分ではない。 「あんな野郎《やろう》に同情なんかするこたあない。どうせ食い詰《つ》めて山賊《さんぞく》に鞍替《くらが》えした傭兵《ようへい》だろう。これまで旅の人間を何十人も殺してきたに違《ちが》いねえ。当人だって、戦いで死ぬ覚悟《かくご》ぐらいできてただろうさ」  メイガスはそこまで喋《しゃべ》って、ジョッキを勢《いきお》いよく傾《かたむ》け、ビールを一気に半分ほど咽喉《のど》に流しこんだ。髭《ひげ》が泡《あわ》まみれになる。 「俺たちだって同じさ。冒険者なんて稼業《かぎょう》を選んだ以上、迷宮で罠《わな》にかかって死のうが、怪物に食われようが、誰かの剣《けん》にばっさりやられようが、文句《もんく》は言えねえ。それが俺たちの選んだ生き方だからな。殺した奴を恨《うら》むのは筋違《すじちが》いってもんだ。山賊だってそうだろう。あいつは殺されることを覚悟《かくご》してた。お前を恨《うら》んでなんか——」 「もういいよ」ドワーフのお喋《しゃべ》りを、サーラはうるさそうにさえぎった。「そんなの、もう何度もミスリルに聞かされたよ」 「ほう?」 「……分かってるんだよ、僕《ぼく》だって」サーラは指を組み、うつむいた。「理屈《りくつ》は正しいよ。悪い奴は殺されて当然だ、冒険者《ぼうけんしゃ》は戦うのが仕事だ、いちいち殺した相手のことを気にかけてなんていられない……頭では分かってるんだ。でも——」 「納得《なっとく》できないか?」 「……うん」  メイガスは口からビールの泡を飛ばし、がはははと豪快《ごうかい》に笑い出した。 「お前って奴あまだ純真《じゅんしん》だな、サーラ!」  サーラは顔を赤らめた。「純真で悪い?」 「普通《ふつう》は悪くねえ。しかし、冒険者は純真じゃやっていけねえぞ。『正々堂々とした戦い』だの『慈悲《じひ》の心』だの、きれいごとを言ってたら、命がいくつあっても足りやしねえ。時には卑劣《ひれつ》に、時には冷酷《れいこく》に、自分が生き残ることを最優先《さいゆうせん》に考える。それが冒険者ってもんだ——デインたちにそう教わらなかったか?」 「……教わった」 「だったらそれを実践《じっせん》しろ。本気で冒険者になりたいならな」  メイガスはまたひと口、ビールをすすってから、一転して静かな口調で言った。 「こんな説教をするのも、お前さんに親しみを覚えてるからさ。放《ほう》っておけねえんだよな。若《わか》い頃《ころ》の自分を見てるみたいでよ」  サーラは驚《おどろ》いた。「メイガスも僕みたいだった?」 「ああ、そうさ」メイガスは笑って胸《むね》を張《は》った。「俺にだって、希望に燃える少年時代はあったさ——似合《にあ》わねえか?」 「うん、まあ……」サーラは困惑《こんわく》した。髭面《ひげづら》のドワーフの少年時代など、想像《そうぞう》がつかない。 「まあ、とにかく、俺にも夢《ゆめ》があったのさ」 「どんな?」 「英雄《えいゆう》になりたかった」メイガスは懐《なつ》かしそうに眼《め》を細めた。「歴史に残る大物。吟遊詩人《ぎんゆうしじん》の歌になって、後世まで語り継《つ》がれるような野郎さ。でかい怪物《かいぶつ》を退治《たいじ》するか、どこかの国の危機を救うか、あるいは目ん玉の飛び出るようなすごいお宝《たから》を見つけるか……とにかく、そんな奴になりたかった」 「へえ……」自分とは似ても似つかぬドワーフが、自分と同じ夢を抱《いだ》いていたと知り、サーラは意外に思った。 「だがな……」メイガスの口調は急に元気を失った。「そんな夢を抱いていられるのは、若い頃だけだ。いくら戦いの腕《うで》を磨《みが》いたって、それだけじゃ英雄になれねえ。英雄になれるのはほんの一握《ひとにぎ》りで、それには運が必要なんだ。俺にはそれがなかった。世界を渡《わた》り歩いたが、強い怪物にも、国の危機にも、すごいお宝にも、めぐり合えなかった。どこに行っても出くわすのは、すぐに忘《わす》れ去られるようなちゃちな事件《じけん》、生きていくのにかつかつの仕事ばかりだ。  それでも若い頃は『まだやれる』『いつか英雄になれる』と思ってた。だが、人生もなかばを過《す》ぎちまったら、そんな風に自分をごまかすのも限界《げんかい》だ。いくらがんばったところで、英雄にはなれねえって悟《さと》っちまった。おそらくこれから死ぬまで、けちな儲《もう》け仕事を探《さが》してほっつき歩くだけの人生だろうよ。俺は決して吟遊詩人の歌にはならねえし、俺の名が語り継がれることもねえ。死んだらそれっきり、誰からも忘れ去られる……」 「そんな……そんなことはないよ!」  サーラは思わず声を上げた。メイガスを慰《なぐさ》めたくなったのはもちろんだが、それよりも、彼の言葉で自分の人生まで否定《ひてい》されたように感じられたからだ。 「メイガスだってまだ英雄になれる機会はあるよ!」 「さあ、どうかな?」メイガスは自嘲《じちょう》の笑《え》みを浮《う》かべた。「俺はな、サーラ、どうも英雄が俺の役じゃないって気がするんだ」 「役って?」 「芝居《しばい》の役さ。この世界が大きな芝居だと考えてみろよ。目に見えない筋書きがあって、それは世界が生まれた時から決まってる。『運命』とも言うな。どこかに主役が——つまり英雄や偉人《いじん》になる運命の奴《やつ》がいる。世界はそいつら一握りの連中を引き立たせるためにある。俺たちは舞台の端《はし》に突《つ》っ立ってるだけの名もない端役《はやく》、『その他《た》大勢《おおぜい》』の一人にすぎない……」  その考えに少年がショックを受けた様子なのを見て、メイガスは慌《あわ》てて言った。 「いや、これはあくまで俺の考えさ。もしかしたら、お前は主役になれるのかもしれねえ。お前はまだ若いし、これから何があるかなんて分からねえしな」 「そんな考え方は嫌いだよ——運命が最初から決まってるなんて考え方は」サーラは食ってかかった。「それじゃあ、人がどんなに努力したって意味ないじゃない!」 「お前は運命を信じないのか?」 「信じない」  サーラが迷《まよ》わずに即答《そくとう》したので、メイガスはまた笑った。 「そこがお前の若さだな。運命を信じない強さが——あいにくと、俺はもうそんなものはすり切れちまったな」 「じゃあ、メイガスは今、何を目的にして生きているの?」 「目的? そんなものはねえ。若い頃から冒険者をやってきて、他《ほか》にやることがねえ。だからだらだらと続けてる。昔の夢の名残《なごり》をひきずってな」 「夢の名残?」 「ああ、自分が世界の主役に——いや、主役でなくてもせめて主役の相手役ぐらいにはなれるだろうって夢をな。もう叶《かな》う機会もないだろうと思ってるのに、未練たらしく捨《す》てきれねえ……おう、そうだ」  メイガスはいつも大事に腰《こし》に提《さ》げている革《かわ》のバッグをごそごそと探《さぐ》り、くしゃくしゃに折り畳《たた》まれた古い羊皮紙を二|枚《まい》取り出した。 「見せてやろう」 「何なの?」 「俺の夢さ」メイガスは恥《は》ずかしそうに言った。「ずいぶん昔、オーファンで、ある男から博打《ばくち》のカタで手に入れた。とてつもない宝物《たからもの》が眠《ねむ》ってる地下|迷宮《めいきゅう》の地図だ」 「とてつもない宝物?」サーラは興味《きょうみ》をそそられた。  メイガスは一枚の地図をとんとんと指で叩《たた》いた。大きな広間の中央に、黒い丸印が描《えが》かれている。 「『力の宝珠《オーブ》』——真っ黒い玉だそうだ」 「それがどうしてとてつもないの?」 「持ち主に大きな力を与《あた》えると言われてる」 「どんな力?」 「詳《くわ》しいことは俺も知らねえ。とにかく、古代のすげえ魔術師《まじゅつし》が創造《そうぞう》した宝《たから》だそうだ。手に入れれば一財産《ひとざいさん》になる代物《しろもの》らしい。俺はそれを二〇年以上も探《さが》してきた」 「どこにあるの?」 「それが分からねえ」メイガスは苦笑《くしょう》した。「俺が手に入れたのは、この二枚の図面だけだ。本物だという保証《ほしょう》もねえ。冒険者にインチキな情報《じょうほう》を売りつける奴はいくらでもいるからな。世界のどこかにあるとしても、手がかりが何もねえ。世界は広い。悔《くや》しいが、俺の一生のうちにめぐり合える可能性《かのうせい》はほとんどねえだろうな」 「ふーん……」  サーラは二枚の図面を見比《みくら》べた。よく見ると、黒い丸のある大広間が描かれた地図は、もうひとつの地図の右端《みぎはし》の一部を拡大《かくだい》したものであることが分かる。 「これが迷宮? 入り口は?」 「この右下にある丸い部屋のようだな。古代語でうっすらと『入り口』と書いてある。もうひとつ、地下の川から入るルートもあるようだ。ここの滝《たき》のところから、洞窟《どうくつ》がこう横に延《の》びていて……」  その地図を眺《なが》めているうち、サーラは突然《とつぜん》、奇妙《きみょう》な感覚に襲《おそ》われた。 (まさか、そんな……?)  信じられなかった。自分の早とちりかと思った。だって、そんなものすごい偶然《ぐうぜん》があってたまるものか……。  しかし、いくら見直しても、自分の記憶《きおく》との相違点《そういてん》は見つからない。細かい部分まで完璧《かんぺき》に一致《いっち》している。疑惑《ぎわく》は急速に確信《かくしん》に変わった。 「メイガス!」 「何だ?」ドワーフは顔を上げた。 「僕、ここ知ってる!」  サーラは他人に聞かれるのを警戒《けいかい》して声をひそめたが、口調はひどく興奮《こうふん》していた。 「これは僕の育った村——ハドリー村の近くにある洞窟だ!」 [#改ページ]    3 魅惑《みわく》の闇《やみ》  他の冒険者が何か重大な情報《じょうほう》をつかんだことに気づいても、それについてあからさまに詮索《せんさく》しないのが、冒険者の間に自然に生まれた礼儀《れいぎ》である。「何を探してるんだ」「どこへ行くんだ」などとしつこく訊《たず》ねるのは、お宝の横取りを狙《ねら》っているように思われ、相手に不快《ふかい》感と不信感を与《あた》えるからだ。  だから、興奮した様子のサーラから耳打ちされたデインが、何気ない口調で「すまない、ちょっと大事な話があるんだ」と言って、仲間をぞろぞろと連れて階段《かいだん》を上がって行っても、他の客は黙《だま》って見送るだけだった。ははあ、とピンときて、顔を見合わせた者たちはいたが、意味ありげな笑《え》みを交《か》わすだけで、デインたちがどんな儲《もう》け話を嗅《か》ぎつけたのかを話題にすることはない。冒険者というやつはたいてい夢《ゆめ》が大きく、プライドが高い。自分はしけた仕事しかなくても、他人の成功をやっかむようなことを口にするのは格好《かっこう》の悪いことなのだ。運も成功も自分でつかむものだ。他人が何を探していようとかまうものか。俺たちは俺たちのお宝を見つけるだけさ……。  これまで半年間もいっしょにいながら、メイガスが宝の地図を持っていることをデインたちが知らなかったのも、デインたちがそんなことを訊ねなかったからだ。メイガスの方でもデインたちを信用しておらず、地図を見せようとはしなかった。サーラがメイガスと打ち解《と》けたからこそ、両者の持っていた情報がひとつになったのである。 「なるほどなあ……」  ここはミスリルとサーラが寝泊《ねとま》りしている部屋。デイン、フェニックス、ミスリル、サーラの四人は、頭を寄せ合って、小さなテーブルの上に広げられた地図を覗《のぞ》きこんでいた。メイガスはテーブルに肘《ひじ》をつき、小さな眼《め》を期待に輝《かがや》かせ、彼らを見上げている。レグは部屋の隅《すみ》で、赤ん坊《ぼう》にお乳《ちち》をやっていた。 「確《たし》かにこいつは、あの洞窟だな」ミスリルが黒く細い指を地図の上に走らせる。「俺たちはこの地底の川を歩いてさかのぼったんだ。この地図では太く描かれてるが、俺たちが入った時は水位が下がってた。で、この滝が流れ落ちてる小さな湖みたいなところから、洞窟を東に進んで、ここでキマイラに出会った……」 「その先は?」メイガスは急《せ》かした。 「行ってない」とデイン。「キマイラを倒《たお》すのに全力を使ってしまったし、サーラもいっしょにいたから、先には進めなかった。まだどんな危険《きけん》な罠《わな》があるか分からなかったし、僕《ぼく》たちが村人から依頼《いらい》されたのはキマイラ退治《たいじ》だからな。いったんキマイラの首を村に持って帰って報酬《ほうしゅう》を手に入れてから、もう一度、奥《おく》の方を探索《たんさく》してみようと思っていた……」 「なぜ行かなかった?」 「洞窟《どうくつ》に棲《す》んでいたコボルドどもが、ここの——」と言って、地底湖を指さす。「堰《せき》を壊《こわ》したんだ。それで川が急に増水《ぞうすい》した。危《あや》うく溺《おぼ》れそうになったが、ミスリルの精霊魔法《せいれいまほう》のおかげで助かった」 「おかげであたしゃ、鎧《よろい》をなくしちまったよ」レグがぼやく。 「その堰はもともと、コボルドのゾンビが造《つく》っていたものだった。キマイラが殺したコボルドをゾンビにして、操《あやつ》っていたらしい。外に出るために川の水位を下げようとしたんだな。それが壊れたんで水位が元に戻《もど》った……」 「その川は舟《ふね》か何かでさかのぼれないのか?」  デインは苦笑した。「それなら僕たちがとっくに行ってるよ」 「そりゃそうか」 「流れは速いし、水位は天井《てんじょう》近くまである。長さもけっこうある。他の出入り口も分からない。しかたなく僕たちは、お宝をあきらめたんだ」 「他《ほか》にこの話を知ってる奴《やつ》は?」 「僕たちより先に洞窟に入っていた冒険者《ぼうけんしゃ》がいた。たぶん、狙いは同じだろう。四人ともキマイラに殺されて、暗黒魔法でゾンビにされてたが」  デインの言葉で嫌《いや》な光景を思い出してしまい、サーラはぞくっとなった。歩く死体などというものを見たのは、あれが生まれて初めてだった。 「そいつらも川を歩いて入ったのか?」 「いや、別の入り口からだろう——たぶん、こっちだ」  デインが指差したのは、地図の左半分、地底湖から左方向に延《の》びた通路だった。しかし、通路は地図の端《はし》で切れていて、入り口らしきものは描《えが》かれていない。 「僕たちが探索した時は、湖の水位が上がっていて、水がこっちに流れ出していた。しかし、普段《ふだん》は水は流れていないはずだ」  メイガスは不審《ふしん》そうだった。「こっちの右下にある入り口じゃねえのか?」 「そこは閉ざされてる。開けるのは無理だ」 「なぜ分かる?」 「外から開くような扉《とびら》なら、内からも開くはずだ。キマイラはそこから出てきていたさ。わざわざ川の水位を下げる必要はなかった。それにサーラの話じゃ、このあたりに地下|迷宮《めいきゅう》の入り口らしいものはない——そうだったな、サーラ?」 「うん」サーラはうなずいた。 「たぶん、その入り口は崖崩《がけくず》れか何かで埋もれてるんだと思う」 「この左側の道から入れるってのか? 理由は?」 「僕はずっと考えてたんだ。この地方のコボルドは何十年も前、人間の迫害《はくがい》を逃《のが》れて地下に棲みついたらしい。とすれば、コボルドの通れる入り口がどこかにあったはずだ。キマイラがそこを通れなかったのは——」 「図体《ずうたい》がでかかったから」 「その通り。でも、四人の冒険者が入れたからには、人間やドワーフも入れるはずだ」 「しかし、かんじんのその入り口の場所が分からねえだろ?」 「手がかりはある——これだ」デインが指さしたのは、地図の左上隅に描かれた建物の絵だった。丘《おか》の上に建っているらしく、その下の斜面《しゃめん》には墓標《ぼひょう》のようなものがいくつも描かれている。 「この絵が描かれていた頃《ころ》——今から何百年も前には、この建物はまだ建っていた。でも、今は崩れて……」 「�半月の丘�の廃墟《はいきょ》だね!」サーラが嬉《うれ》しそうに声を上げる。「それに、丘の南の斜面にある白い岩!」  サーラの脳裏《のうり》に記憶《きおく》が鮮《あざ》やかによみがえった。�半月の丘�はハドリー村の子供《こども》たちがよく遊び場にしている場所だ。頂上《ちょうじょう》には崩れ去った大昔の遺跡《いせき》がある。南の斜面は雑草《ざっそう》に覆《おお》われ、たくさんの白い石灰岩《せっかいがん》が墓石《はかいし》のように突《つ》き出していて、かくれんぼには絶好《ぜっこう》の場所だった。 「そしてここ」  デインはある一点を指さした。左に延びた通路から分岐《ぶんき》した細い道の一本が、上へ延びている。道はすぐに途切《とぎ》れていたが、その先に、縫《ぬ》い目のような細いギザギザの線が描かれていた。見落としそうになるほど小さく、うっかりすると地図についた古い傷《きず》と勘違《かんちが》いしてしまいそうだ。斜めに延びたギザギザの上端《じょうたん》は、四個の石が四角形に並《なら》んだ地点に通じていた。 「このギザギザは、おそらく階段《かいだん》だろう。この四個の石の中心に入り口があるんだと思う」 「そんなの、見覚えないよ」 「だから埋もれてるのさ。コボルドたちが内側からふさいだのかもしれないな。人間に見つからないようにな。僕たちはこれを見つけられなかった……」 「ということは」メイガスは明らかに興奮《こうふん》していた。「この四つの石が並んでるところを掘《ば》ればいいわけだな?」 「掘る必要もないぜ」とミスリル。「場所さえ分かれば、俺《おれ》の精霊魔法《せいれいまほう》で穴《あな》を開けられる」 「できるのか?」  メイガスの疑《うたが》わしげな口調に、ミスリルは少しむっとした。 「俺だって精霊魔法の腕《うで》は磨《みが》いてるつもりだがな」 「掘れる深さはどれぐらいだ?」 「そう……この部屋の床《ゆか》から天井《てんじょう》までの五倍、というところかな」  メイガスはうなった。 「ということは、障害《しょうがい》になるのはコボルドだけか……」 「まあ、キマイラが他に何匹《なんびき》もいたら別だがな」  メイガスは黙《だま》りこんで、しばらく何か考えていたが、やがて顔を上げ、デインたちを探《さぐ》るような目でにらみつけた。 「で、あんたらはどこまで知ってる?」 「どこまでと言うと?」 「率直《そっちょく》に話そうじゃねえか。隠《かく》し事はなしだ。『力の宝珠《オーブ》』について、どれぐらいのことを知ってる?」  デインとミスリルは、ちらっと視線《しせん》を交《か》わした。ミスリルが表情《ひょうじょう》で(言っちまえ)と指示《しじ》する。デインは言った。 「正直、ぜんぜん知らない。その名を耳にするのも初めてだ。僕たちが聞いた噂《うわさ》は、ハドリー村の近くに古代の魔術師《まじゅつし》が造《つく》った地下迷宮があるらしいってことと、それを探《さが》しに行った冒険者《ぼうけんしゃ》が帰ってこなかったってことぐらいだ」 「そんな不確《ふたし》かな情報《じょうほう》で探しに行ったのか?」 「不確かでも、一発当たれば大きい。まだ荒《あ》らされていない迷宮なら、お宝《たから》があるに違《ちが》いないからな」  古代王国時代の魔術師の中には、敵《てき》に襲《おそ》われたり、秘密《ひみつ》が露見《ろけん》するのを恐《おそ》れ、地下の施設《しせつ》でひそかに研究を行なっていた者が少なくない。そうした施設は侵入者《しんにゅうしゃ》を防《ふせ》ぐために故意《こい》に複雑《ふくざつ》な構造《こうぞう》をしており、幾重《いくえ》もの扉《とびら》や様々な罠《わな》、ガーゴイルやゴーレムやスケルトン・ウォリアーなどの疲《つか》れを知らぬ衛兵《えいへい》で守られていた。古代王国の崩壊《ほうかい》とともに、地上の建造物《けんぞうぶつ》の多くは破壊《はかい》され、あるいは風雨によって崩れ去ったが、地下迷宮には数百年後も原形をとどめているものが多い。  無論《むろん》、そうした場所で発見される宝石類《ほうせきるい》や美術品《ぴじゅつひん》、古文書《こもんじょ》、魔晶石《ましょうせき》なども、大きな価値《かち》がある。しかし、何と言っても冒険者たちが狙《ねら》うのは、古代王国時代の高度な魔法|技術《ぎじゅつ》の結晶だ。魔法のかかった剣《けん》や防具《ぼうぐ》、雷撃《らいげき》を放つ杖《つえ》、空を飛べるマント、遠く離《はな》れた場所を見ることのできる水晶球——多くの魔法技術が失われてしまった現在《げんざい》では、それらは途方《とほう》もない価値を持つのだ。 「こっちこそ訊《たず》ねたいわ」それまであまり発言しなかったフェニックスが口を開いた。「その『力のオーブ』って何なの?」  メイガスは気まずそうに顔をしかめた。「ああ……実は俺も詳《くわ》しいことは知らねえんだ。ただ、その名の通り、持ち主に力を与《あた》える玉だって話だ」 「権力《けんりょく》? それとも魔力?」 「肉体的な力だ。それを手にした者は、普通《ふつう》の人間の何倍もの力が出せるようになるそうだ」 「魔術師が肉体を強化する研究?」フェニックスは疑《うたが》わしげだった。「あまり聞いたことがないわね」  一般《いっぱん》に魔術師は肉体労働を嫌うものだ。剣にも魔法にも秀《ひい》でた魔法戦士と呼ばれる者もいることはいるが、たいていの魔術師は、肉体を鍛《きた》えたり剣の腕を磨くよりも、魔法の技術を上げることを好む。それは現代でも、古代王国時代でも同じはずだ。 「だから言っただろう。俺だって詳しくは知らねえんだ」 「正体が何にしても」デインは地図に描《えが》かれた黒い丸印を見てつぶやいた。「古代王国時代の最高の魔法技術だとしたら、たいした金になるのは確かだ……」 「赤ん坊《ぼう》のおしめ代ぐらい出そう?」レグが茶化《ちゃか》した。 「ああ、おしめが一〇万|枚《まい》は買えるぞ」  そう言ってから、デインはメイガスに視線を戻《もど》した。 「僕たちに秘密を明かしたってことは、売った儲《もう》けは全員で山分けってことでいいのかな?」 「売る?」サーラは驚《おどろ》いた。「売っちゃうの、その玉?」 「まあ、魔術師ギルドの鑑定《かんてい》しだいだがな」  古代王国時代の魔法技術は貴重《きちょう》なものではあるが、どんなものでもすぐに金になるというわけではない。遠見の水晶球のような便利な品なら、すぐに買い手はつく。厄介《やっかい》なのは、使われている技術が高度でも、使い道のあまりない代物《しろもの》だ。触《ふ》れた者を動物に変える彫像《ちょうぞう》、身につけた者の性格《せいかく》を変える装飾品《そうしょくひん》、魔獣《まじゅう》を封《ふう》じこめた壷《つぼ》——そういうものは、なかなか買い手が見つからないことが多いし、魔術師ギルドも引き取るのに難色《なんしょく》を示《しめ》す。遺失《いしつ》魔法の研究をしている裕福《ゆうふく》な魔術師が欲《ほ》しがるぐらいだ。  だが、サーラが気にかけているのは、そんなことではなかった。 「でも、メイガスはその宝物《たからもの》を手に入れるのが夢《ゆめ》だったんでしょ?」  パーティの人数で山分けとなると、メイガスの取り分は少なくなる。彼が何十年も探《さが》し求めてきた宝を横取りするようで、サーラは嫌《いや》な感じがした。 「しかたねえだろ」メイガスはやや不満そうに肩《かた》をすくめた。「どうもお宝は一個しかねえらしいし、山分けするには、金に替えるしかねえわな」 「それでいいの?」 「まあ、本当は全部欲しいところだが、そうもいくまい。みんなの協力がなきゃあ、迷宮《めいきゅう》を探索《たんさく》するどころか、地下に入ることさえできそうにねえからな。それに……」 「それに?」  メイガスは恥《は》ずかしそうに笑った。「考えてみりゃあ、俺にとっちゃ、お宝の価値《かち》そのものより、お宝を見つけることの方が大事なような気もする——長年の夢が叶《かな》うってことの方が」  そう言われると、サーラもそれ以上、何も言えなかった。 「よし、決まったな」  デインは明るい口調で、サーラの肩《かた》をぽんと叩《たた》いた。 「どうだ、サーラ? 久《ひさ》しぶりに故郷に帰るか?」 「う……うん」  サーラがうなずくのに、二秒ほどの迷《まよ》いがあった。 「というわけで、ハドリー村に帰ることになったんだ」  翌日《よくじつ》、サーラはデルにいきさつを話した。  二人はザーンの外壁《がいへき》から突《つ》き出たテラスのような場所に、並《なら》んで腰《こし》かけていた。視界《しかい》いっぱいに、雲ひとつない青空が広がっている。岩棚《いわだな》の端《はし》から垂《た》らされた四本の細い足の下は、目もくらむほどの急な斜面《しゃめん》で、そのはるか下に広がる森の樹々《きぎ》は、地面にへばりついている苔《こけ》のように見えた。手すりも何もなく、落ちたら命はない。だが、二人ともしょっちゅうここに来ているのですっかり慣《な》れてしまい、恐《おそ》ろしさは感じなかった。むしろ足の下に何もないという落ち着かない感覚が、現世を離れて空に浮《う》かんでいるような印象を生じさせ、心地良《ここちよ》かった。  ここは彼らがいつも使っている秘密《ひみつ》の逢引《あいびき》の場所だ。元は岩山の外壁の一部を削《けず》って造《つく》られた階段《かいだん》だったのだが、ずいぶん前に一部が崩落《ほうらく》して通行|不能《ふのう》になったため、今では誰《だれ》も近づかない。その存在《そんざい》を知る者すらほとんどいなかった。だから若《わか》い恋人《こいびと》たちは、誰に気兼《きが》ねすることなく、愛を語り合うことができる。  南のコリア湾《わん》から吹《ふ》き寄《よ》せてくる風が、岩の壁《かべ》にぶつかって斜面《しゃめん》に沿《そ》ってゆるやかに吹き上がり、サーラの蜂蜜色《はちみついろ》の髪《かみ》とデルの闇色《やみいろ》の髪を揺《ゆ》らす。西部諸国の南に位置するザーンの気候は、火の精霊力《せいれいりょく》が強いために比較《ひかく》的|温暖《おんだん》で、冬でも雪の降《ふ》る日は少ない。それでもさすがに一〇月のなかばともなると、風に冷たいものが混じりはじめていた。 「まあ、家出してこの街に来て、ちょうど一年だものね。いっぺん里帰りして、みんなに元気な顔を見せるのもいいかも」  言葉とは裏腹《うらはら》に、サーラの口調には乗り気でない雰囲気《ふんいき》が漂《ただよ》っていた。それに気づいているのかいないのか、デルは少年の肩に頭を預《あず》け、風にかき消されそうな小さな声でつぶやいた。 「楽しみだわ。あなたの育った村……」 「そんなにいいところじゃないよ。話しただろ?」  デルが無口なので、二人きりの時には、必然的にサーラが喋《しゃべ》ることが多くなる。これまでのたくさんの逢瀬《おうせ》で、少年は自分の生《お》い立ちを何もかも話し尽《つ》くしていた。母親は村にふらりとやって来た吟遊詩人《ぎんゆうしじん》に誘惑《ゆうわく》され、駆《か》け落ちしたこと。しかし、すぐに男に捨《す》てられ、赤ん坊《ぼう》のサーラを抱《だ》いて村に舞《ま》い戻《もど》ってきたこと。その母は四年前に死に、村長である頑固《がんこ》な祖父《そふ》の家で育てられたこと……。 「それでも見てみたい。あなたのこと、もっと知りたいもの……」 「どうかな。がっかりするかもしれないよ」  サーラはつまらなそうに言うと、近くに落ちていた小さな石のかけらを遠くに放《ほう》り投げた。石はたちまち空にまざれ、見えなくなった。 「どうして?」 「村にいた頃《ころ》の僕《ぼく》を知ったら、僕を嫌いになるかもしれない。昔の僕は弱虫で、喧嘩《けんか》も弱かった。いつも馬鹿《ばか》にされて、いじめられてたし、家でも厄介者《やっかいもの》扱《あつか》いされてた……」 「今はそうじゃないわ」デルはそっと、少年の二の腕《うで》に手をやった。「今のあなたは、一年前よりずっと強い……」 「まあ、あの頃は君にこてんぱんにされてたからなあ」  サーラは小さく笑った。デルも恥ずかしそうに微笑《ほほえ》む。盗賊《とうぞく》ギルドの訓練所に入った最初の日、サーラは先輩《せんぱい》のデルと模擬戦闘《もぎせんとう》をやらされた。だが、格闘術《かくちょうじゅつ》の基本《きほん》も知らない悲しさ、九回やって九回とも数秒で完敗した。その後、少しは上達し、二本に一本ぐらいは取れるようになったものの、デルもまた腕を上げているので、まだ凌駕《りょうが》するまでには至《いた》っていない。 「でも、自分ではあまり強くなった気がしない」サーラは自分の手を見つめ、自嘲《じちょう》の笑《え》みを浮かべた。「僕はまだまだ半人前だ。戦いや鍵開《かぎあ》けの腕前もそうだけど、勇気とか、心の強さが……」  悪人を一人殺したぐらいで落ちこむようじゃな、と心の中でつけ加える。 「そんなことない。あなたは見違《みちが》えるぐらい変わったわ」 「そうかなあ……」  デルに褒《ほ》められても、サーラはやはり気が重かった。本音を言えば、村に帰るのが嫌《いや》でたまらない。ザーンに来てからの毎日は楽しいが、ハドリー村には不愉快《ふゆかい》な思い出しかない。またガキ大将《だいしょう》に名前のことでからかわれたり、祖父に叱《しか》られたりするかと思うと、憂鬱《ゆううつ》にもなろうというものだ。 「お祖父《じい》さん、やっぱり怒《おこ》ってるかなあ……」 「お祖父さんに手紙は?」 「二度出した。去年の暮れに一通、今年の春に一通。村に行く行商人に頼《たの》んで持って行ってもらったけど、届《とど》いたかどうか……返事がないから分かんないや」 「何を書いたの?」 「冒険者《ぼうけんしゃ》になりました。まだ新米だけど、何とかやってます。この街の人はみんないい人たちです。心配しないでください……そんなとこかな」 「私のことは?」  デルのかすかにとがめるような口調に、サーラはたじろいだ。 「いや、だって……そんなこと書けないよ」 「どうして?」 「恋人《こいびと》ができました、なんて書いたら、それこそ……」 「それこそ?」  サーラは取り繕《つくろ》う言葉を探《さが》した。「……嘘《うそ》だと思われる」  デルが困惑《こんわく》し、今にも泣き出しそうな、あるいは怒り出しそうな複雑《ふくざつ》な表情《ひょうじょう》になったので、サーラはさらに狼狽《ろうばい》した。 「いや、つまりさ、お祖父さんも村のみんなも、僕をまだ子供《こども》だと思ってると思うんだ。そりゃ実際《じっさい》、子供なんだし——だから君のことを書いても、突拍子《とっぴょうし》もなくて、信じてもらえないんじゃないかと思ったんだ。そうしたら手紙に書いた他のことも、みんな嘘だと思われるんじゃないかって……」  不意に、デルの顔から困惑の表情が消えた。いたずらっぽく微笑み、少年の唇《くちびる》にそっと人差し指を当て、早口のお喋りをさえぎると、ゆっくりと顔を近づけてゆく。 「……そんな必要があるの?」 「だって……」 「信じてもらう必要なんてないわ。私があなたを好きなことは、誰かに証明《しょうめい》しなきゃいけないようなことじゃない。あなたにだけ証明できれば、それでいい……」  なおも何か言おうとしたサーラの口を、デルは優《やさ》しく自分の唇でふさいだ。ごく自然に、少年の腰に腕を回し、上半身を押《お》しつけてきた。  もう百何十回目のキスなのか、サーラは数えてみようとも思わなかった。初めての時に覚えた驚《おどろ》きと、頭がしびれるような感覚はもうなかったが、それでも少女の温かい唇の感触《かんしょく》、しなだれかかってくるたおやかな体の重みは心地良《ここちよ》かった。  初めて会った時、「変な子だ」と思っただけで、何も感じなかったのが嘘のようだ。他の少年たちと同じく、あの頃の自分の目は節穴《ふしあな》だったのだろう、とサーラは思う。こんなにも魅力《みりょく》的な少女だというのに。  時おり、デルの存在《そんざい》が重荷になることがある。彼女のわがままな性格《せいかく》、自分にべたべたつきまとってくる態度《たいど》を、うっとうしく感じることもある。彼女と知り合って以来、サーラの自由は大幅《おおはば》に失われた。この先、自分の人生はどうなるのだろうか——だが、そんな思いは長くは続かない。くちづけひとつで雲散霧消《うんさんむしょう》する。こんなにも素敵《すてき》な子に好かれて幸せなのだと、あらためて実感する。  だが同時に、一抹《いちまつ》の恐怖《きょうふ》も覚えている。  やがてデルは唇を離《はな》すと、うっとりと眼《め》を細め、サーラの瞳《ひとみ》を愛《いと》しげに覗《のぞ》きこんだ。 「……証明|完了《かんりょう》」  ほんのりと濡《ぬ》れた赤い唇から、ぞくっとするほど大人びた声が洩《も》れる。  サーラはぎこちなく笑《え》みを返しながらも、魂《たましい》の奥《おく》の何かが震《ふる》えるのを感じていた。それは、暗い眼をした内気そうな少女が大胆《だいたん》にキスを求めてくる時、いつも覚える感覚だ。みんなが知っているデル、おとなしくて無口なデルは、世界との関《かか》わりを拒否《きょひ》するための仮面《かめん》にすぎない。その裏には愛する人にしか見せないもうひとつの顔がある。いつも何かにおびえているような心細げな表情が、少女の表面から剥《は》がれ落ちると、自信に満ちた、妖《あや》しくも魅惑《みわく》的な笑みが浮かび上がる。  いくら否定《ひてい》しようとしても、サーラはそれを「邪悪《じゃあく》」と感じてしまう自分を抑《おさ》えられない。  ある意味、その印象は間違ってはいない。サーラしか知らないことだったが、彼女は暗黒神ファラリスの闇司祭《ダークプリースト》なのだ。人は自分の欲望《よくぼう》に忠実《ちゅうじつ》に生きるべきだという、ファラリスの教えを信奉《しんぽう》している。暗黒神の信者を「邪悪」と定義《ていぎ》するなら、彼女はまさに邪悪だ。  しかし、サーラはそうは思いたくない。確《たし》かにファラリス信者に悪人は多いが、欲望に忠実に生きることがすべて悪というわけではない。欲望の中には邪悪なものも多いというだけだ。デルはファラリスの力を犯罪《はんざい》に用いようとは思っていない。彼女の最も強い欲望は、いつもサーラの傍《そば》にいたいということ。彼に愛され、彼を守りたいということ。その想《おも》いが悪であるはずがない。  そう信じたかった。 「で、でもさ」不安を振《ふ》り払《はら》おうとして、サーラは無理に話題を変えた。「やっぱり、村には帰らない方がいいんじゃないかと思うんだ」 「どうして?」  サーラは少しためらってから、心の中にわだかまっていた考えを吐《は》き出した。 「メイガスのことだよ。彼は何十年も、『力のオーブ』を探《さが》し続けてたんだ。夢《ゆめ》だったんだよ。だからせめて、分け前を少しでも多くしてあげたいんだ。僕たちがついて行ったら、その分、分け前が少なくなるだろ?」  デインは公正な性格《せいかく》なので、冒険《ぼうけん》に同行しているサーラとデルにも、きちんと報酬《ほうしゅう》を分配してくれている。もっとも、まだ冒険者として半人前なので、取り分は他の者の半額《はんがく》、二人で一人分だった。当然、今度の旅でもそうなるだろう。  デルは苦笑《くしょう》した。「あなたってほんとに純真《じゅんしん》ね」 「メイガスにもそう言われた」 「でも、もしその玉がそれほど価値《かち》のあるものなら、取り分が少し減《へ》ったとしても、やっぱりかなりの金額になるんじゃなくて?」 「メイガスは一〇〇万ガメルぐらいするかも、つて言ってた」 「行くことが決まってるのは、デイン、ミスリル、フェニックス、メイガスの四人でしょ。私たちが行かなくても、メイガスの取り分は二〇万が二五万になるぐらいよ。たいして違《ちが》わないわ」 「そうだけど……」 「それに」デルは何か悪巧《わるだく》みでもしているかのように、そっとささやいた。「……いっしょに行けば、私たちだってお金持ちになれるのよ」  それはサーラも考えなかったわけではなかった。一〇〇万の五分の一、二〇万ガメルとしても、何年も贅沢《ぜいたく》に遊んで暮らせる金額だ。そそられないはずがない。  だが、その金額の大きさこそが、サーラに後ろめたい思いをさせているのだった。 「あなたはいつも他人のことばかり考えすぎてるわ」デルは優《やさ》しくとがめた。「ねえ、サーラ、もっと自分のことも考えて。あなたが地図に気がつかなければ、メイガスは死ぬまでオーブを見つけられなかったんじゃないの?」 「たぶんね」 「だったら、あなたは彼の手助けをしたんだから、分け前を貰《もら》う権利《けんり》があるわ」 「そうかなあ……」  サーラはまだ納得《なっとく》できないでいた。 「それに、その迷宮《めいきゅう》に行った方がいい、もうひとつの理由がある……」 「え? 何?」 「キマイラの死んだところに行けば、呪《のろ》いのことを知る手がかりが何か見つかるかもしれないでしょ?」  サーラはぽかんとして少女を見つめた。 「……考えてなかった」  意表を突《つ》かれた。自分が呪いにかけられていることなど、ここしばらく、すっかり忘《わす》れていたのだ。  生まれて初めての冒険——デインたちとともに潜《もぐ》った地下迷宮で、サーラは魔獣《まじゅう》キマイラに出会った。デインたちの活躍《かつやく》でキマイラは倒《たお》されたものの、そいつは死の直前、自分の命を代償《だいしょう》にして、サーラに呪いをかけたのだ。  サーラがそれに気がついたのは、何か月も経《た》ってからである。「闇《やみ》の王子」ジェノアに捕《とら》えられた時のことだ。やはりファラリスの闇司祭であるジェノアは、サーラを束縛《そくばく》しようとして、「いついかなる時も、我《わ》が命令に逆《さか》らうべからず」という呪いをかけようとした。だが、その呪いはかからなかった。そのため、すでにサーラが別の呪いをかけられていることが発覚したのである。  厄介《やっかい》なのは、それがどんな呪いなのか分からないことだった。普段《ふだん》は何の異常《いじょう》もなく、特定の何かがきっかけになって発動するものらしいのだが、何がきっかけなのか、どんなことが起こるのか、知るすべがない。チャ=ザ神の司祭であり、様々な知識《ちしき》に精通《せいつう》しているデインでさえ、この問題には頭を抱えていた。  暗黒魔法とは一種の神聖魔法《ホーリー・プレイ》——神に祈《いの》りを捧《ささ》げることによって、神の力を借りるものなのだ。暗黒魔法か神聖魔法かは、力の源《みなもと》が暗黒神かそうでないかの違《ちが》いでしかない。高位の司祭になるほど、あるいは大きな犠牲《ぎせい》を捧《ささ》げるほど、より大きな力を神から引き出せる。  すなわち、サーラにかかっている呪いは、キマイラ自身の力ではなく、キマイラの最後の祈りを聞き届《とど》けた暗黒神(おそらくはファラリス)の力なのである。だからキマイラが死んでも持続している。何百年も生き続けてきた魔獣が、自分の命を代償にした呪いだ。単純《たんじゅん》な解呪《リムーブ・カース》の儀式《ぎしき》で解《と》けるようなものではないだろう。  そもそも、呪いを二つもかけられた人間など、めったにいない。そのため、呪いというものはいくつも重ねてかけられるのかどうかも、よく分かっていない。しかし、原理的には、互《たが》いに干渉《かんしょう》し合わない呪いなら、一人の人間にいくつでもかけられるはずだ。ジェノアの呪いがかからなかったのは、キマイラの呪いと矛盾《むじゅん》する内容《ないよう》であったためだと、デインは考えていた。先にかかっていたキマイラの呪いの方が強力だったため、ジェノアの呪いをはじいたのだろう。  だが、いったいどんな矛盾なのだろうか。  神がどこまで未来を見通せるかは、賢者《けんじゃ》の間でも意見が分かれている。神の啓示《けいじ》の中には、未来を見通しているように思えるものもある。そのため、「神は時間を超越《ちょうえつ》した存在《そんざい》である」と唱える一派《いっぱ》がある。その一方、未来は決まっておらず、人間の行動によって変化するという説もある。神々も全知ではなく、未来を見通せるとしても、それは限《かぎ》られた範囲《はんい》にすぎないはずだ、というのだ。  こうした話をサーラはデインから聞かされたが、ややこしくて途中《とちゅう》で頭が痛《いた》くなってきた。要するに、ファラリスは近い未来にサーラの身に何が起きるかを知っており、ジェノアの祈りを聞き入れた場合、その先に起きることはキマイラの祈りと矛盾してしまうため、ジェノアの祈りを退《しりぞ》けた——ということらしい。  何にしても、そんな学問的な議論《ぎろん》は、キマイラの呪いの内容を推理《すいり》する役に立ちそうになかった。ファラリスがジェノアの祈りを聞き入れたら何が起きていたかなんて、神ではない身に分かるはずもないからだ。  最初は不安におびえていたサーラだったが、呪いをかけられてから一年以上にもなるのに何の異変も起きないので、すっかり気にならなくなっていた。これまでデインたちとともに冒険《ぼうけん》を重ね、様々な体験をしてきたが、呪いが発動する気配はまったくない。どんな呪いであるにせよ、発動さえしなければ恐《おそ》ろしいことはない。だからサーラは、呪いのことなどすっかり忘《わす》れていたのだった。 「そうか……でも、どうなんだろう?」  サーラは首を傾《かし》げた。地下迷宮の奥《おく》には、キマイラを創造《そうぞう》した古代の魔術師《まじゅつし》の記録なども残っているかもしれない。そこからキマイラの考えそうなことを推理できるという可能性《かのうせい》は、確《たし》かにないでもない。呪いが解《と》けなくても、発動するきっかけさえ分かれば、それを避《さ》けて生きればいいのだ。  だが、それはあまりにも小さい可能性に思える。 「調べてみるべきよ。少しでも可能性があるなら」デルは静かな口調で力説した。「そうしてよ、サーラ」  それでもまだ、サーラは迷っていた。「でも……」 「お願い、サーラ。私、未来に不安を残すのはいや」  未来——その言葉にサーラは反応《はんのう》した。赤ん坊《ぼう》を抱《だ》いているデインとレグの幸せそうな顔が思い浮《う》かぶ。一〇年ぐらい未来には、自分とデルも、あんなカップルになっているのだろうか? 想像《そうぞう》もつかないが、ありえないことではない。  そうだ、その時のためにも、不安は排除《はいじょ》すべきだ。 「うん、そうかもしれない」サーラは考えた末に答えた。「僕《ぼく》、村に帰るよ」 「私もついて行っていいわよね?」 「もちろん」 「良かった」  デルは再《ふたた》びしなだれかかり、キスを求めてきた。  今度のキスはさっきより長く、激《はげ》しかった。デルは獲物《えもの》に巻《ま》きつく大蛇《だいじゃ》のように、少年の体に自分の体を大胆《だいたん》にからませ、悩《なや》ましげにこすりつけてきた。こうなるとサーラはされるがままだ。十三|歳《さい》の少女のほっそりした肉体は、服を着た状態《じょうたい》ではまだ少年のようにも見えるが、その下にはすでに女性《じょせい》としての魅力《みりょく》が息づいていることを、サーラは知っている。こうして密着《みっちゃく》していると、それをいっそう意識《いしき》する。思春期の少年の心や体が、それに反応しないはずはない。全身が緊張《きんちょう》する。何かが体の奥で爆発《ばくはつ》しそうになっているのを感じる。今すぐにでも彼女を押《お》し倒《たお》したい衝動《しょうどう》にかられる。それをどうにかこらえていられるのは、サーラが人一倍、意志《いし》の強い少年だからだ。  デルは確かに邪悪《じゃあく》だ、とサーラは思った。だが、それは魅惑《みわく》的な邪悪だ。内気な仮面《かめん》の下で、熱い激情《げきじょう》が静かに煮《に》えたぎり、暗い欲望《よくぼう》がうごめいている。そのさらに奥には、大地に開いた巨大《きょだい》な亀裂《きれつ》のように、底知れぬ心の闇《やみ》がかいま見える。それがどこまで深いのか、長くつき合っているサーラでさえ測《はか》り知ることはできない。  その闇は自分を飲みこもうと狙《ねら》っているように、サーラには思えた。 [#改ページ]    4 大人になるということは  翌日《よくじつ》、一行はハドリー村へ出発した。レグもいっしょに行きたがったが、新生児《しんせいじ》を預《あず》けるあてがなく、やむなくザーンに残ることになった。さすがに生まれたばかりの赤ん坊を連れて迷宮《めいきゅう》には潜《もぐ》れない。 「おしめ代、稼《かせ》いできてよ」  彼女は陽気に手を振《ふ》って夫を送り出したが、内心はまたフレイルを振り回したくてうずうずしているようだった。  もう一人、ザーンの正門で一行を見送ったのは、デルの両親である。父のアルド・シータは盗賊《とうぞく》ギルドの幹部《かんぶ》であり、新人の教育係でもある。|人食い鬼《オーガー》のようなごつい体格《たいかく》に似《に》合《あ》わず、子供《こども》には優《やさ》しい人物だ。デルは実の娘《むすめ》でなく、妻《つま》の連れ子だったが、それでも実の子供のようにかわいがっている。  デルが今のように無口な少女になったのは五年前から——実の父、バルティスが殺された日からだ。  半年前、まだ十二歳の娘がサーラたちとともに冒険に出ると言い出した時、もちろんアルドとしては心配し、怒《おこ》り、反対もした。だが、デルは「一時もサーラと離《はな》れたくない」と粘《ねば》り強く説得したのだ。内気で無口なだけと思っていた娘の思いがけない自己《じこ》主張に、アルドの心は動かされた。ザーンに閉《と》じこもっていても、デルの心は開かない。多少の危険《きけん》を冒《おか》してでも、外の世界を体験させ、多くの人と触《ふ》れ合わせれば、昔のような明るい笑顔《えがお》を取り戻《もど》してくれるのではないか——そう考えたのだ。 「デルを守ってやってくれよ、サーラ」彼は少年の肩《かた》を叩《たた》いて言った。「あの子はおとなしくて、とても傷《きず》つきやすい子だからな」  サーラは「はい」と返事しながらも、内心とまどっていた。将来《しょうらい》、自分の義父《ぎふ》になるかもしれない男に信頼《しんらい》を寄《よ》せられていることもくすぐったかったが、最も身近にいるはずのアルドでさえデルの表面的な部分しか見ていないことが不思議だった。デルがどれほど情熱的な娘か知らないのだ。  どうも本当のデルを知っているのはサーラだけらしかった。  ザーンからハドリー村まで、徒歩で五日の行程《こうてい》だ。東のベルダインへと向かう街道《かいどう》を二日ほど進み、そこから北へ折れて、森林地帯を縦断《じゅうだん》する道を歩く。峠《とうげ》に立つと、はるか前方の地平線に、青いもやに煙《けむり》るクロスノー山脈が横たわっているのが見える。ハドリー村はその大山脈の西の端《はし》、穏《おだ》やかな気候に恵《めぐ》まれた平原にある。  街道から離れると、宿泊《しゅくはく》できる村も少なくなる。旅の最後の一日は、森の中で野営《やえい》しなくてはならなかった。  夜の間、六人が二人ずつ三|交替《こうたい》で起きて、焚《た》き火の傍《そば》で番をする。狼《おおかみ》や山賊の襲撃《しゅうげき》を警戒《けいかい》するのだ。飽《あ》きてくるのを防《ふせ》ぐため、組み合わせや順番は毎晩《まいばん》変わるが、サーラは決してデルとは組ませてもらえない。「お前たち二人だと、いちゃついて見張《みは》りにならないからな」というのがミスリルの言い分である。  今夜の当直は、最初がサーラとミスリル、二番目がデインとメイガス、三番目がフェニックスとデルという組み合わせだった。  故郷に近い森の中で、焚き火を前にしていると、サーラにはどうしても家出した夜のことが思い出されてしまう。あの時は道から少しはずれた森の中で野宿したのだが、追っ手に見つかるのを恐《おそ》れ、火も焚けなかった。たった一人、暗闇《くらやみ》の中でうずくまり、狼が現《あら》われたらどうしようとびくびくしていたものだ。  村人が連れ戻しに来る気配がまったくないことに、ほっとする反面、失望もしていた。いっそ見つかって連れ戻されることを、心の片隅《かたすみ》では望んでいたのだ。お祖父《じい》さんは僕がいなくなっても探《さが》しもしないんだ、僕はやっぱり大事にされていないんだ、という想《おも》いが、小さな胸《むね》を苛《さいな》んだ。寂《さび》しさや恐ろしさよりも、悔《くや》しさでサーラは泣いた。  今になってみれば、あの時、連れ戻されなくて本当に良かったと思う。そうなっていたら、冒険者《ぼうけんしゃ》になるという夢《ゆめ》は潰《つい》え、ここでこうしてミスリルと並《なら》んで焚き火に当たり、語り合っていることもなかっただろう。 「別に重荷とは思っちゃいないぜ」  自分とデルはパーティの足手まといではないのか、というサーラの質問《しつもん》に、ミスリルは例によって陽気な口調で答えた。 「まあ、あんまり戦力にもなってないのは確《たし》かだが」 「でも、みんなの儲けをかすめてるよ」 「そんな言い方をするな。お前たち二人で一人分ぐらいの働きはしてるさ。それに、六人になったおかげで、野営がずいぶん楽になった」  それはサーラも感じていた。五人しかいなかった頃は、三交替だと必ず一人で番をしなければならない者が出てきてしまう。話し相手もおらず、眠気《ぬむけ》をこらえながら時間を潰《つぶ》すのは、寂しくて気が滅入《めい》り、戦闘《せんとう》よりもつらく感じられる。サーラはつい居眠《いねむ》りしてしまって、叱《しか》られたこともあった。 「四人でやってた頃はもっと大変だったぜ。二人ずつ二交替じゃ眠る時間が短くなるし、一人ずつ四交替ってのもしんどいし」 「それで六人のパーティが多いんだね」 「たぶんな。少なすぎると戦力不足だし、魔法使《まほうつか》いや司祭がいなくて苦労することがある。多すぎても統制《とうせい》が取れなくなる。六人ぐらいがちょうどいい人数なのかもしれん。まあ、うまくやっていけるかどうかは相性《あいしょう》しだいだが。性格《せいかく》が合わなくて分裂《ぶんれつ》したパーティもよくある」 「うちはうまくいってる方だよね」 「まあ、デインとレグはうまくいきすぎた例だがな」  自分で言った冗談《じょうだん》でミスリルは笑った。サーラもいっしょに笑う。 「もっとも、あんまりいいことでもないんだがな。冒険者同士が�仲間�以上の親しい関係になるってのは」 「どうして?」 「第一に、いざという時に恋人《こいびと》のことを優先《ゆうせん》的に考えちまって、パーティのチームワークを乱《みだ》すかもしれない。戦闘の時にそんなことが起きたら最悪だ。第二に、二人のべたべたぶりを見せつけられて、他の者が気分を害することもある……」  サーラはどきっとした。 「もしかして……?」 「いや、お前らのは見てて微笑《ほほえ》ましいってもんだ」ミスリルは笑い飛ばした。「誰《だれ》も嫉妬《しっと》したりはしない。安心しろ」 「うん……」 「実際《じっさい》、お前とデルは、たいして役には立たなくても、いっしょにいるだけで俺《おれ》たちの気分を癒《いや》してくれる。それだけでも価値《かち》はある」  それは「マスコットだ」と言われているのと同じではないかと思い、サーラはちょっとだけ傷《きず》ついた。 「デインとレグはどうなの?」 「あいつらは熟練《じゅくれん》した冒険者だ。個人《こじん》的な問題と仕事をきちんと分けられる。感情《かんじょう》に流されて、仲間を危険《きけん》にさらすような真似《まね》はしない。げんに連中、ああいうことになってからもずっと、いつもとぜんぜん変わらずに振舞《ふるま》ってたじゃないか」  サーラも同感だった。実際、レグの妊娠《にんしん》が発覚するまで、デインとレグがそういう関係になっていることに、サーラもミスリルもまったく気がついていなかったのだ。旅の間は単なる仲間として通し、夜の見張りもさぼらなかったのは間違《まちが》いない。妊娠したのはザーンに帰ってきてから、大晦日《おおみそか》の乱痴気騒《らんちきさわ》ぎで二人とも飲みすぎたせいらしい。 「でも、最近のデインはなんだか落ち着きがないよ」 「まあ、ガキが生まれりゃ、親は誰でもああなるんだろ。じきに直るさ」 「レグも変だよ。あのレグがあんなまともな母親になるなんて、想像《そうぞう》もしてなかった」くすっと笑って、「すごく変——でも幸せそう」 「まあ、自分の子供《こども》に自分みたいな思いはさせたくないんだろ。両親の愛情に餓《う》えてたみたいだからな」  レグの両親は傭兵《ようへい》で、娘《むすめ》に何ひとつ女らしいことを教えず、愛情も注がなかった。彼女は十二|歳《さい》で親とけんか別れして、放浪《ほうろう》の旅に出たのだ。 「そうか——そうだよね」  レグの境遇《きょうぐう》を自分の身の上に重ね合わせ、サーラはしんみりとつぶやいた。 「自分が不幸せだったからこそ、子供は幸せにしなくちゃいけないんだね……」  そこで話題が途絶《とだ》えた。二人はしばらく黙《だま》ったまま、炎《ほのお》の中ではぜる枯枝《かれえだ》を見つめていた。 「……サーラ」 「うん?」 「デルとはもう、したのか?」  突然《とつぜん》の質問《しつもん》に、サーラは動転した。顔が熱くなったのは、焚《た》き火に当たりすぎたせいではない。 「しっ……してないよ!」 「声が大きい」  ミスリルに小声で注意され、サーラは慌《あわ》てて周囲を見回した。いちばん近くにいたのはメイガスだが、二人に背中《せなか》を向けて寝転《ねころ》んでおり、サーラの声に目を覚まされた様子はない。デインはその向こうで寝ているし、デルとフェニックスは少し離《はな》れた茂《しげ》みの中で眠《ねむ》っているはずだった。 「……何でそんなこと訊く《き》のさ?」 「いや、お前が『子供は幸せに』なんて言ったもんだから、もしかしてそこまで進んでるのかと思ったんだが……気を回しすぎか?」 「回しすぎだよ」サーラはむくれた。「子供だなんて……そんなの、遠い先の話だよ。僕まだ十二だよ?」 「それぐらいで筆下ろしを済《す》ます男も珍《めずら》しくないがな」 「してないってば……」 「すまん」  それっきり、また沈黙《ちんもく》が降《お》りた。今度のは気まずい沈黙だった。サーラは本当のことを言ってしまいたくてたまらない。ミスリルがさらに追及《ついきゅう》を続ければ、頑《かたく》なに否定《ひてい》を続けられたかもしれないが、彼が沈黙したので、かえって否定しづらくなってしまった。胸《むね》にたまっている秘密《ひみつ》を吐《は》き出してしまえと、無言でせっつかれている気がするのだ——ミスリルが本当にそこまで見抜《みぬ》いていたかどうかは疑問《ぎもん》だが。 「……実を言うとね」サーラは思い切って口を開いた。 「ん?」 「寸前《すんぜん》まで行ったことがある……」 「ほう? いつ?」 「二か月ほど前……」サーラはもじもじした。「ある場所で……二人とも裸《はだか》で……その……」 「押《お》し倒《たお》したのか?」 「いや、僕《ぼく》の方が押し倒された」 「そいつは……」ミスリルは目を輝《かがや》かせた。「お前、果報者《かはうもの》だな、サーラ」 「からかわないでよ」 「いや、マジだぜ。好きな女に押し倒されるなんて、男として最高の名誉《めいよ》だろ?」 「そうかもしれないけど……」 「ふうん、デルにそんな積極的な面があったとはねえ。見かけによらないもんだ」ミスリルはしきりに感心してから、サーラに向き直って、「しかし、その据《す》え膳《ぜん》をお前は蹴《け》ったんだな? どうしてだ?」 「どうしてって……」  サーラは返答に困《こま》った。あの決定的な瞬間《しゅんかん》、崖《がけ》っぷちで自分を踏《ふ》みとどまらせた衝動《しょうどう》が何だったのか、自分でもうまく説明できないのだ。 「強《し》いて言うなら、こわかったから……かな」 「こわかった?」 「だって、まだ早すぎるもの。ついこの間まで、僕は何も知らない子供だったんだよ。今でも子供だけど——それが急に……早すぎるよ」 「まあ、分からないでもないが……」 「ここで踏み出したら、もう後戻《あともど》りできない——そう考えると、すごくこわかったんだ。それに、間違《まちが》って赤ちゃんでもできたら、それこそ面倒《めんどう》なことになるし……」  そう説明しながらも、サーラの心には違和《いわ》感があった。そうじゃない——あの時は頭が混乱《こんらん》していて、妊娠《にんしん》の可能性《かのうせい》なんてこれっぽっちも考えていなかったし、「まだ早すぎる」という言葉も、デルの誘惑《ゆうわく》の前にはたいした抑止力《よくしりょく》にはならなかった。嘘をつくつもりではないのに、明快《めいかい》に説明しようとすればするほど、嘘になってゆく気がする。  じゃあ何が真実なのか、自分でもよく分からない。 「でも、誤解《ごかい》しないで。僕、したくなかったわけじゃないんだ。すごくしたかったんだよ——心も体も」 「そりゃあ、男なら当たり前だ」 「デルが言ったんだ。『私が裸で出てくる夢《ゆめ》を、見たことがないとでも言うつもり?』って。僕、何も言えなかった。だって、その通りだったから」 サーラは自己嫌悪《じこけんお》を覚え、膝《ひざ》に顔を埋《うず》めた。「ひと月に一回ぐらいはそういう夢を見ちゃうんだよ……」 「ああ、まあ……」ミスリルは苦笑《くしょう》し、指で頬《ほお》を掻《か》いた。「俺も覚えがあるな……」 「あんなことがあってからは、夢を見る回数が増《ふ》えてるし……もう、デルのせいで、気が変になりそうだよ」  顔を上げ、すがるような目でミスリルを見つめる。 「ねえミスリル、どうすればいい?」  ミスリルは腕組《うでぐ》みをし、うなった。 「お前の思うようにすりゃあいい……という助言は、さすがに無責任《むせきにん》だろうな」 「無責任だよ」 「だがな、がまんしたいというのも、お前の思いなんだろう?」 「そうなんだけど……いつまでもがまんできないよ」 「最大の……と言うか、唯一《ゆいいつ》の問題は、お前もデルもまだガキだってことだな。大人同士なら、何の問題もない」 「当たり前じゃない」 「じゃあ、早く大人になればいい。違うか?」  サーラは失望した。「それも無責任な答えだと思うな」 「……お前、はっきり言うね」 「言うよ。だって、早く大人になれないことが問題なんじゃない。だいたい、大人っていつなるの? 何歳《なんさい》から? いつ大人になったって分かるの? ここからここまでは子供《こども》で、ここからは大人っていう線が、どこかにあるの?」  ミスリルは笑った。「俺に言わせりゃ、お前は頭の中だけは、もういっぱしの大人なんだがな」 「そんなことないよ」 「いや、お前はちょくちょく、俺たち四人よりずっと頭が回ることがある。そうやっていろいろ悩《なや》むのも、頭がいいからさ。頭の悪い奴《やつ》は悩んだりしないもんだ。デインとレグの件《けん》にしたって、お前のおかげでうまく納《おさ》まったみたいなもんだしな。時々、俺たちの方がガキっぽいんじゃないかって思うぜ」  褒《ほ》められてもサーラはあまり嬉《うれ》しくなかった。 「それはデルとしていいってこと?」 「お前はしたい理由が欲《ほ》しいのか? しちゃいけない理由が欲しいのか?」 「どっちでもいい」サーラは投げやりに言った。「どっちかはっきりした理由が欲しい。こんな宙《ちゅう》ぶらりんな気分は嫌《いや》だ」 「うーん、そんな気分のうちは、まだ早いのかもしれんな……」  考えこんでいるうち、ミスリルはいい言葉を思いつき、急に明るい声になった。 「大人になるってのは、その宙ぶらりんな気分が失せて、『自分は大人だ』って確信《かくしん》できた時じゃないのかな? 年齢《ねんれい》の問題じゃない。そう確信できないうちは、まだガキなんだ。うん」 「じゃあ、『自分は大人だ』って確信できたら、していいってこと?」 「まあ、責任が取れる自信があるならな」 「じゃあ、『自分は大人だ』って確信するにはどうすればいいの?」 「それは……自分で考えろ」  サーラは肩《かた》を落とした。「やっぱり無責任だ」 「そう言うなよ」ミスリルは少年の肩を優《やさ》しく叩《たた》いた。「俺だって何もかも知ってるわけじゃない。言われたことを何でも鵜呑《うの》みにするんじゃないぞ。俺の助言だって間違《まちが》ってることがあるかもしれん。最後に判断《はんだん》するのはお前自身だ」 「ミスリルはいつ確信したの? 自分は大人だって」 「さあ、そいつは難《むずか》しい問題だな」  ミスリルは苦笑し、遠い目で月を見上げた。 「正直言って、自分はまだガキなんじゃないかって思えることもある。いや、俺たち冒険者《ぼうけんしゃ》ってのは、みんな心の中はガキなのかもしれん。そうだろ? お宝探《たからさが》しとか、怪物退治《かいぶつたいじ》とか、冒険とか、ガキっぽいものにうつつを抜《ぬ》かしてるんだからな。分別のある大人はこんなことしねえさ。どこかの村か街に腰を落ち着けて、畑をたがやしたり、壷《つぼ》を作ったり、酒を売ったりして、地道に稼《かせ》いで、女房《にょうぼう》やガキを食わせていく……それが本当の大人ってもんだろう?」 「うん……」  サーラはその言葉を噛《か》み締《し》めた。自分が選んだ道は正しかったのかと、あらためて自分に問いかける。冒険者になんか憧《あこが》れなければ、ごく普通《ふつう》の大人になり、田舎《いなか》の村で、平凡《へいぼん》だが安楽な一生を送れただろう。危険《きけん》にさらされることもなく、手にかけた悪人のことでいつまでもうじうじと悩むこともなかっただろう。  冒険者になるということは、それ以外のすべての喜びを捨《す》て去るということなのだ。  でも——と、サーラは思う。冒険者になるためにザーンに行かなければ、デルと出会えなかったことも、また事実ではないか。  何を迷《まよ》うことがある、とサーラは弱気な自分を叱《しか》りつけた。ありえたかもしれないもうひとつの人生が、今の人生より良かったはずがないではないか。どんなに苦しくても、冒険者をやめるという選択肢《せんたくし》は、自分の中にはないはずだ。 「でも、ミスリル……」 「何だ?」 「やっぱり僕の質問《しつもん》に答えてないよ」 「ははあ、ばれたか」ミスリルはおどけてみせた。「お前が都合の悪い質問ばかりするから、どうやって言い逃《のが》れようかって、さっきから必死なんだ」 「そんな……」 「なんたって俺《おれ》は、ガキに説教できるようなご立派《りっぱ》な立場じゃないからな。何かもっともらしいことを言うたびに、自分にはね返ってくる。お前に忠告《ちゅうこく》してることは、自分じゃ守れないことばっかりだ——だいたい、もし俺がお前だったら、とっくにデルと行くとこまで行っちまってるぜ?」 「まあ、そうだろうね……」 「それをお前は、寸前《すんぜん》で止《と》めた——いや、止められた。そこがお前らしいところだと思うんだがな」ミスリルはここぞとばかりに力説した。「俺とお前は違うんだ。ドウトクとかカチカンとかコセイとかいうものが、根本的にな。だから俺の助言はあてにするなって言うんだ。お前にゃきっと、お前にふさわしい助言ってもんがあるのさ」 「それはきっと」サーラはため息をついた。「自分で探さなくちゃいけないんだね」 「そういうことだな」  結局、話は一巡《いちじゅん》し、同じところに戻《もど》ってきた。何の解決《かいけつ》にもなっていない。サーラは失望した反面、ミスリルに秘密《ひみつ》を打ち明けたことで、ちょっとだけ心の重荷が軽くなったように感じた。  夜も更《ふ》けてきて、眠気《ねむけ》が強くなってきた。サーラはつい、あくびを洩《も》らした。 「さあて」梢《こずえ》にかかる月の位置を確認《かくにん》して、ミスリルは腰を上げた。「そろそろ交替《こうたい》してもらって、俺たちは寝《ね》るとするか」  彼はぶらぶらとデインに近寄《ちかよ》っていった。サーラはメイガスににじり寄って、そっと揺《ゆ》さぶった。 「メイガス、起きてよ」 「ん? おお」  ドワーフはぱっと目を開け、体を起こした。 「何か変わったことは?」 「ないよ」 「そうか。じゃあ寝てくれ」 「そうするよ。おやすみ」  サーラは毛布《もうふ》にくるまり、寝転がった。目を閉じ、意識《いしき》がゆっくりと眠りに落ちてゆくのにまかせる。  明日はハドリー村だ。 [#改ページ]    5 いくつかの再会《さいかい》  翌日《よくじつ》の昼前、一行はハドリー村に足を踏《ふ》み入れた。  森を抜《ぬ》けると、うろこ雲が流れる秋空の下、青く煙《けむり》るクロスノー山脈を背景《はいけい》に、なだらかな起伏《きふく》の牧草地帯が広がっていた。秋は深まってきたとはいえ、草はまだ緑に染《そ》まっている。暖《あたた》かな陽射《ひざ》しを浴び、牛が草を食《は》むのどかな光景が見られた。 「また変装《へんそう》の時間か」  ミスリルはいつものようにぼやきながら、手に長い革手袋《かわてぶくろ》をはめはじめた。魔術師《まじゅつし》のような灰色《はいいろ》のローブをまとい、頭から深くフードをかぶって、顔を隠《かく》す。街でもそうだが、こうした山村では特にダークエルフに対する偏見《へんけん》が強い。トラブルを避《さ》けるため、ミスリルは村を訪《おとず》れる際《さい》には肌《はだ》を見せないことにしているのだ。今のような涼《すず》しい季節ならいいが、真夏はかなり暑苦しい。  一行は牧草地を横切る道を歩いていった。遠くに牛を世話している牧童の姿が見える。秋が終わる前に、牧草を刈《か》り入れてサイロに貯蔵《ちょぞう》する作業が行なわれるのだが、それはまだ何週間か先だ。サーラはそれを懐《なつ》かしく思い出した。刈り入れは村の女子供《おんなこども》も総出《そうで》のにぎやかな作業で、牧場を一日に一|軒《けん》ずつ回ってゆき、八日間も続くのだ。牧場主の方はそのお返しに、農家の畑の耕作《こうさく》や収穫《しゅうかく》に、人手と家畜《かちく》を貸《か》し出す。  ここではみんな助け合って生きている。サーラの知る限《かぎ》り、この村で大きな争いが起きたことはない。  村長である祖父《そふ》の家に向かう道すがら、懐かしさと不安が入り混《ま》じった複雑《ふくざつ》な感情《かんじょう》が、サーラの胸《むね》を締《し》めつけた。知っている誰《だれ》かに見られたら気まずいという心理や、祖父にどやしつけられるのではないかという恐《おそ》れが、少年を落ち着かなくさせている。 「素敵《すてき》ね……」  そんなサーラの心理に気づかないのか、道の横に広がる平和な牧場を眺《なが》め、デルはうっとりとつぶやいた。 「ここがあなたの育った牧場?」 「いや、ここはまだお隣《となり》のラインさんの土地だよ。うちの土地はあの柵から向こうさ。ほら、あそこがラインさんの家」  サーラが木造《もくぞう》の家を指さした、ちょうどその時、家の扉《とびら》を開けて一人の少女が出てきた。きびきびとした歩調でこちらに歩いてくる。青い釣鐘形《つりがねがた》のスカートを履き、白いエプロンをつけて、大きな籐《とう》の籠《かご》を抱《かか》えていた。サーラと同じような明るい金髪《きんぱつ》を、青いリボンでまとめている。 「あ……」サーラは気がついた。 「誰?」 「フレイヤだよ。ラインさんの娘《むすめ》……」  近づいてきたフレイヤは、見慣《みな》れないよそ者たちに気がつき、ちょっと立ち止まって不思議そうにこちらを見つめた。しかし、すぐにその中にサーラの姿を認《みと》め、ぱっと顔を輝《かがや》かせた。 「サーラ! サーラじゃないの!」  少女は嬉《うれ》しそうに駆《か》け寄《よ》ってきた。サーラよりひとつ年上で、背も頭半分ほど高い。柵の手前で立ち止まり、くりくりとした快活《かいかつ》そうな瞳《ひとみ》でサーラを見下ろす。 「帰ってきたの?」 「あ、うん……」 「噂《うわさ》は聞いてるわ。へえー、すごい。本当に冒険者《ぼうけんしゃ》になったのね」  フレイヤは好奇心《こうきしん》に目を輝かせ、もじもじしているサーラを、上から下まで観察した。サーラは隠れたくなった。小さな体に革鎧《かわよろい》をまとった自分の姿が、幼《おさな》なじみの少女の目にどう映《うつ》っているかと想像《そうぞう》すると、何とも落ち着かない。  もうひとつ、サーラを困惑《こんわく》させたのは、フレイヤが美しくなっていることだった。  幼い頃《ころ》からしょっちゅう顔を合わせているが、それほど親しかったわけではない。サーラにとっては、ちょっと優《やさ》しい近所のお姉さんという程度《ていど》の存在《そんざい》にすぎなかった。村では男の子は男の子、女の子は女の子ばかり集まって遊ぶのが普通《ふつう》なので、いっしょに遊んだこともあまりない。無論《むろん》、恋愛《れんあい》の対象として見たことなど、一度もなかった。  一年ぶりに会うフレイヤは、絶世《ぜっせい》の美女とまではいかなくても、明るい笑顔《えがお》を振《ふ》りまく思春期の少女で、サーラをどぎまぎさせた。一年でこんなに変わるものかと驚《おどろ》いたが、すぐに思い違《ちが》いに気がついた。  フレイヤはあまり変わっていない。いくら成長期とはいえ、一年やそこらで劇的《げきてき》に外見の印象が変化するはずがない。変わったのは自分の方だ——デルとの出会いで、女の子を見る目が大きく変化したのだ。 「どこかに行くところ?」 「パンを焼いたから、ルーエさんのところに届《とど》けに。この前、お野菜を分けてもらったお返しに」  籠からは茶色く焼けた太い棒状《ぼうじょう》のパンがいくつも突《つ》き出し、焼きたての心地《ここち》よい香《かお》りをほんのりと漂《ただよ》わせていた。 「この人たちは?」 「僕《ぼく》の仲間だよ。デイン、フェニックス、メイガス、ミスリル……それにデル」 「よろしく」  デインとフェニックスは笑顔で少女にあいさつした。メイガスはいつもの仏頂面《ぶっちょうづら》でうなずき、ミスリルは顔を隠《かく》したまま、無言で片手《かたて》を上げた——デルはというと、探《さぐ》るような目つきでフレイヤを見つめている。 「去年、怪物退治《かいぶつたいじ》に来た人たちよね? もう一人、ごつい女の人がいなかった?」 「ああ、レグはちょっと用事があって来られない」 「そう……」  フレイヤの好奇の視線《しせん》は、黒い服に身を包んだ少女に集中した。無邪気《むじゃき》で快活な青い瞳が、かすかな敵意を秘《ひ》めたデルの暗い瞳とぶつかり合う。その敵意の意味に気がつき、フレイヤはにんまりした。さりげなくデルに歩み寄って、 「あなたも冒険者?」  デルは無言でうなずく。 「怪物と戦ったりするの?」  またうなずく。  二人の少女のぎくしゃくしたやりとりを、サーラははらはらして見守っていた。二人は同い年で、身長もほとんど変わらないが、並《なら》んで立つと、その印象は正反対だ。フレイヤが青空に輝く太陽、野原に咲く大輪の花なら、デルは夜空に浮《う》かぶ孤独《こどく》な月、闇《やみ》に舞《ま》う美しい毒蛾《どくが》だ。どう見てもデルの方が分が悪い。 「ふうん、その若《わか》さでねえ。すごいんだ」フレイヤは軽く感心してみせてから、「で、サーラとどんな関係?」 「あ、えっと」サーラは慌《あわ》てて割《わ》って入った。「友達——友達だよ」  その言葉を聞いた瞬間《しゅんかん》、デルが不服そうな視線を自分に向けたので、サーラはさらに狼狽《ろうばい》した。 「そっか。友達なのか」  フレイヤは楽しそうに微笑《ほほえ》み、気がつかないふりをした。 「これから家に帰るの?」 「あ、うん」 「そっか、立派《りっぱ》になった姿《すがた》をみんなに見せなくちゃね」フレイヤはいたずらっぽく笑って、声をひそめた。「男の子たち、あなたのことでずいぶんひどい噂《うわさ》してたわよ。ザーンじゃ毎日、誰かにこき使われて、泣いて暮らしてるに違いない。きっとそのうち泣いて帰ってくるだろうって」 「そんなことだろうと思った……」 「負け惜《お》しみ言ってるだけよ。あなたが自分たちにできないことをやったから。まあ、立派になったところを見せてやれば、ぐうの音《ね》も出ないでしょうけど」  そうであればいいんだけど、とサーラは心の中でため息をついた。 「あっ、いけない。おつかいを忘《わす》れるところだった——じゃあね、サーラ。また後で」 「うん、また後で」  フレイヤはスカートをひるがえし、歩き出した。一〇歩ほど歩いたところで、思い出して振り返り、 「冒険《ぼうけん》の話、聞かせてね」  サーラは小さく手を振り、ぎこちない笑みを返した——隣《となり》に立つデルの嫉妬《しっと》の視線が、頬《ほお》に突き刺さるのを感じながら。 「お前は後で入って来い」  家の近くまで来たところで、デインはサーラに言った。まず自分たちが村長のところに行って、事情《じじょう》をひと通り説明する。お孫さんを危険《きけん》な目に遭《あ》わせて申し訳《わけ》ないとか何とか謝罪《しゃざい》したうえで(無論《むろん》、自分たちが家出をそそのかしたことは伏《ふ》せてだが)、彼には素晴《すば》らしい素質《そしつ》があるのでこれからも冒険者を続けさせてやってほしい、本人もそう願っているからと説得する。サーラ自身の口から説明させようとすると、祖父《そふ》の前で萎縮《いしゅく》してしまって、うまく言えないかもしれないから——と。  サーラはほっとして、その段取《だんど》りに同意した。いちばん面倒《めんどう》な仕事をデインが引き受けてくれるのはありがたい。自分たちを残して家の中に入ってゆくデインたちの姿を、期待半分、不安半分の心境《しんきょう》で見送った。  サーラは柵《さく》にもたれかかり、デルはその横にしゃがみこんで、時間を潰《つぶ》した。しばらくは空を見上げる以外、何もすることがない。  うろこ雲が漂《ただよ》う秋空は、吸《す》いこまれそうなほどに高く、まるで天上からはるか眼下《がんか》の海面を見下ろしているような錯覚《さっかく》さえ覚えた。カラスが一羽、輪を描《えが》いて舞《ま》っている。平和な風景だった。風がかすかに草を揺《ゆ》らす音と、時おり聞こえる牛の鳴き声以外、何も聞こえない。  その静寂《せいじゃく》が、サーラには気詰《きづ》まりだった。 「さっき……」地面を歩く蟻《あり》の列を見つめながら、デルがぽつりと言った。「どうして『友達』って言ったの?」  やっぱりそう来たか、とサーラは思った。 「ちょっと……恥《は》ずかしかったんだ」 「私が恋人《こいびと》だってことが?」 「いや、恋人がいるってことが——だって、そんなのひけらかすことじゃないだろ? 君だって『誰かに証明《しょうめい》する必要なんかない』って言ったじゃないか」 「それはそうだけど……」デルは小声をさらに小さくして、「ちょっと悔《くや》しい……」  サーラは微笑んだ。デルの嫉妬深い性格《せいかく》は厄介《やっかい》だが、すねる姿は少し愛《いと》しい。 「ごめん。今度はちゃんと、恋人だって紹介《しょうかい》するから」そう言ってから、ふと思いついて、つけ加える。「フレイヤとは何でもないよ。本当にただの幼《おさな》なじみだから」 「どうしてそんなこと言うの?」 「いや、君が気にしてるといけないし……」 「気にしてないわ」 「嘘《うそ》つけ」 「…………」 「フレイヤを嫌《きら》いになって欲《ほ》しくないんだよ。いい子なんだから。できれば仲良くして欲しいんだ。親しい人同士がいがみ合うのって、見たくない」 「…………」 「そうしてよ。ね?」  かなり経《た》ってから、デルはしぶしぶうなずいた。 「そうする……」 「良かった」  サーラがほっとした、その時—— 「おう、サーラじゃねえか!」  背後《はいご》からの少年の声が、サーラの心臓《しんぞう》をつかんだ。ついに来るべきものが来た、という気がする。 「くそ……」  小声で毒づきながら、ゆっくりと振《ふ》り返った。道の向こうから歩いてくるのは、見慣《みな》れた懐《なつ》かしい顔ぶれだ。ロブ、ダリオ、ジョアン、キース、アル……よくいっしょに遊んだ村の男の子たちである。  懐かしい? いや、懐かしくなんかない。彼らとは嫌な思い出しかない。できれば顔を合わせたくなかった。このまま通り過《す》ぎて欲しかった。  だが、そんなサーラの願いとは裏腹《うらはら》に、五人の少年は彼を取り囲み、珍妙《ちんみょう》なものでも見るかのようににやにやと笑った。 「おやまあ——俺《おれ》たちの英雄様《えいゆうさま》のご帰還《きかん》らしいぜ!」  いちばん年上でリーダー格のロブが、わざとらしく驚《おどろ》いたふりをしてみせた。サーラより半年だけ早く生まれており、少女みたいな愛らしい顔のサーラとは対照的に、角ばった男らしい顔をしている。フレイヤと違《ちが》って、一年経っていても記憶《きおく》の中の印象とほとんど変わっていないことに、サーラはかえって驚いた。この村では時間が止まっているかのようだ。 「何だよ、その格好《かっこう》? 仮装《かそう》行列か?」  ロブはサーラの革鎧《かわよろい》をつついた。 「ぜんぜん様になってねえなあ!」 「鎧着てても、中身はへろへろのまんまだぜ」 「ちっとも変わってねえじゃねえか。一年も何やってたんだよ?」 「やっぱりあきらめて帰ってきたのか?」 「そりゃ、サーラに冒険者《ぼうけんしゃ》なんか無理だよな!」  他の少年も口々に嘲笑《ちょうしょう》の言葉を浴びせる。サーラは恥ずかしさで逃げ出したかったが、唇《くちびる》を噛《か》んでそれに耐《た》えた。言い返しても無駄《むだ》だということは分かっている。小さい頃《ころ》からずっと、この髪《かみ》の色や名前のことでからかわれてきたのだ。もう馬鹿《ばか》にされるのは慣れっこだった。  それでも悔しいことには変わりないのだが。 「怪物《かいぶつ》を一|匹《ぴき》でも退治《たいじ》したのか?」  そう言ったのはダリオだった。サーラよりひとつ年下だが、体格はひと回り大きい。サーラはいつもこいつに喧嘩《けんか》で負けていた。 「……したよ」サーラは小声でそれだけ言った。 「ほう、ドラゴンか? デーモンか? 巨人《きょじん》か?」 「ネズミじゃねえの?」  キースの言葉に、子供《こども》たちはどっと笑った。サーラは答えなかった。むきになって反論《はんろん》すれば、かえって馬鹿にされるだけだ。この一年間でどんな冒険をしてきたか、話して聞かせたって、彼らは信じようとしないだろう。  サーラは黙《だま》って屈辱《くつじょく》に耐えるつもりだった——ダリオがその言葉を口にするまでは。 「何だよ、こいつ、女だぜ!」彼は攻撃《こうげき》の矛先《ほこさき》をデルに向けたのだった。「男みたいな格好してやがるな!」  デルがびくっと緊張《きんちょう》するのが、サーラには分かった。確《たし》かに村の少女たちのスカート姿《すがた》しか見たことのない彼らにしてみれば、真っ黒なシャツとズボンというデルの姿は、奇異《きい》に映《うつ》るだろう。サーラ自身、初めて出会った時はそう思ったのだから。 「ほんと、変な女!」 「なんか気持ち悪いぜ、こいつ!」 「おい、何か言ってみろよ」  他の子供たちもダリオに同調して、はやしたてる。デルはますます身をすくめ、サーラの後ろに隠《かく》れようとする。サーラの頭の中が、かっと熱くなった。 「……取り消せ」 「あん?」 「デルのことを悪く言うな! 取り消せ!」  サーラは精《せい》いっぱいすごんだ。だが、その声は一年前とほとんど変わらない。以前の印象しかない少年たちにしてみれば、�弱虫サーラ�が女の子の前で強がってみせているようにしか見えない。 「取り消せだと!?」ダリオが鼻で笑った。「誰《だれ》に向かって言ってるんだよ?」 「お前ら全員だ」サーラは怒《いか》りをこめ、ダリオの顔をにらみつけた。「僕のことはどうとでも言え。でも、デルの悪口だけは許《ゆる》さない!」 「ほう? そいつはお前の恋人《こいびと》か?」  一瞬《いっしゅん》だけためらってから、サーラは力をこめて答えた。 「そうだ!」  少年たちはあっけにとられ、続いて爆笑《ばくしょう》した。 「恋人だってよ!」 「ああ、おかしい!」 「女みたいな男に、男みたいな女か、お似合《にあ》いだな!」  サーラの心から恥ずかしさや気後《きおく》れが消えた。こいつら全員をぶん殴《なぐ》りたいという衝動《しょうどう》が、むらむらと湧《わ》き上がる。しかし、右腕《みぎうで》を握《にぎ》り締《し》めているデルの手の感触《かんしょく》が、かろうじてそれを思いとどまらせた。 「……どうとでも言え」サーラの声は震《ふる》えていた。「行こう、デル」  サーラはデルの手を引いて家の方に向かおうとした。しかし、ロブが笑いながら、その肩《かた》をつかんで引き止める。 「おい、待てよ。冒険《ぼうけん》の話ぐらい聞かせろや」 「嫌だね」 「何?」 「お前らに話すようなことは何もない」  ロブの顔から笑いが消えた。 「……街でそんな生意気な口を覚えたか」  彼は肩を引っ掛り、強引《ごういん》にサーラを振《ふ》り向かせた。サーラはその手を払《はら》いのけ、ロブをまっすぐににらみつけた。 「お前こそ、何も変わってないな……」 「あん?」 「成長してないって言ってるのさ」  サーラの感情《かんじょう》は、さっきまでの熱い怒りから、冷たい怒りに変わっていた。殴りたいという衝動に代わって、恥《はじ》をかかせてやりたいという意地の悪い衝動が芽生える。その冷笑の視線《しせん》に、ロブはたじろいだ。 「てめえ……」 「やめとけ。怪我《けが》するぞ」 「何だと!?」  ロブは逆上《ぎゃくじょう》し、殴りかかってきた。  サーラはひょいと身を沈《しず》め、その攻撃をよけた。目標を見失い、たたらを踏《ふ》むロブ。サーラはその腕の下をすり抜《ぬ》けざま、膝《ひざ》の裏側《うらがわ》を蹴飛《けと》ばした。軽い一撃だったが、バランスを崩《くず》していたロブは膝を折り、ぶざまにひっくり返った。  見守っていた四人の少年が、信じられない光景を目にして、息を呑《の》むのが感じられた。 「こいつ……」  ロブは立ち上がってきた。やはり驚《おどろ》いてはいるものの、今のはまぐれだと信じたがっているようだった。�弱虫サーラ�に自分が負けるなんてことが、あるはずがない……今度はつかみかかってきた。サーラはわざと襟首《えりくび》をつかませるように誘いこむと、逆にその手首をつかみ、自分の体を一回転させながら相手の背後《はいご》に回りこんだ。腕をねじり上げられ、ロブは悲鳴をあげる。サーラはその手を放しながら、尻を蹴飛ばした。ロブは前方に転がった。  ロブはむきになって何度もかかってきたが、何度やっても同じだった。サーラは巧《たく》みによけ回り、相手の攻撃《こうげき》の勢《いきお》いを逆用し、死角から急所を打った。その動きには無駄《むだ》がなく、必要|最小限《さいしょうげん》の動作で、着実にロブからダウンを奪《うば》う。少年たちにしてみれば、魔法《まほう》を見ているようだった。  サーラ自身も驚いていた。こいつはこんなにのろかったのか——いや、自分の方が速くなったのだ。筋力《きんりょく》や敏捷《びんしょう》さ自体はそれほど上がってはいないが、技《わざ》の切れが決定的に違《ちが》う。盗賊《とうぞく》ギルドで受けた訓練の成果が発揮《はっき》されているのだ。  多くの人は正しい体の動きというものを知らず、筋肉を無駄に使っている。動作のひとつひとつを改良することで、人は自分の筋肉から最高のスピードと最大の力を絞《しぼ》り出せる。敵《てき》の攻撃を正確《せいかく》に見切り、それをかわしながら素早《すばや》く効果《こうか》的に攻撃を繰り出して、最小限の力で決定的な打撃を与《あた》えられる——それが盗賊ギルドでサーラの学んだことだった。  今のサーラの目には、ロブの動きはまったく隙《すき》だらけに見えた。筋力からすればロブの方が上回っている。村の少年の中でいちばん喧嘩《けんか》が強いのは確かだ。だが、それはしょせん子供《こども》のお遊びにすぎない。サーラが叩《たた》きこまれたのは本物の格闘術《かくとうじゅつ》——実戦で人を殺すために開発されたテクニックなのだから。 「まだやるか?」  七回目のダウンの後、草地に膝をついてへばっているロブに、サーラは声をかけた。手加減《てかげん》していたから怪我《けが》はないものの、ロブのプライドはずたずただった。 「お前らはどうだ?」  サーラは突《つ》っ立っているダリオたちに声をかけた。はあはあ言っているロブと違い、ほとんど呼吸《こきゅう》を乱《みだ》していない。 「あと二人ぐらいなら来てもいいぞ。三人がかりぐらいで、ちょうど互角《ごかく》だろうから」  少年たちはおびえた様子で後ずさった。サーラの強さ自体にではなく、一度として喧嘩に勝ったことのない�弱虫サーラ�のあまりの変貌《へんぼう》ぶりに恐怖《きょうふ》を覚えているのだ。  その時、家の方から「おーい、サーラ」とデインの呼ぶ声がした。 「話はついたぞ。入ってこーい」  サーラにしてみれば、ちょうどいいタイミングだった。ロブたちの方でも逃げ出したくなっているだろうし、自分もこれ以上やりたくなかった。  これ以上やったら、弱い者いじめになってしまう。 「行こう」  サーラはデルの手を取り、家に向かって歩き出した。ロブたちはぽかんとそれを見送るだけだった。 「ほら」デルが少年の脇腹《わきばら》をつき、得意そうにささやく。「あなた、強くなったでしょ?」 「うん。強くなった」  サーラは長年の劣等《れっとう》感が消え、自信が湧《わ》いてくるのを感じた。  いい気分だった。  だが、その気分も、祖父《そふ》ジェリドの前に出ると吹き飛んでしまった。 「ふん……」  一年ぶりに再会《さいかい》した白髪《はくはつ》の老人は、孫に「お帰り」すら言わなかった。記憶《きおく》の中の印象と同じく、たくさんのしわが刻《きざ》まれ、怒《おこ》りっぽくて偏屈《へんくつ》そうな顔をしている。頭の中まで入りこんでくるような鋭《するど》い視線《しせん》で、部屋の反対側の端《はし》からサーラを凝視《ぎょうし》していた。サーラは緊張《きんちょう》し、気をつけの姿勢《しせい》で、金縛《かなしば》りの魔法にかかったかのように立ちつくしていることしかできない。これから何が起きるのかとびくびくしている。勝手に家出し、危険《きけん》な冒険《ぼうけん》を重ねてきたのだ。叱《しか》られるのは当然だろう。殴《なぐ》られるかもしれない。  しかし、そんなことは覚悟《かくご》している。サーラが何よりも恐《おそ》れているのは、冒険者をやめさせられることだった。  デインたちも壁際《かべぎわ》に並《なら》び、固唾《かたず》を呑んで、二人の対決を見守っていた。 「冒険者か……」  ジェリドは吐《は》き捨《す》てるように言って、鷹《たか》のような眼《め》を不愉快《ふゆかい》そうに細め、サーラの全身を上から下へ、下から上へ、舐《な》め回すように観察した。一年前よりいくらか筋肉のついた手足。何度かの実戦を経験《けいけん》し、傷《きず》のついた革鎧《かわよろい》。腰《こし》には黒い鞘《さや》に入った短剣《タガー》——しかし、その顔はまだ幼《おさな》さの残る少年で、母親《ははおや》譲《ゆず》りの美しい金髪には少しのくすみもない。 「この人たちといっしょに、冒険をしてきたそうだな?」  サーラは無言で、こくりとうなずいた。 「怪物《かいぶつ》を倒《たお》したことはあるのか?」  またうなずく。 「何を殺した?」  サーラは考えこんだ。誇張した話を祖父にしたくはなかった。ありのままの真実を話して、理解《りかい》してもらおうと思った。  だが、何を話せばいい? ガドシュ砦《とりで》で百手巨人《ヘカトンケイレス》を倒したのは、魔法《まほう》の薬の助けがあったからで、実力のうちに含《ふく》めたくはない。ザーンの地底で、デルを救うためにゾンビやジャック・オー・ランタンと戦ったのも、自分の力ではなかった。他の多くの戦いも、デインたちを脇《わき》からサポートしていただけだ。あらためて思い起こしてみると、この一年、自分だけの力で成し遂《と》げたことがどれほど少ないかと思い知らされる。 「コボルドを一|匹《ぴき》……」サーラはおずおずと答えた。 「他《ほか》には?」 「後は大ジガバチと、毒蛇《どくへび》と、スケルトン、それに……」 「それに?」  サーラは思いきって言った。 「人を殺しました」  しわの合間に刻《きざ》まれた亀裂《きれつ》のようなジェリドの眼が、わずかに見開かれるのが分かった。 「キャラバンを襲《おそ》ってきた山賊《さんぞく》です」サーラはできるかぎり平板な口調で続けた。「僕《ぼく》がこのダガーで刺して、殺しました」  ジェリドはしばらく何も言わなかった。口を気難《きむずか》しそうに結んだまま、孫から視線をそらせ、壁を、床《ゆか》を、天井《てんじょう》を、ゆっくりと見回す——自分が次に発すべき言葉がどこかに落ちていないか、探《さが》しているかのように。  たっぷり数十秒にも及《およ》ぶ沈黙《ちんもく》の末、いきなりジェリドはテーブルを叩《たた》いた。サーラは飛び上がりそうになった。 「ええい!」老人は腹立《はらだ》たしそうに言った。「叱《しか》る材料が見つからん!」 「え?」  サーラは問い返そうとしたが、老人はもう話すことなどないとでも言うように、サーラの横をすり抜《ぬ》け、部屋から出て行こうとする。デインがその背中《せなか》に声をかけた。 「今夜は集会所に泊《と》めていただいてよろしいでしょうか?」 「勝手にしろ」  小声で言うと、ジェリドはばたんと扉《とびら》を閉《し》めた。その足音が廊下《ろうか》を弱々しそうに遠ざかってゆく。  フェニックスはサーラに向き直り、微笑《ほほえ》んだ。 「どうやらお祖父《じい》さん、あなたのことを許《ゆる》したみたいよ——お祖父さんなりの表現《ひょうげん》でね」 [#改ページ]    6 思い出の捨《す》て場所  サーラにとって少しショックだったのは、使用人のユリアナから「あんたの部屋はもうないよ」と聞かされたことだった。 「あんたが出てって半年ぐらいはそのまんまだったんだけどね」  太った中年女は、サーラの記憶《きおく》の中と同じく、むっつりした表情《ひょうじょう》で、無愛想《ぶあいそう》な喋《しゃべ》り方をした。一年ぶりの再会《さいかい》を歓迎《かんげい》している様子も、迷惑《めいわく》がっている様子もなく、どんな感情を抱《いだ》いているのかよく分からない。 「ある日、ジェリドさんが急に『部屋を片《かた》づけろ。物置にしてしまえ』って言ってね。ベッドは斧《おの》で叩き壊《こわ》して、タンスや布団《ふとん》は使用人に払《はら》い下げて、古着は雑巾《ぞうきん》にして、それ以外のガラクタはまとめて燃やしちまって……今じゃ部屋は物置になってる」  サーラは胸《むね》が詰《つ》まった。半年前と言えば、ちょうど二通目の手紙を出した頃《ころ》だ。あの文面のどこかに、孫は二度と帰ってこないと老人に確信《かくしん》させるものがあったのだろうか。 「お祖父さん、やっぱり怒《おこ》ってた?」 「大声で怒鳴《どな》り散らしやしなかったさ。ぶつぶつ言うことはあったけどね。最初のうちは、あんたがじきに戻《もど》ってくると思ってたみたいだ。『いい薬になる。外の世界のきびしさを叩きこまれりゃいい』とか何とか言って」 「それで?」サーラは気になって追及《ついきゅう》した。「僕が帰ってくる気がないって気がついて、その後は?」 「あん? 別にどうもしやしないさ。もともとジェリドさんは、あんたを牧場の後継《あとつ》ぎにはしたくなかったみたいだし。メリン村に弟の孫が——つまり、あんたのまたいとこがいるから、あんたを勘当《かんどう》して、そいつに継がせるってさ」 「そうか……」  サーラは沈《しず》みこんだ。また自分の家の自分の部屋で眠《ねむ》れることを期待していたわけではないし、牧場を継ぎたいとも思わない。勘当も覚悟《かくご》していた。しかし、ここにはもう自分の帰る場所はないのだと思い知らされるのは、やはり寂《さび》しかった。  もう自分には、冒険者《ぼうけんしゃ》として生きるしか道はないのだ。 「ああ、でも、一回だけ——」 「え?」 「ジェリドさんがね、あんたのことで荒《あ》れたことが一回だけあるよ。部屋を片づけるのを命じる前の晩《ばん》にね。珍《めずら》しく酒を飲みすぎて、乱《みだ》れちまって。『どうしてみんな、わしを置いて行ってしまうんだ』って泣き出してさ。あの時はみんな、気まずかったねえ」  サーラははっとした。「みんな」というのは、早くに死んだ自分の妻《つま》、吟遊詩人《ぎんゆうしじん》と駆《か》け落ちした娘《むすめ》、それにその娘の子であるサーラのことだろう。  内心、祖父も寂しかったに違《ちが》いない。 「ああ、そうそう」  ユリアナは急に何かを思い出したらしく、厨房《ちゅうぼう》の戸棚《とだな》をごそごそとかき回しはじめた。しばらくして、猫《ねこ》が入るぐらいの大きさの布袋《ぬのぶくろ》をひきずり出し、「ほらよ」と乱暴《らんぼう》に放《ほう》り投げた。受け取った瞬間《しゅんかん》、袋の中のものが、からんと乾《かわ》いた音を立てた。困惑《こんわく》しながら袋を開けてみたサーラは、さらに困惑した。  中に入っていたのは、見覚えのある木製《もくせい》のあやつり人形——サーラが持っていた数少ないおもちゃである。人形と言っても、木の円柱を紐《ひも》でつないで人の形にしただけのもので、眼《め》も口もない。乱暴に遊んだためにあやつり紐は何度も切れ、そのたびに結び直したので、いくつもの結び目ができ、ひどく不細工だった。もう何年も遊ばなくなっていたが、なんとなく捨てそびれ、部屋に置きっぱなしにしていたのだ。 「勝手に捨てちゃまずいかと思って、それだけはとっといてやったんだ。感謝《かんしゃ》しなよ」 「あ、うん、ありがとう……」  サーラは口では礼を言いながらも、困惑を隠《かく》せなかった。確かに九|歳《さい》ぐらいまで、この人形で一日に何時間も遊んだものだ。裏庭《うらにわ》を荒野《こうや》に、石や木ぎれを怪物《かいぶつ》に、人形を勇者に見立てて、即興《そっきょう》の人形劇《にんぎょうげき》を演じたのだ。演者も観客も自分一人。捕《つか》まえたカエルと人形を戦わせたこともあるし、城《しろ》のセットを作るために、厨房からたくさんのコップを持ち出して並《なら》べたために(空想の中では、それは大広間に並ぶ円柱だった)、ユリアナにこっぴどく怒られたこともある。  本当の冒険をするようになった今では、もうこんな人形に愛着などはなく、持っていたことさえ忘《わす》れていたぐらいだが、ユリアナはそうは思わなかったらしい。人形を捨てずにおいたのは、彼女なりのサーラに対する思いやりなのだろうか。彼女の中では、サーラは今でも、裏庭で人形遊びをしている孤独《こどく》な子供《こども》なのだろう。 (もう要《い》らないのにな……)  サーラは人形を見下ろして思案に暮《く》れたが、それを口に出すことはできなかった。  その日は旅の疲《つか》れをとるためにゆっくり休み、探索《たんさく》は明日から開始することになった。  午後になって、村の子供たちが集会所にサーラを訪《たず》ねてきた。フレイヤを筆頭とする女の子たちと、年少の男の子たちだ。ロブたち年長の少年は、あんなことがあった後ではさすがに顔を合わせられないらしく、姿《すがた》を見せない。  小さい男の子たちにはそんなこだわりなどはなく、サーラの冒険談《ぼうけんだん》を熱心に聞きたがった。サーラは、デインたちがワイパーンを倒《たお》すのを手伝ったことや、魔法《まほう》の薬で変身して百手巨人《ヘカトンケイレス》を倒したいきさつなどを話して聞かせた。子供には退屈《たいくつ》だと思えるくだりは適当《てきとう》に省略《しょうりゃく》したが、話を誇張《こちょう》することはしなかった。面白《おもしろ》おかしく脚色《きゃくしょく》するほどの技量《ぎりょう》がないこともあるが、ほらを吹《ふ》くのはプライドが許《ゆる》さなかったのだ。  それでも子供たちにとっては魅力《みりょく》的だったらしい。とりわけ、四つ年下のショーンという少年は、すっかり話に引きこまれ、目を輝《かがや》かせていた。僕にあこがれて冒険者になるために家出したらまずいな、とサーラが心配になったくらいだ。  女の子たちは集会所の反対側の隅《すみ》で、デルの周囲に群《むら》がり、街の暮らしや風俗《ふうぞく》について聞きたがった。ザーンにはどんなお店があるの? 岩の中で暮らすってどんな感じ? 女の子はどんな服を着てるの? どんなおしゃれが流行《はや》ってるの?……しかし、口下手であるうえに、おしゃれに興味《きょうみ》のないデルには、うまく答えられない質問《しつもん》ばかりだった。好奇心《こうきしん》いっぱいの女の子たちに押《お》され、すっかりたじたじとなっている。  サーラは男の子たちに話をしながら、合間合間にちらちらとデルの様子をうかがっていた。ザーンでは、デルには同世代の女の子の友達などいなかった。彼女にとって、女の子同士の会話というのは、扉《とびら》の鍵開《かぎあ》けよりも厄介《やっかい》で、山賊《さんぞく》との戦闘《せんとう》よりも大変なことに違いない。それでもサーラに言われたことを守って、何とかフレイヤと仲良くしようと悪戦苦闘しているようだった。やがてフレイヤの方が、この無口で暗い少女をリードしはじめた。サーラにはよく聞こえなかったが、デルに何か講義《こうぎ》しているようだった。  ヘカトンケイレスとの戦いのクライマックスを一気に語り終えた時、サーラはいつの間にかデルや女の子たちの姿が消えていることに気がついた。みんなでどこかに遊びに行ったのだろうか? 「ねえねえ、サーラ。もっとお話ししてよ!」 「お話! お話!」  デルを追いかけたかったが、男の子たちに熱心にねだられてはそうもいかない。サーラは初めてザーンに着いた日に巻きこまれた事件《じけん》——人さらいに捕《つか》まって売り飛ばされそうになったことを話して聞かせた。  さらに二つばかり冒険談を披露《ひろう》すると、もう子供の喜びそうな話のネタはあまり残っていなかった。デルと恋《こい》に落ちたザーンの地下での出来事や、彼女とザーンの空中庭園に忍《しの》びこんだことなどは、プライベートな内容《ないよう》なので話すわけにはいかない。  見かねてデインが助け舟《ぶね》を出した。自然に話を引き継《つ》ぎ、サーラと知り合う前の冒険を語り出す。サーラはほっとして身を引いた。喋《しゃべ》りすぎて、咽喉《のど》がからからになっていた。  水を飲んで休んでいると、フレイヤが集会所に顔を出した。 「サーラ。裏《うら》でデルが呼《よ》んでるわよ」  笑い出したいのを懸命《けんめい》にこらえている表情《ひょうじょう》だ。何か企《たくら》んでるな、とサーラはぴんときた。急に不安になってくる。まさかデルが女の子たちにいじめられているのではないだろうか……。  早足で集会所を出ると、建物の裏手に回りこんだ。角に立っていた鮮《あざ》やかな赤いスカートの少女の横を通りすぎ、あたりを見回す。小さな空き地になっていて、野生《やせい》動物の侵入《しんにゅう》を防《ふせ》ぐ木の柵があり、その向こうはもう森だ。デルの姿は見当たらない。 「サーラ……」  消え入りそうなデルの声に、サーラはびっくりして振《 》り返った。  赤いスカートの少女はデルだった。スカートは膝下《ひざした》まであり、ふんわりと円錐形《えんすいけい》に広がっている。上は白いブラウスと青いベスト。肩《かた》も大きくふくらみ、反対に腰《こし》は細く絞《しぼ》られていて、全体として砂時計《すなどけい》のようなシルエットを構成《こうせい》している。黒い髪《かみ》には白い花を飾《かざ》っていた。  サーラはぽかんとなった。デルのスカート姿など初めてだったのだ。 「あの……フレイヤが……貸《か》してくれたの……」  デルは顔を真っ赤にし、つっかえながら喋った。腕《うで》を腹《はら》の前で交差させ、もじもじしている——以前、彼の前で裸《はだか》になった時は、ちっとも恥ずかしそうではなかったのに。 「もっとおしゃれした方がいいって……似合《にあ》う?」  正直言えば、似合っていなかった。やはりデルに似合うのは黒だ。でも、そんなことは口に出せない。 「あの……似合ってるよ。すごく」  その言葉で、デルの緊張《きんちょう》が少しほぐれたようだった。  彼女の背後《はいご》、建物の向こうから、フレイヤと女の子たちが顔を突《つ》き出し、楽しそうに様子をうかがっていた。サーラが軽くにらみつけると、フレイヤは「後はご自由に」とでも言いたげにウインクして首をひっこめた。他の少女たちも、くすくす笑いながら姿を消す。とりあえず、悪意はなさそうだ。 「えーと……」  サーラは困《こま》ってしまった。フレイヤたちが気を利《き》かせてくれたのはいいが、こういう場合に何を話していいか分からず、間が持たない。まだ少女たちがどこかから覗《のぞ》き見しているかもしれないので、キスするわけにもいかない。 「あの……どこか散歩に行こうか? 晩《ばん》ごはんには、まだ時間あるし」  デルはこくりとうなずく。 「そうだ。ちょっと待ってて」  サーラは家の方に取って返すと、布袋《ぬのぶくろ》を持って戻《もど》ってきた。 「何なの?」 「うん、ちょっとね——行こう」  サーラは柵の木戸を開け、デルの手を取って、森の中の小道に分け入っていった。  森は記憶《きおく》とちっとも変わっていなかった。樹々《きぎ》はあまり密生《みっせい》していないが、張《は》り出した枝と木の葉が頭上を覆《おお》っていて、やや薄暗《うすぐら》い。あちこちに夕方の陽射《ひざ》しが斜《なな》めから差しこみ、黄金色のビームとなってきらめいていた。鼻孔《びこう》を刺激《しげき》する腐葉土《ふようど》の匂《にお》いも、どこか懐《なつ》かしい。  曲がりくねった細い道を何分か歩くと、もう村は樹々の向こうに見えなくなった。板を渡《わた》しただけの簡素《かんそ》な橋のかかった小川に出たが、橋は渡らず、川岸に沿《そ》って上流に向かう。水面に突き出た石の上をジャンプして進まねばならない場所もあり、スカートのせいで難渋《なんじゅう》するデルを、サーラは手を引いて導《みちび》いてやった。  見覚えのあるテーブル状《じょう》の大きな岩があった。ベッド二つ分ぐらいの広さがあり、上の面が柔《やわ》らかい苔《こけ》に覆われていて、夏に水浴びした後など、ここに裸《はだか》で横たわるのが気持ちよかった。  そこから川をそれ、背《せ》の高い樹が立ち並《なら》ぶ道のない斜面《しゃめん》を登る。傾斜《けいしゃ》はけっこう急で、手を使わないと登れなかった。デルはフレイヤに借りたスカートを汚《よご》さないように気を遣《つか》っている。 「どこまで行くの?」 「もう少し——秘密《ひみつ》の場所があるんだ」  サーラはそれ以上、説明しなかった。デルむ黙々《もくもく》とついて来る。 「ここだ」  小川から五分ほど登ったところで、サーラは立ち止まった。斜面から突き出した太い樹の根元だ。土が崩《くず》れて根の一部が露出《ろしゅつ》している。見たところ、そんな特別な場所のようには見えない。 「ここが?」 「そうさ」  サーラは雑草《ざっそう》をかき分け、根の間にはきまった子供《こども》の頭ぐらいの石を引き抜《ぬ》いた。その奥《おく》、巨木《きょぼく》の下の地中には空洞《くうどう》があった。びっしりと生えている細いひげ根が土を支えているので、穴《あな》が崩れないのだ。さらに土をかき出し、入り口を広げる。 「……誰《だれ》か来るわ」 「え?」  サーラは作業の手を止めた。なるほど、たった今登ってきた斜面から、落ち葉や雑草を踏みしめる音が、かすかに聞こえてくる。樹々の合間にちらっと人影《ひとかげ》が動くのも見えた。フレイヤたちがつけてきたのだろうか? 「隠《かく》れよう」  サーラはデルの手を引いて、巨木の後ろに回りこんだ。子供二人ぐらいなら隠れられる太さがある。デルは目立つ赤いスカートをたぐり寄《よ》せ、樹の蔭《かげ》からはみ出さないようにした。  足音は着実に近づいてくる。一人だけのようだ。サーラたちはざらざらした樹の肌《はだ》にへばりつき、息をひそめた。  樹の向こう側を通り過《す》ぎる時、尾行者《びこうしゃ》が「ふー」と息を吐《は》くのが聞こえた。フレイヤの顔を予想していたサーラは、思いがけない男の声に驚《おどろ》いた。 「メイガス!?」 「ああ?」  ドワーフは仰天《ぎょうてん》して振《ふ》り向いた。ひどく狼狽《ろうばい》している。ベテランの冒険者《ぼうけんしゃ》である自分が後ろを取られるとは、思ってもいなかったのだろう。 「何してるの、こんなとこで?」 「ああ、いや、ちょっと散歩さ」  あまりにも見えすいた言い訳《わけ》に、サーラは脱力《だつりょく》した。道もない山の中を散歩するのも不自然なら、何の目的もなしに歩いていて偶然《ぐうぜん》に自分たちの歩いた道をたどるというのも不自然だ。 「……つけてきたんだね?」  サーラに軽蔑《けいべつ》の目で見られ、メイガスは言い逃《のが》れできなくなった。ばつが悪そうに頭を下げる。 「いや、すまん。おまえらが森の中に入って行くのを見たもんでな。どこに行くのか気になって、つい……」 「だからって、つけなくても」 「いやあ、おまえらがいかがわしいことをしようとしてるなら、叱《しか》りつけてやろうかと思ってな。その、ほら……まだ早すぎるだろ?」  サーラはあきれて肩《かた》を落とした。 「そういうのを余計《よけい》なお世話って言うんだよ」 「すまんすまん——で、こりゃ何だ?」  メイガスは巨木の根元に目をやり、露出《ろしゅつ》した黒っぽい土——サーラの作業|途中《とちゅう》の形跡《けいせき》に気がついた。サーラはがっかりして、怒《おこ》る気も失せてしまった。 「あーあ、これで秘密《ひみつ》じゃなくなっちゃったよ」 「秘密?」 「これさ」  サーラは空洞の中に腕《うで》を突《つ》っこみ、ひと握《にぎ》りの硬いものを探《さが》し当てた。腕を引き抜き、手を広げて、デルとメイガスに見せる。 「ほう、水晶《すいしょう》か?」  メイガスは少年の土まみれの手に握られた三|個《こ》の透明《とうめい》な結晶を見つめたが、あまり興味《きょうみ》をそそられた様子はなかった。水晶はどれも子供の手の平より小さく、ひびが入っていたり曇《くも》っていたりして、上等とは言えない。売っても菓子代《かしだい》ぐらいにしかなるまい。 「昔はよく、そこの小川で水晶を探してたんだ。それをここに隠しておいたんだよ。ここなら誰にも取られないから」 「それを取りに来たのか?」 「いや」  サーラは水晶をなかば投げ捨《す》てるようにして穴の中に戻《もど》した。人形と同様、幼《おさな》い頃《ころ》は大切な宝物《たからもの》だったが、本物の宝探しをやっている今では、馬鹿《ばか》らしくて大事にしようとは思わない。 「これを隠しに来たんだ」  持ってきた袋《ふくろ》の口を広げ、中に入っていた人形を二人に見せる。メイガスはますます怪訝《けげん》な顔をした。 「木の人形なんかそんなとこに入れたら、湿気《しっけ》で腐《くさ》っちまうぞ?」 「いいんだ。捨てるんだから」  そう言って、袋ごと空洞の中に押《お》しこんだ。 「小さい頃、よく遊んだおもちゃだったんだ。でも、もうこんなので遊ぶ歳じゃないし。だからって、そこらに捨てるのも何となく……」 「愛着がある?」 「まあね」  サーラは曖昧《あいまい》な返事をした。この感情《かんじょう》を説明するのは難《むずか》しい。大事に保管《ほかん》しようという気はまったくないのだが、ただ捨てるのも心苦しい——生命も心も持たない、ただの人形だというのに。 「だからここに隠すんだ」空洞《くうどう》の入り口に元通りに石をはめこみながら、サーラは説明した。「僕《ぼく》だけの秘密の場所で、ひっそりと腐っていってくれればいい」  それは道端《みちばた》に捨てるのとどう違《ちが》うのか、と問われれば、答えに窮《きゅう》する。サーラにとっては違いがあるのだ。 「まあ、分からねえでもないな。俺《おれ》にもガキの頃、そういう場所があったからな」メイガスは懐《なつ》かしそうに言うと、のんびりとあたりを見回した。「ここはいい場所だ」 「そう?」サーラは石と根のすきまに土を詰《つ》める作業に熱中していた。 「ああ。道からも離《はな》れてるし、目立つ印もねえ。埋めて何週間かすりゃあ、跡《あと》は目立たなくなる。山にはこれだけたくさんの樹があるんだし、誰かが偶然《ぐうぜん》に掘《ほ》り出すことなんて、百万にひとつもねえだろうよ」 「うん」サーラはうなずいた。そう思ったから、ここを選んだのだ。 「俺はいつも不思議に思うんだ。何で古代王国の奴《やつ》らは、手間かけて地下|迷宮《めいきゅう》なんか建設《けんせつ》して、宝を隠したのかって。そうだろ? 迷宮があればそこに宝があると分かるから、どんな罠《わな》を仕掛《しか》けようが、いずれ誰かに奪《うば》われちまう。盗《と》られたくなけりゃ、場所を知られないこった。こういう山の中に埋めちまって、何の目印も残さないのが一番さ」 「それだと、自分も隠し場所を忘《わす》れちゃうんじゃない?」 「何の違いがある? どっちみち、あの世まで宝は持って行けねえんだ。誰かに盗られるのも、土の中で腐ってゆくのも、同じことさ」 「そうだね」  作業を終わらせると、サーラは立ち上がり、手についた土を払《はら》った。まだ土の色が周囲と少し違うが、メイガスの言う通り、じきに落ち葉や草に覆《おお》われ、目立たなくなるだろう。 「他の人に言わないでよ」 「言うもんかい!」ドワーフは髭《ひげ》を揺《ゆ》らして笑った。「だいたい、そんなガラクタ、欲しがる奴なんていやしねえだろ?」 「まあね」 「……ほんとにいいの?」デルが小声で訊《たず》ねた。「大切にしてたものだったんでしょう?」 「いいんだ。あいつの役目はもう終わったんだ」  名もない人形に別れを告げると、サーラは二人とともに坂を下りはじめた。  隠し場所から遠ざかるにつれ、それまで感じなかったかすかな痛《いた》みが胸《むね》を苛《さいな》みはじめた。ほんのりと温かい、幸福感にも似《に》た痛みだ。ある時期、あの人形と遊んだ時間は、生身の人間とつき合っている時間より長かったかもしれない。それほど人生の中で大きな位置を占《し》めていた人形だったのだと、あらためて気がついたのだ。  名前をつけなかったのは、友達ではなかったからだ。サーラはいつも、人形を未来の自分だと夢想《むそう》して遊んでいた。空想の中ではどんな冒険《ぼうけん》も自由|自在《じざい》だ。たくましくなった未来の自分は、広い世界を回って冒険する。迷宮を探索《たんさく》し、悪人や怪物《かいぶつ》をやっつけ、宝物《ほうもの》を手に入れ、みんなから英雄《えいゆう》として賞賛《しょうさん》される……。  孤独《こどく》な子供《こども》の幼稚《ようち》な現実逃避《げんじつとうひ》だ。だが、小さな世界に閉じこもっていたからこそ、大きな世界にはばたく夢《ゆめ》が育《はぐく》まれたのかもしれない。ささやかな現実に満足している者は、夢など見ないだろうから。あの頃《ころ》の自分の幼稚な人形遊びが、今の自分を形成したと言えるかもしれない。  ふと奇妙《きみょう》な感覚に襲《おそ》われ、サーラは自分の手を見下ろした。そこに見えない紐《ひも》が結ばれているような気がしたのだ。紐の端《はし》は空の上、遠い時の彼方《かなた》へ伸《の》びていて、そこでは幼い自分が紐を引き、今の自分を操《あやつ》っている……。  いや違う、とサーラはその感覚を否定《ひてい》した。今の自分は、幼い時に空想していた未来の自分ではない。本物の冒険が子供の空想とはまるで違うことを知っている。この手はすでに人を殺した手だ。たとえ悪人でも、人を殺すというのは重苦しく、胸が痛む行為《こうい》であることを知っている——それはあの頃の自分が、決して空想できなかったことだ。  サーラは歩きながら乱暴《らんぼう》に手を振《ふ》り、想像上《そうぞうじょう》の紐を引きちぎった。同時に、何かがふっ切れたような気がした。  子供の頃の夢は、しょせん夢にすぎないのだ。そのまま現実になることなどありはしない。英雄なんて簡単《かんたん》になれるものではない。それでもサーラは、夢が破《やぶ》れたとは思わなかった。現実の冒険がどんなものか知ったことで、新たな夢が生まれた。今はその夢を追って生きている。  これがミスリルの言う「自分は大人だ」と思える瞬間《しゅんかん》なのだろうか。 「そうだ、デル」  帰り道、ふと思いついて、サーラは話しかけた。メイガスはずっと先を歩いているので、聞かれる心配はない。 「何?」 「ごめん、さっきのは嘘《うそ》だ」 「え?」 「その服が君に似合うと言ったのは嘘だ。君らしくない。いちばんきれいなのは、やっぱりいつもの格好《かっこう》の君だ」 「…………」 「確《たし》かに君は変わってる女の子だ。でも、僕はそういう君が好きなんだ。無理に普通《ふつう》の女の子みたいに振舞《ふるま》わなくていい。そのままの君でいい」  デルは歩きながら少しうつむき、黙《だま》りこくっていた。やはりその横顔は読みにくい。感動しているようにも、悲しんでいるようにも見えるのだ。機嫌《きげん》を悪くしたんだろうか、とサーラは心配になった。デルも本当は、普通の女の子のようにおしゃれをしてみたかったのではないか……。  村が見えてきた頃、ようやくデルは口を開いた。 「……ありがとう」少女の声は震《ふる》えていた。「私も、そう言ってくれるあなたが好き」  彼女が気分を害していないと知り、サーラはほっとした。 「でもサーラ、まだ嘘ついてる」  サーラはびっくりして立ち止まった。「え? 何のこと?」  デルも立ち止まり、腕組《うでぐ》みをして、真正面から挑戦《ちょうせん》的な視線《しせん》を投げかけてきた。 「私がいちばんきれいなのは、いつもの格好じゃないはずよ」 「え?」 「いちばんきれいなのは——」  デルは声を低くした。眼《め》を眠《ねむ》たげに細め、猫《ねこ》のように軽く舌《した》なめずりをして、なまめかしく微笑《ほほえ》む。たったそれだけのことで、その表情《ひょうじょう》は一瞬にして大人の女のそれに変貌《へんぼう》した。 「何も着ていない私のはずよ。そうでしょ?」  予想していなかった直撃《ちょくげき》をくらい、サーラは絶句《ぜっく》した。デルの変貌はほんの数秒のことで、またすぐに無邪気《むじゃき》な少女の顔に戻《もど》る。「ふふ」と笑うと、真っ赤なスカートをひるがえし、呆然《ぼうぜん》と立ちすくんでいる少年を置き去りにして、村の方へ駆《か》け出していった。 [#改ページ]    7 地底へ  翌朝《よくあさ》、探索が開始された。  問題の地下|迷宮《めいきゅう》への入り口は、あっけないほど簡単に見つかった。�半月の丘《おか》�の西側のふもと、草に覆《おお》われた斜面《しゃめん》が森と溶け合うあたりに、あの地図の通り、子供の背丈《せたけ》ほどの高さの角ばった白い石灰岩《せっかいがん》が四つ、正方形の頂点《ちょうてん》を成す配置で地中から突《つ》き出している場所があったのだ。四つの石の中央では、斜面から土が瘤《こぶ》のように不自然に盛《も》り上がっていて、草に覆われていた。  サーラがそれを覚えていなかったのも無理はない。ここを遊び場にしている村の子供《こども》たちにとって、そんなものは慣《な》れ親しんだ風景の一部にすぎず、まったく気に留《と》めなかったのだ。 「見な。土の質《しつ》が違《ちが》う」  斜面にかがみこみ、表面の土を軽く掘《ほ》り返して、メイガスが指摘した。なるほど、草の下から覗《のぞ》いている土は、やや色が薄《うす》いうえに、大量の小石が混じっていて、丘を構成している黒っぽい土とは異なるようだ。しかし、そんなことは言われなければ気がつくものではない。  デインも石ころをいくつかつまみ上げ、しげしげと観察した。 「確かにこれは、どこか他から持ってきたもののようだな」 「誰《だれ》かが穴《あな》を埋《う》めたってこと?」とサーラ。 「たぶん、コボルドのしわざだろう。穴に入った後で、内側から土を埋めてふさいだに違いない。人間が入ってこないように——どれ、掘ってみるか」  村から借りてきたスコップで土を掘り返してみると、すぐに石に突き当たった。人工的に切り出された平らな石が、横に並《なら》べられている。さらに掘り進むと、その奥《おく》に同じような石の列が、一|段《だん》低く並べられていた。  階段だ。 「よし、俺にまかせろ」  ミスリルがそう言って進み出た。階段の傾斜角《けいしゃかく》を確認《かくにん》し、「方向はこんなものかな」とつぶやくと、小声で精霊語《サイレントスピリット》を唱える。|土の精霊《ノーム》に呼《よ》びかけ、石や地面に穴を開ける魔法《まほう》だ。  サーラは目をみはった。ミスリルの「トンネル」の魔法を目にするのはこれが初めてではないが、見るたびにわくわくする。土の表面が内側にくぼみ、黒い穴が現《あら》われたかと思うと、瞳孔《どうこう》が開くように大きくなってゆくのだ。人間が通れるほど大きくなった穴は、さらに階段の傾斜に沿《そ》って、ぐんぐん深くなっていった。円筒《えんとう》の容器《ようき》の底から水が抜《ぬ》けるように、土が奥へ奥へと退《ひ》いてゆくのだ。  ほんの数秒で、地下に向かう斜《なな》め四五度のトンネルが完成した。断面《だんめん》は完全な円形で、下の方にはえぐられた階段の断面がノコギリ状《じょう》に見えている。土だけでなく硬《かた》い石までもが消滅《しょうめつ》してしまうのは、サーラには不思議だった。草や木の根はノーム系《けい》の精霊《せいれい》魔法には反応《はんのう》しないため、トンネルの|天井《てんじょう》からは根がびっしりと垂《た》れ下がっていた。 「ほう。どうやら一発でうまく貫通《かんつう》したようだな」  真っ暗なトンネルを覗きこんで、メイガスが感心した。ドワーフは闇《やみ》を見通す能力《のうりょく》があり、洞窟《どうくつ》の中でも明かりなしで行動できる。サーラたちには暗くてよく見えないトンネルの底まで見えるのだ。 「底はどうなってる?」 「部屋か通路のようだが、よく分からん。降《お》りてみねえとな——この穴、どれぐらい持つ?」 「ゆっくり一〇〇数える間ぐらいは、充分《じゅうぶん》に」とミスリル。 「よし。まず、俺が潜《もぐ》ろう」  メイガスは手早くロープを自分の腰に結びつけ、端《はし》をデインに渡《わた》した。 「悲鳴が聞こえたら引っ張《ぱ》り上げてくれよな」  そう言って、トンネルに足から飛びこんだ。ざらざらという音を立てて、尻を使って滑《すべ》ってゆく。その丸っこい姿《すがた》はたちまち闇に溶けこみ、見えなくなった。デインはロープを繰《く》り出しながら、勢《いきお》いがつきすぎないよう調整する。その間にサーラたちは、火口箱《ほくちばこ》からランタンに火を移《うつ》し、地下に潜る準備《じゅんび》をした。  ロープが半分あたりまで伸《の》びたところで、急に強く引っ張られたかと思うと、手ごたえがなくなった。同時に「あうっ!」という声が穴の奥から響《ひび》く。メイガスが底に着いたに違いない。 「だいじょうぶか?」 「ちょっと尻餅《しりもち》をついただけだ——ちょっと待って」  一〇秒、二〇秒……サーラたちが緊張《きんちょう》して待っていると、穴からまた声がした。 「いいぞ、みんな降りて来い。最後に尻餅をつかないようにな」  デインはロープの端を石に結びつけた。それを伝ってミスリルが滑り降りてゆく。続いて、杖《つえ》の先に魔法の光を点したフェニックス。サーラとデルもランタンを持ってそれに続く。しんがりはデインだ。  真っ暗なトンネルを地底に向かって滑り降りるのは、不安な気分だった。ましてこの穴《あな》は一時的なものなのだ。通過《つうか》する途中《とちゅう》、何かの原因《けんいん》で魔法《まほう》が解《と》けて、地中に生き埋《う》めになるのではと考えると、サーラは空気がたっぷりあるにもかかわらず息苦しさを覚えた。ミスリルは「穴はゆっくりと元に戻《もど》るから、中の人間は外に押《お》し出されるだけさ」と説明してくれたことはあるのだが……。  斜《なな》めのトンネルの最後は、垂直《すいちょく》の落とし穴になっていた。メイガスが尻餅について警告《けいこく》したのは、このためだったのだ。もっとも、すぐ下に通路の床《ゆか》が見えていて、飛び降りるのはたいして難《むずか》しくはなかった。サーラは先に降り、デルが天井から降りてくるのを手助けした。  最後にデインが降りてくるのを待つ間、サーラはランタンを高く掲《かか》げ、あたりの状況《じょうきょう》を確認《かくにん》した。未知の場所に来た場合、常《つね》に周囲に目を配り、危険《きけん》な兆候《ちょうこう》を見逃《みのが》さない——それが冒険者《ぼうけんしゃ》の鉄則《てっそく》だ。  天然の洞窟に手を加えた通路のようだった。壁《かべ》や天井は自然の岩肌《いわはだ》がほぼそのまま利用されている。二人が並《なら》んで歩けるぐらいの幅《はば》しかなく、天井も低い。床は歩きやすいように平坦《へいたん》に削《けず》られていたが、元の洞窟の形状に合わせて左右にうねりながら、奥《おく》に向かってゆるやかに下ってゆくのが分かる。  そこは上に向かう通路の突《つ》き当たりだった。奥の壁には階段《かいだん》があったらしいが、岩や石ころがびっしり詰《つ》めこまれてふさがれている。例の落とし穴は頭上にあった。ミスリルが魔法で開けたトンネルの角度が浅く、通路の天井に出口が開いてしまったのだ。さほど大きな失敗とは言えない。角度が深かったり、少しでも左右にそれていたら、もう一度魔法をかけ直さなくてはならなかったところだ。  ついに来たんだ——サーラは胸《むね》が高鳴るのを覚えた。初めての冒険でやって来た場所、自分が冒険者としての人生をスタートさせた場所に、また戻ってきたのだ。  デインが降りてきて少しすると、トンネルがしだいに縮《ちぢ》まりはじめた。奥の方から岩がせり出してきて穴を埋め、やがてすっかり元の岩肌に戻ってしまった。取り残されたロープだけが、岩の中に埋めこまれ、木の根のように天井から垂《た》れ下がっている。 「もしもお前さんが死んだら」メイガスはミスリルに笑いかけた。「俺《おれ》たちはここから出られなくなるわけだな」 「その時は自分で穴でも掘《ほ》ってくれ。ドワーフなら得意だろ?」 「はは、そりゃ願い下げだな——どれ、行くとするか」  一行はメイガスとミスリルを先頭にして歩きはじめた。しんがりはデインとフェニックス。半人前のサーラとデルは、彼らにはさまれている。  これは洞窟《どうくつ》や迷宮《めいきゅう》、狭《せま》い山道などを進む際《さい》、彼らがいつも用いる隊形だった。メイガスの暗視《あんし》能力とミスリルのオーラ感知能力が敵《てき》の出現《しゅつげん》を警戒《けいかい》する一方、ミスリルは盗賊としての鋭《するど》い観察眼《かんさつがん》で罠《わな》がないか探《さが》す。デインたちは後ろからの奇襲《きしゅう》に備《そな》える。いざ戦闘《せんとう》になれば、フェニックスは背《せ》の低いデルやメイガスの頭越《あたまご》しに魔法を飛ばして援護《えんご》できる。強敵のようなら、デインが前に出てミスリルと交替《こうたい》する……。  あのキャラバンの夜襲のように、広い場所での戦闘でないと、サーラたちの出番はまずない。自分たちがお荷物ではないかと感じるのは、こういう時だった。  通路はゆるやかに傾斜《けいしゃ》し、地下深くへと続いていた。曲がりくねり、前方が見通しにくい。極端《きょくたん》に狭くなって、一人ずつ体を横にしないと通れないところもある。そういう場所で待ち伏《ぶ》せを食らったら危険《きけん》なので、たびたび歩みを止めては、ミスリルかメイガスが斥候《せっこう》として先行した。危険がないと判断《はんだん》すると前進を再開《さいかい》する。パーティは止まったり動いたりを繰《く》り返し、なかなか進めなかった。 「なるほど、キマイラがこっちの道から出たくなかったのも分かるぜ」  狭い場所を苦労して進みながら、メイガスがぼやいた。彼の横に広い体形もさることながら、愛用の長いハルバードは、洞窟の中ではひどくじゃまだった。  やがて、別の広い洞窟に出た。天井《てんじょう》はそれまでの倍ほどの高さになり、丸みを帯びた底には、ひとすじの地下水がちょろちょろと流れている。 「ねえ、あの音って……」  フェニックスが注意をうながした。それは他の者たちもすでに気づいていた。ずっと上流の方から、ごうごうという水音が響《ひび》いてくるのだ。明らかに地下水が流れるだけの音ではない——膨大《ぼうだい》な量の水が落下する音だ。 「ああ、間違《まちが》いない」デインは自信たっぷりに微笑《ほほえ》んだ。「あの地底湖だ」  地底湖への道に、障害《しょうがい》はほとんどなかった。途中《とちゅう》、コウモリを食っていた数匹《すうひき》のコボルドに出くわしたが、メイガスがハルバードを振り回して大声で威嚇《いかく》すると、あっさり逃《に》げ出した。 「あいつら、僕《ぼく》たちのこと、覚えてるのかな?」  サーラが素朴《そぼく》な疑問《ぎもん》を口にすると、メイガスは豪快《ごうかい》に笑った。 「俺は新顔だぜ? 連中、俺様のこれに恐《おそ》れをなしたのさ」  そう言って、得意げにハルバードを振りかざす。 「そいつをお前さんの首だと思ったのかもな」ミスリルがからかった。「丸い胴体《どうたい》に細長い首のついた変な怪物《かいぶつ》が現《あら》われたと思って、びっくりしたんだぜ」  サーラたちは笑ったが、メイガスだけはむっとしていた。無論《むろん》、軽い冗談《じょうだん》であり、ミスリルに悪意などないのは、みんな承知《しょうち》している——容姿《ようし》のことで椰倫《やゆ》される辛《つら》さを、誰よりもよく知っているのはミスリルなのだから。 「油断《ゆだん》するなよ。仲間を呼《よ》びに行ったのかもしれん。たかがコボルドでも、数が多くなると厄介《やっかい》だからな」  デインはそう注意したが、それ以後、コボルドはまったく現われなかった。人間から逃《のが》れて洞窟で長く暮《く》らすうちに、すっかり臆病《おくびょう》な性格《せいかく》になったのだろうか——あるいは、本当にデインたちのことを覚えていて、キマイラを殺した恐ろしい連中がまたやって来たとおびえているのかもしれない。  上流に向かって歩くにつれ、滝《たき》の音はだんだん大きくなってきた。やがて前方に見覚えのある青い燐光《りんこう》が見えた。それに元気づけられ、サーラたちは足を速めた。  唐突《とうとつ》に、広大な空間に出た。ごうごうという水音が洞窟全体に反響《はんきょう》し、耳が痛《いた》い。サーラたちにとっては二度目の来訪《らいほう》だが、初めて目にするメイガスは「おお」と驚《おどろ》きの声を上げた。デルも目を丸くしている。  家が何軒《なんけん》もすっぽり入ってしまいそうな大空洞《だいくうどう》だ。全体としてパンケーキのような形をしており、天井からは無数の鍾乳石《しょうにゅうせき》が垂《た》れ下がっている。ザーンの中央広場に比べると、幾何学《きかがく》的な正確《せいかく》さには欠けるし、大きさの点でも見劣《みおと》りするのは否《いな》めない。しかし、ザーンには決してない美しさが、そこにはある。この洞窟には人の手がまったく加わっていない。驚異《きょうい》的な偶然《ぐうぜん》が生み出した純粋《じゅんすい》に天然の造形物《ぞうけいぶつ》なのだ。  洞窟の底には、ほぼ円形をした小さな湖があった。水底にある大量の鉱石《こうせき》が、青く神秘《しんぴ》的な燐光を放ち、洞窟全体を薄明《うすあ》かりで包んでいる。湖の中央には透明《とうめい》な水の柱が高くそそり立っていた。天井の中央の裂け目から、澄《す》んだ地下水が垂直《すいちょく》に落下しているのだ。水柱の基部《きぶ》からは水煙《すいえん》が上がり、それが水底からの燐光に青く彩《いろど》られて、幻想《げんそう》的な光景をいっそう不思議なものに見せていた。滝を中心として、湖には同心|円状《えんじょう》の波が常《つね》に発生しており、水底の光を妖《あや》しくゆらめかせている。  湖の周囲は三日月状の岸辺になっていた。針葉樹林《しんようじゅりん》がまるごと魔法《まほう》で石化されたかのように、人の背《せ》よりも高い何百もの石筍《せきじゅん》が林立する様は、少し不気味である。湖からあふれ出した水は、三日月の欠けた部分から、別の細い洞窟へと流れ出していた。前回、サーラたちはそっちから入ってきたのだ。 「きれい……」  デルがサーラの耳に口を寄《よ》せ、うっとりとささやいた。サーラも無言でうなずく。 「あの青い石をいくつか持って帰りたいところだな」水音に負けないよう、デインが大きな声で言った。「前回は忘《わす》れていたが、性質《せいしつ》を調べれば何か分かるかもしれない」 「何かって?」とサーラ。 「何か、だよ。分からないから調べてみるんだ」 「調べたら分かるの?」 「何か分かるか、それとも何も分からないか、それこそ調べてみるまでは分からない。だから調べるんだ」  いかにもデインらしい言い方に、サーラの顔はほころんだ。レグの出産前後、ひどくおろおろして取り乱《みだ》していたデインだったが、最近になってようやくいつもの調子が戻《もど》ってきたようだ。 「おう、あの穴《あな》だぜ」  ミスリルが石筍の森の向こうにある横穴を指差した。サーラはそれに見覚えがあった。  キマイラと出会った場所に通じる穴だ。  一行は地底湖の岸辺で休憩《きゅうけい》することにした。持ってきた干《ほ》し肉とパンで昼食をとる。ここまで歩き詰めだったし、ここから先、迷宮《めいきゅう》の奥《おく》まで、休む場所がないかもしれない。どんな敵《てき》が現《あら》われるかも分からない。それに備《そな》えて、今のうちに体力を回復《かいふく》しておく必要があった。 「ねえ、サーラ……」  食事中、デルが耳に口を寄せ、ささやきかけてきた。滝の騒音《そうおん》のせいで、近くにいる他の者にも、二人の会話は聞こえない。 「ん? 何?」 「メイガスの様子が変よ」  サーラはメイガスの方に目をやった。ドワーフは離《はな》れた場所に座《すわ》り、干し肉をかじりながらこちらを横目で見ていたが、サーラに見られると慌《あわ》てて視線《しせん》をそらした。 「今朝から、やけに私のことを見てる気がするの。ゆうべ、つけてきたのだって……」 「君に気があるのかな」 「まさか」  もちろんサーラも本気で言ったのではなかった。ドワーフが人間の女性に、それも年端《としは》もいかない少女に惚《ほ》れるなど、聞いたこともない話だ。ドワーフと人間では審美眼《しんびがん》が根本的に異なっている。人間には不細工に思えるドワーフの女性が、ドワーフの男性には美しく見えるのだ。 「本気で僕たちのこと、心配してるのかもしれないね」 「だとしたら本当に、余計《よけい》なお世話だわ」 「うん。ドラゴンに食われろだ」  サーラは笑って、その話題を打ち切った。メイガスは荒《あら》っぽい反面、堅物《かたぶつ》なところのある男だ。若《わか》い恋人《こいびと》たちのことを彼なりに気にかけているが、それを器用に表現できなくて、ぎこちない行動を取ってしまうのだろう——サーラはそう想像《そうぞう》した。  食事を終えると、一行はまた隊列を二列に組みなおし、横穴に入っていった。前回の探索《たんさく》で、迷うような横道などなく、途中《とちゅう》に罠《わな》などないことも分かっていた。コボルドに高度な罠を仕掛《しか》けるような知恵《ちえ》もないはずだ。それでも用心に越《こ》したことはない。先頭を歩くメイガスとミスリルは、警戒《けいかい》を怠《おこた》らなかった。  キマイラと戦った場所が近づくにつれ、サーラはトンネルを滑《すべ》り降《お》りる時に感じた息苦しさが、また戻ってくるのを感じた。もうキマイラはいない。だから恐《おそ》れることはないはずだ——そう思っていても、キマイラの毒蛇《どくへび》の尻尾《しっぽ》が首にからみついた時の嫌《いや》な感覚を思い出し、つい首に手をやってしまうのだ。 「サーラ、どうしたの?」  デルが小声で問いかけた。 「あ、いや、たいしたことない」  サーラは慌《あわ》てて首から手を離《はな》した。 (そうだ、あの時より僕は強くなってるんだぞ)少年は自分に言い聞かせた。(今度、キマイラか、キマイラみたいな怪物《かいぶつ》が現われたら、今度こそデインたちの足手まといにならない。ひと太刀《たち》でもいいから浴びせてやる……)  気がつくと、前方にまた青い光が見えた。前回の終着点に近づいているのだ。 「ここだったな……」  洞窟《どうくつ》の出口付近の少し広くなった場所で、ミスリルが立ち止まった。床《ゆか》には人間のものではない骨《ほね》が散乱《さんらん》している。一同はそれを取り巻いた。  メイガスがしゃがみこみ、自分の身長ほどもある湾曲《わんきょく》した骨を拾い上げ、しげしげと眺《なが》めた——キマイラのあばら骨だ。 「ほう? さすがに一年も経《た》つと、すっかり骨になってるな……」 「何が肉を食べちゃったんだろう?」サーラはおそるおそる疑問《ぎもん》を口にした。「コボルドかな?」 「それなら死体ごと巣にひきずって行くんじゃないか?」とデイン。 「じゃあ、何?」 「洞窟にも小動物は棲《す》んでるさ。ネズミとか虫とか……そういうのが少しずつかじっていったんだろうな。後は自然に腐《くさ》って分解《ぶんかい》して……」 「このドクロは?」メイガスが細長い頭蓋骨《ずがいこつ》を拾い上げた。「馬か羊の頭みてえだが……そうか、キマイラってのは、背中《せなか》に山羊《やぎ》の頭がついてるんだったな」  それを見て、サーラはぎょっとして立ちすくんだ。一瞬、《いっしゅん》頭蓋骨のうつろな眼窩《がんか》が自分を見つめ、嘲笑《あざわら》ったような気がしたのだ。あの山羊の頭だ。あいつが僕に呪《のろ》いをかけたんだ……。 「ああ、僕たちはライオンの頭だけを切り取って、村に持って帰ったんだ」デインが説明する。「他の部分は必要なかった」 「確《たし》かにな。山羊の頭なんて役に立たねえや」  メイガスは笑って、頭蓋骨を床に無雑作《むぞうさ》に放《ほう》り投げた。頭蓋骨は床にぶつかり、乾《かわ》いた音を立てて割れた。もうこちらを見つめてはいない。サーラは視線《しせん》から解放され、ほっとした。  これで呪いも解《と》けるといいのだが——いや、そんなうまくはいかないだろう。呪いを解くには、キマイラ以上の強い魔力《まりょく》か、ややこしい儀式《ぎしき》が必要だと聞いている。山羊の頭を砕《くだ》いたぐらいで、どうなるものでもあるまい。  一行はまた広い空洞に出た。今度は人の手が加わった場所だった。一方の壁《かべ》にはあの燐光《りんこう》を放つ鉱石《こうせき》が埋《う》めこまれた石柱が等間隔《とうかんかく》に並《なら》び、空洞全体を青く照らし出している。反対側の壁には大量の石がうず高く積み上げられ、土手を形成していた。土手は人の視線よりもずっと高く、その向こうは見えない。 「ここだ」デインは土手の上を指さした。「あそこからキマイラが現《あら》われて、戦闘《せんとう》になった。だから僕たちは、あの向こうには行ってない」 「ここより未知の土地ってわけか?」メイガスはにやりと笑った。「ぞくぞくするねえ。行ってみようじゃねえか」  よほどお宝《たから》との対面を待ちわびているのだろうか、デインたちの同意を待たずに、メイガスは土手をよじ登りはじめた。しかたなく、他の者も後に続く。  石は崩《くず》れやすく、慎重《しんちょう》に一歩ずつ足場を確認《かくにん》しながら登らなくてはならない。体重があるうえ、金属鎧《きんぞくよろい》に身を包み、片手《かたて》に長いハルバードを抱《かか》えたメイガスよりも、こういう場合はサーラの方が有利だ。先に土手の上に達し、敵《てき》がいないのを確認すると、ハルバードをつかんで、難渋《なんじゅう》しているメイガスをひっぱり上げてやった。 「すまんな、坊主《ぼうず》」  メイガスは礼を言うと、その場の状況《じょうきょう》を確認した。土手の頂部《ちょうぶ》は少し平坦《へいたん》になっていて、奥《おく》の壁には四角い入り口があった。  その頃《ころ》には他の者も全員、土手を登ってきていた。 「やっぱりな」推理《すいり》が当たったので、デインは得意そうだった。「あれが迷宮《めいきゅう》の裏口《うらぐち》だ。迷宮を掘《ほ》り進む際《さい》に出た土や石ころを、ここに捨《す》ててたんだ。おそらく最終的には裏口もふさぐつもりだったんだろうが……」 「ということは、この迷宮は未完成なの?」とサーラ。 「ああ。作っていた魔術師《まじゅつし》が何らかの理由で計画を放棄《ほうき》したか……」 「それとも」フェニックスがささやいた。「志《こころざし》なかばで殺されたか……」 「たぶんな」  サーラははっとした。「迷宮の主が殺されたとしたら、迷宮も荒《あ》らされてるってことじゃないの? もう宝は残ってないんじゃ……?」 「いや、そうは思えん」とデイン。「だとしたら、キマイラが残っていた理由が分からない。たぶん、あいつは留守番《るすばん》役だったはずだ。つまり、迷宮の主は外出していて死んだんだと思う。殺されたのか、あるいは自然死したのか……」 「殺されたのよ」  フェニックスの静かだが自信にあふれた口調に、ミスリルは怪訝《けげん》な顔をした。 「なんでそんなことが分かる?」  フェニックスは曖昧《あいまい》に肩《かた》をすくめた。 「そんな気がするの——何となく」 [#改ページ]    8 罠《わな》を抜《ぬ》けて  四角い入り口から入ってしばらく歩いた。最初は岩盤《がんばん》をくり抜いただけの、岩肌《いわはだ》がむきだしになった粗雑《そざつ》な横穴《よこあな》だったが、すぐに石造《いしづく》りのちゃんとした通路に変わった。ここでも壁に等間隔に鉱石が埋めこまれ、うっすらと明るい。それでも細部を見分けられるほどの明るさはなく、ランタンや魔法の明かりが欠かせなかった。  通路はすぐにドアに突《つ》き当たった。鍵《かぎ》はかかっていない。まずミスリルが室内に入り、罠がないのを確認して、他の者を招《まね》き入れた。正方形の部屋で、家具も何もなく、がらんとしている。ドアは奥の壁にひとつ、右側の壁にひとつ。左側の壁には、侵入者《しんにゅうしゃ》を威嚇《いかく》するかのように、角の生えた悪魔の顔のレリーフがあった。フェニックスは「悪趣味《あくしゅみ》ね」と一蹴《いっしゅう》した。  メイガスは持ってきた古い地図を広げ、部屋の構造《こうぞう》と見比《みくら》べた。これまでのところ、確かに地図の通りのようだ。 「こっちのドアが」と、メイガスは右のドアを指差した。「迷宮の入り口に通じてる。あっちのドアが奥だ」  さっそく奥のドアに向かうメイガスを、デインが引き止めた。 「まず入り口の方から調べておこう」 「どうして? 何か罠があるかもしれねえぜ」メイガスは奥に行きたくてうずうずしているようだった。「不必要な危険《きけん》を冒《おか》すこたぁねえだろ」 「いや、迷宮を守る怪物《かいぶつ》が入り口に配置されていたら、そいつに後ろから襲われる危険がある。先に潰《つぶ》しておいた方がいい。それに、もし入り口を内側から開ける方法があれば、帰りはそこから出られるしな」  メイガスは少し考えてから、しぶしぶ「よし、そうしよう」と言った。  入り口に通じるドアにも鍵はかかっていなかった。ミスリルは罠がないのを確認《かくにん》し、ノブを回した。廊下《ろうか》を少し歩くと、問題の部屋があった。 「ここが入り口か?」  |光の精霊《ウィル・オー・ウィスプ》を飛ばして室内を照らし、ミスリルは不審《ふしん》そうに言った。さっきの部屋と同じぐらいの広さだが、床《ゆか》は円形をしており、やけに天井《てんじょう》が高い。おまけに湿《しめ》っぽく、石を積み上げて作られた壁面《へきめん》には苔《こけ》が生えていた。まるで井戸《いど》の底のようなのだ。床には一面に黒い鋳物《いもの》の鉄格子《てつごうし》がはまっている。その下は暗くて見えにくいが、一階下にもうひとつ部屋があって、湿った土が堆積《たいせき》しているようだ。  床の中央には奇妙《きみょう》な石像《せきぞう》が立っていた。ほぼ等身大で、上半身がミミズク、下半身が山羊《やぎ》の姿《すがた》をした悪魔《あくま》の像である。やや人間のそれに似《に》た顔には、人を小馬鹿《こばか》にしたような嫌《いや》らしい笑《え》みが刻《きざ》まれていた。これも長いこと雨《あま》ざらしになっていたかのように、全身に汚《よご》れがこびりつき、苔むしている。 「地図にはそう書いてあるんだがな」メイガスが首を傾《かし》げる。 「しかし、それらしいものがないぞ」  そう、部屋には彼らが覗《のぞ》きこんでいるドア以外、ドアが見当たらないのだ。  ミスリルはかがみこんで床の鉄格子に顔を近づけた。拳《こぶし》で叩《たた》いてみたり、揺《ゆ》らしてみたりして、しっかり固定されていることを確認する。 「落とし穴じゃないな」彼は困惑《こんわく》していた。「だいたい落とし穴なら、わざわざ下に別の部屋があることを見せはしないだろうし」 「この鉄格子が開いて、下の部屋から外に出られるとか」 「いや、これは開くようになってないし、下の部屋にもドアらしいものがない」 「あの土の中に怪物が隠《かく》れてるってことは?」 「どうかな。生命のオーラは見えない。虫が何匹《なんびき》かいるぐらいだ」  精霊使《せいれいつか》いであるミスリルは、生物の発しているオーラを見ることができるのだ。もっとも、土の中に隠れているものまでは見えないし、ガーゴイルやゴーレムのように魔法で創造《そうぞう》された生物はオーラを発していない場合が多く、油断《ゆだん》はできない。 「だが、あの土はそんなに厚《あつ》みがないように見える。潜《ひそ》んでいるとしても、大きなやつじゃなさそうだ」 「あの変な像はガーゴイル?」  二人の脇《わき》から室内を覗《のぞ》きこんで、サーラがささやいた。前に別の迷宮でガーゴイルに出会ったことがあるが、ずいぶん形が違《ちが》っている。 「調べてみるわ」  フェニックスが杖《つえ》をかざし、「魔法感知《センス・マジック》」の呪文《じゅもん》を唱えた。 「間違いない。あの像には魔法がかかってるわ」 「じゃあ、やっぱりガーゴイル?」 「さあ、そこまでは分からない」  魔法感知《センス・マジック》の呪文は、物品に魔法がかかっているかどうかを見分けられるだけで、魔法の種類までは分からないのだ。 「近寄《ちかよ》って確《たし》かめるしかねえか……」  メイガスはハルバードを構《かま》え、室内に足を踏《ふ》み入れた。鉄格子の上をそろそろと歩き、像に近づいてゆく。デインとミスリルも後に続く。ガーゴイルとは前にも戦ったことがあり、たいして強くないことを知っている。三人がかりなら簡単《かんたん》に倒《たお》せるだろう。フェニックス、サーラ、デルの三人は、万一に備《そな》えて、彼らの後方で援護《えんご》する態勢《たいせい》だった。  しかし、予想に反して、三人が接近《せっきん》しても、像は微動《びどう》だにしなかった。鉄格子の下の部屋から怪物が起き上がってくることもない。  メイガスがハルバードの先で像を小突《こづ》いてみたが、硬《かた》い音がしただけだった。 「これは……ただの像だな」  彼らは拍子抜《ひょうしぬ》けした。同時に、この部屋の謎《なぞ》が再浮上《さいふじょう》してきた。いったいこの像にかかっている魔法は何なのか。それに、地図には確かに「入り口」と書いてあるのに、どうして突き当たりなのか……。 「隠し扉《とびら》があるんじゃないの?」  サーラが言ったが、デインはかぶりを振《ふ》った。 「隠し扉というのは、外からの侵入者《しんにゅうしゃ》を防《ふせ》ぐためのものだ。内側から隠す必要はない」 「あの穴《あな》は?」  フェニックスは鉄格子|越《ご》しに下の部屋を覗きこみ、壁と床の隙間《すきま》に開いた狭《せま》い穴を発見していた。穴は床の周囲に全部で四つあり、どれも頑丈《がんじょう》な鉄格子《てつごうし》がはまっている。堆積した土にふさがりかけているものもあった。 「排水口《はいすいこう》だろう。あんなところから出入りできるのはネズミぐらい……」  そう言って、デインは自分の言葉にはっとなった。 「排水口? どこから水が流れてくるんだ?」  デインは周囲を見回した。壁《かべ》の石組みはきわめて緻密《ちみつ》で、どこにも水が出てきそうな隙間や穴がない。それなのに、こんなに湿《しめ》っぽく、苔《こけ》まで生えているのはどうしたことか。それに像が雨ざらしになっているように見えるのは……?  彼はしゃがみこみ、あらためて鉄格子を観察した。 「ぜんぜん錆《さ》びてないな。何かの魔法的《まほうてき》な処理《しょり》がされているのかも……ん?」  彼は鉄格子にこびりついていた小さな黒いものをつまみ上げた。 「落ち葉……?」  それはかなり腐食《ふしょく》してはいるが、確かに落ち葉の断片《だんぺん》だった。 「ねえ……」デルが天井《てんじょう》を見上げて、ぽつりと言った。「鳥の声が聞こえる……」  一同ははっとして頭上を見た。人の背《せ》の一〇倍近くはあろうかという高さにある天井は、岩盤《がんばん》がむきだしになっている。たとえそのすぐ上が地上だとしても、厚い岩の壁を通して鳥の声が聞こえるはずがない……にもかかわらず、デルの言う通り、かすかに烏の声がするのだった。 「なあ、フェニックス……」天井を見上げながら、メイガスが言った。「この悪魔の像……名前を知ってるか?」 「いいえ」とフェニックス。 「俺《おれ》は知ってる。何年か前、古文書で読んだことがある。レッサー・デーモン——マリグドライだ」  そのとたん、何かが爆発《ばくはつ》したように、天井全体が真っ白に輝《かがや》いた。サーラたちは思わず顔を覆《おお》う。その瞬間《しゅんかん》、誰《だれ》もが死を意識《いしき》した。  しかし、覚悟《かくご》した痛《いた》みも衝撃《しょうげき》も訪《おとず》れなかった。おそるおそる顔を上げてみる。室内は明るく照らし出されていたが、まぶしいほどではなかった。強烈《きょうれつ》な光の炸裂《さくれつ》のように見えたのは、迷宮《めいきゅう》の薄暗《うすぐら》さに慣《な》れた目が、突然《とつぜん》の明るさに順応《じゅんのう》できなかったからだ。彼らはぽかんとなって天井を見上げた。  天井は消滅《しようめつ》していた——頭上はるかに、青く平和な秋空が見える。  メイガスは笑い出した。 「……どうなってるの?」サーラがきょとんとして訊《たず》ねる。 「天井なんてありゃしなかったのさ! マリグドライは——」  メイガスがその単語を口にしたとたん、青空が消え、室内は闇《やみ》に沈《しず》んだ。目が薄暗がりに慣れるのに、また何秒かかかった。 「……幻覚《げんかく》を得意とする悪魔なんだ」 「天井が幻覚だったのか!?」 デインは驚嘆《きょうたん》した。 「そういうことだ。この悪魔の像が幻《まぼろし》を投影《とうえい》してるんだろう。合言葉を口にすることで、消したり出したりできるんだ。外側はたぶん、岩に偽装《ぎそう》してあるんだろうよ。誰もそこが入り口だとは気づかねえわけだ」  サーラは意外な真相に声も出なかった。部屋の中が雨ざらしになっていた理由が、これで分かった。わざわざ床《ゆか》を鉄格子にしたのも、雨が溜《た》まらないようにするために違《ちが》いない。  風に運ばれてきた土や落ち葉も下の部屋に落ちて、ほとんどが雨といっしょに排水口から流れていっただろうが、それでも数世紀のうちに厚《あつ》く堆積《たいせき》していたのだ。 「だが、どうやって出入りする?」 「腕《うで》のいい魔術師《まじゅつし》なら、空を飛べて当然だわ」フェニックスは最初の衝撃から立ち直り、すっかり感心していた。「たいした技術《ぎじゅつ》の持ち主ね、この迷宮の主《あるじ》は」  サーラはあることに思い当たり、「あっ」と声を上げた。 「それでキマイラはここから出られなかったんだね? 空を飛べないから」 「そういうことね」 「入り口なんて普通《ふつう》に作りゃいいじゃないか」  ミスリルはぶすっとしていた。仕掛《しか》けを見抜《みぬ》けなかったのが悔しいのだ。 「それこそ簡単《かんたん》に発見されてしまうわ。崖《がけ》のてっぺんとか、急斜面《きゅうしゃめん》の途中《とちゅう》とか、人が近づかない場所に穴《あな》を開けて、さらに幻覚でそれを隠《かく》す——うまい手だわ。げんに五世紀も発見されなかったんだし」 「いや、納得《なっとく》いかん」ミスリルは床の鉄格子をブーツの底でかんかんと蹴《け》った。「こんな構造《こうぞう》にしなくても、屋根をつければ済《す》むことだろう? 意味がない」 「それがこの迷宮の主のこだわりだったんじゃないの? きっと彼なりの美学なのよ。人と違うことを考えつくのが」 「ただのひねくれ者だ」ミスリルは腰に手を当て、憤然《ふんぜん》とした口調で断言《だんげん》した。「迷宮の仕掛けには遣《つく》り手の性格《せいかく》が反映《はんえい》される——これを造ったのは絶対《ぜったい》、性格の歪《ゆが》んだ奴《やつ》だ」  一行は最初の部屋に戻《もど》り、もうひとつのドアに入ってみることにした。  通路は左に二回折れ、さらに右に折れて、奥《おく》に続いていた。両側にはいくつかのドアが並《なら》んでいる。これも地図の通りだ。ドアには鍵《かぎ》のかかっているものもあったが、ミスリルの腕前なら開けるのはたやすかった。  寝室《しんしつ》、書斎《しょさい》、厨房《ちゅうぼう》、便所……人が生活するための区画だ。ベッドがひとつしかないところを見ると、この迷宮の主は一人で生活していたらしい。  あいにく、めぼしい収穫《しゅうかく》はなかった。迷宮の主は芸術に興味《きょうみ》がなかったらしく、内部は殺風景で、美術品の類《たぐ》いはまったく見当たらない。装飾《そうしょく》らしきものといえば、通路のところどころにある悪魔の顔のレリーフぐらいのものだ。おまけに入り口から湿気《しっけ》がじわじわと侵入《しんにゅう》していたせいか、木製《もくせい》の家具はかなり傷《いた》んでおり、棚《たな》の書物もぼろぼろになっていた。  荒廃《こうはい》、という言葉がサーラの頭に浮《う》かんだ。この迷宮は何世紀も、帰らぬ主人を待ち続けているのだ。 「迷宮の主は、そんなに長く外出するつもりじゃなかったらしいな」デインが推理《すいり》を口にした。「何年も留守《るす》にするなら、もっと戸締《とじま》りを厳重《げんじゅう》にして、湿気の対策《たいさく》もしただろう」  たった一人でどうやってこんな迷宮を建設《けんせつ》できたのか——という謎《なぞ》は、通路の奥のドアを開けたら、あっさりと解けた。両側の壁《かべ》に、何十体もの人骨《じんこつ》が並んでいたのだ。ミスリルが室内に首をつっこんだとたん、そいつらはもぞもぞと動きはじめた。 「アンデッドじゃない!」とミスリル。「ボーン・サーバントだ!」  ボーン・サーバントは人間の骨から作られた小型のゴーレムだ。スケルトンに似《に》ているが、複雑《ふくざつ》な命令をこなせるため、作業に適している。アンデッドではないので、デインの神聖《しんせい》魔法はあまり役に立たない。 「下がって!」  フェニックスの声に、ミスリルは素早《すばや》く後退《こうたい》してしゃがみこんだ。フェニックスはその頭越《あたまご》しに「|氷の嵐《ブリザード》」を撃《う》ちこむ。一瞬《いっしゅん》、空気が真っ白に染《そ》まったかと思うと、激《はげ》しく渦巻きはじめた。轟音《ごうおん》とともに、小石ほどの氷の破片《はへん》を含《ふく》んだ竜巻《たつまき》が室内を荒《あ》れ狂《くる》う。ボーン・サーバントたちは無数の氷の矢に撃たれて、ダンスのように手足をばたつかせ、何体かはばらばらに砕《くだ》け散った。冷気はサーラたちのいる通路にまで流れこんできた。  嵐《あらし》が去った後、霜《しも》で白く染まった室内には、まだ二〇体以上のボーン・サーバントがうごめいていた。しかし、ほとんどがひどい損傷《そんしょう》を受けている。腕が欠け落ちているもの、脚《あし》が折れて動けないものも多かった。 「もう一発、行く?」とフェニックス。 「いや、魔法を無駄使《むだづか》いするな」  デインたちは白い霧《きり》の漂《ただよ》う室内に飛びこみ、残っているボーン・サーバントの掃討《そうとう》をはじめた。数が多いとはいえ、ボーン・サーバントは動きが鈍《にぶ》いので、熟練《じゅくれん》した戦士にとってはたいして強敵ではない。包囲されないように注意していればいいだけだ。  デイン、メイガス、ミスリルの三人が、半円形の陣《じん》を組んで前進してゆく。デインのレイピアやメイガスのハルバードが振《ふ》り下ろされるたびに、ボーン・サーバントは確実《かくじつ》に一体ずつ潰《つぶ》されていった。魔法《まほう》で授《さず》けられたかりそめの生命の火が消えると、人骨は結合力を失い、ばらばらになって床《ゆか》に散らばった。  サーラとデルも戦いを手助けした。陣形の両翼からちょこまかと出入りし、敵がデインたちの背後《はいご》に回りこまないよう守りつつ、倒《たお》れている敵にとどめを刺すのだ。すでにかなり傷《きず》ついていたボーン・サーバントは、少年が蹴飛《けと》ばすだけで簡単《かんたん》に崩《くず》れ去った。ボーン・サーバントはみんな武器《ぶき》を持っておらず、攻撃《こうげき》も単調で、よけるのは簡単だった。一度だけ、肩《かた》を殴《なぐ》られたぐらいだ。  ほんの数分で戦闘《せんとう》は終了《しゅうりょう》した。サーラははあはあと犬のように息をしながら、室内を見回した。  床一面に膨大《ぼうだい》な量の骨《ほね》が散乱《さんらん》していた——これだけの人骨を、迷宮《めいきゅう》の主がどうやって調達したのか、あまり想像《そうぞう》したくない。これらがすべて、かつては生きている人間だったと思うと、気分が悪くなる。自分が死後もこんな風に使役《しえき》されるところを想像すると、恐怖《きょうふ》とともに憤《いきどお》りを覚える。ボーン・サーバントを元の骨に還《かえ》してやるのは、死者に対する慈悲《じひ》と言えるだろう。  デインが呼吸《こきゅう》を整えながら、全員を見回した。「怪我《けが》はないか?」  五人はうなずいた。サーラは殴られた肩が少しうずいたが、こんなものは傷のうちに入らない。 「よし、奥《おく》に進むぞ」  その先の通路は、あからさまに怪しかった。両側の壁にずらりと、小さな悪魔の顔のレリーフが並《なら》んでおり、床には黒と白の市松|模様《もよう》にタイルが敷《し》き詰《つ》められているのだ。正方形のタイルの一|枚《まい》一枚は、ちょうど足を載《の》せられる大きさだった。 「サーラ、ちょっと来てみろ」  通路の手前に這《は》いつくばって床を調べていたミスリルが、サーラを呼んだ。サーラは彼の隣《となり》に腹這《はらば》いになった。 「この黒いタイルを押《お》してみろ——軽くだぞ」  言われた通り、サーラは黒いタイルの表面に手を当て、軽く力を加えた。わずかだが、吸いこまれるような感覚がある。 「……沈《しず》むね」 「白い方はどうだ?」  白いタイルに手を当て、同じように押してみる。 「沈まない」 「そう。黒が危険《きけん》、白は安全ってわけだ」  サーラは顔を上げ、壁《かべ》のレリーフに目をやった。悪魔の顔はどれも、大きく口を開けて笑っている。 「黒を踏《ふ》むと、あの口から何か出てくるんだね?」 「ああ。物騒《ぶっそう》なものがな。どこかに解除《かいじょ》する仕掛けがあると思うんだが、さすがにそこまでは分からん」  ミスリルは立ち上がり、胸《むね》についた埃《ほこり》を払《はら》った。 「白いタイルを踏んで行こう。先頭は俺と——」 「俺は後衛《こうえい》に回らせてくれ」とメイガス。「そそっかしいから、前から何か出てきたら、うっかりタイルを踏んじまうかもしれん」 「よかろう」ミスリルはうなずいた。「じゃあ、サーラ、前に出ろ」 「いいの?」 「不服か?」 「いや、そうじゃなくて……」  不服どころか、前衛に出してもらえるのが嬉《うれ》しいのだ。だが、そんな心境《しんきょう》を説明するのも気恥《きは》ずかしい。  サーラはミスリルと並んで、通路の手前に立った。緊張《きんちょう》し、ごくりと唾《つば》を飲みこむ。通路の長さは、普通《ふつう》の歩幅《ほはば》ならほんの二〇歩ほど。すぐにドアに突《つ》き当たる。しかし、その通路が今は途方《とほう》もなく奥行きがあるように感じられる。 「いいか。一歩ずつだぞ。足の裏《うら》の感触《かんしょく》を確認《かくにん》して進むんだ」 「うん」 「絶対《ぜったい》に悪魔の口の前で立ち止まるな。それと、何かあったら白いタイルだけを踏んで駆《か》け戻《もど》る——できるか?」 「と思う——いや、できる」 「その意気だ。行くぞ」  二人は深呼吸して、そろそろと最初の一歩を踏み出した。  ただ歩くだけなのに、それは緊張し、神経《しんけい》をすり減《へ》らす難業《なんぎょう》だった。白いタイルは安全らしいが、油断《ゆだん》は禁物《きんもつ》だ。一歩ずつ、爪先《つまさき》でタイルに少しずつ体重をかけ、沈まないことを確認して進むのだ。同時に、左右に並ぶ悪魔の口にも注意を払う。もし罠《わな》が作動し、口から何かが飛び出してきたら、直撃だけは避《さ》けなくてはならない。  慎重《しんちょう》に、慎重に——少年の動作はゆっくりと落ち着いているように見えたが、小さな心臓《しんぞう》は激《はげ》しく鼓動《こどう》し、呼吸《こきゅう》も乱《みだ》れていた。ほんの小さな失敗が死に直結するのだ。心の中は恐怖《きょうふ》でいっぱいで、今にも叫《さけ》び出したい気分だ。  これは罠との戦いじゃない——と、サーラは悟《さと》った。自分の心との戦いだ。緊張に負けてパニックに陥《おちい》れば自滅《じめつ》する。  ミスリルが前衛に出してくれた理由が分かる。これは試練だ。冒険者《ぼうけんしゃ》として生きる以上、こうした緊迫《きんぱく》した状況《じょうきょう》には何度も遭遇《そうぐう》するだろう。それを克服《こくふく》するだけの強い心がなければ、生きのびることはできないのだ。サーラはそれに気がつき、弱音を吐《は》きそうになる自分を叱咤《しった》し、いっそう気を引き締《し》めた。  二〇歩ほどの距離を進むのに、五分はかかっただろうか。サーラにとっては何時間にも匹敵《ひってき》する長丁場だった。ようやく通路の端《はし》のドアにたどり着いた時には、ふらふらで気を失いかけていた。だが、まだ気を抜《ぬ》くわけにはいかない。ドアの向こうに何があるか分からないのだ。  ミスリルがドアの鍵《かぎ》を開け、隙間《すきま》から中を覗《のぞ》きこんだ。 「怪物《かいぶつ》はいないようだ。床《ゆか》は——」  しゃがんで床を調べる。 「よし、罠はない。入っていいぞ」  サーラはほっとして、転がりこむように室内に入った。恐怖から解放されると同時に、試練をやり遂《と》げた歓《よろこ》びがどっと押し寄せてくる。 「みんな来ていいぞ。白は安全だ」  ミスリルの呼びかけに、デインたちも通路を歩いてきた。念のために、一人ずつ、白いタイルを踏んで進む。デイン、フェニックス、デルと続き、しんがりはメイガスだった。 「研究室のようだな」  室内を見回し、デインが感想を述《の》べた。部屋の中央には大きな机《つくえ》があって、ガラスでできた形も大きさも様々な容器《ようき》が並《なら》んでいる。中には薬品が入っていたらしいが、とっくに乾燥《かんそう》して、灰《はい》のようになっていた。  念のためにフェニックスが「魔法感知《センス・マジック》」の呪文《じゅもん》をかけたが、魔法《まほう》の品らしいものは見つからない。 「この奥《おく》だ」メイガスは地図と見比《みくら》べて言った。「この奥にもうひとつ部屋がある。宝珠《オーブ》はそこにある」  進むしかないようだ。ミスリルは部屋の奥にあるドアを開けた。その向こうの通路には、また市松|模様《もよう》の床、それに悪魔の顔のレリーフがあった。長さもさっきの通路とほとんど同じだ。 「変わりばえのしない罠《わな》だな。芸がない」  床を調べて、ミスリルがせせら笑った。 「やっぱり白が安全だ——行くぞ、サーラ」  さっきと同じように、サーラはミスリルと並んで進みはじめた。要領《ようりょう》が分かったので、歩調も少しだけ速い。一度|突破《とっぱ》した罠だけに、さっきよりは気は楽だ。  だが、サーラの心には割《わ》り切れないものがあった。魂《たましい》の奥で何かが警鐘《けいしょう》を鳴らしている。あまりにもうまくいきすぎる——あっさりと罠を突破できたことで、かえって気分がもやもやするのだ。 「ねえ、ミスリル」  新たな白いタイルに足を載《の》せながら、サーラは小声で言った。二人はすでに、通路の真ん中あたりまで来ている。 「何だ?」 「さっき、迷宮《めいきゅう》の仕掛《しか》けには造《つく》った人の性格《せいかく》が反映《はんえい》されるって言ってたよね?」 「ああ、それが?」  ミスリルの返事は上《うわ》の空だった。十数|枚目《まいめ》の白いタイルに体重をかけ、次のタイルを足で探《さぐ》っている。 「この迷宮を造ったのは、悪い奴《やつ》だと思うんだ。あちこちに悪魔の像《ぞう》やレリーフがあるし、キマイラは暗黒魔法を使ってた。人間の骨《ほね》をあんなふうに手下にしてたのだって……」 「たぶんな」  サーラは少し口ごもってから言った。 「あの……気を悪くしないでよ」 「何だ?」 「悪い奴って、たいてい黒が好きなんだよね」  ミスリルの黒い顔が、一瞬ひきつった。次のタイルに踏み出しかけていた足が、ぴたりと止まる。 「……お前の言う通りだ」しばしの沈黙《ちんもく》の後、ミスリルは不気味なほど静かな口調で言った。「白が正解《せいかい》ってのは、しっくり来ない」  振《ふ》り返って、タイルの数を数え直した。端から端まで三六列。今載っているタイルはその中間、一八列目だ。  ミスリルはあらためて右足を前に出し、一九列目の白いタイルにそっと爪先《つまさき》を載せた。  しかし、踏み出そうとしない。サーラはミスリルの横顔がひどく無表情《むひょうじょう》で、見たこともないはどこわばっているのに気がついた。  肌《はだ》が黒くなければ、顔が蒼《あお》ざめているのが分かっただろう。 「……気がついて良かった」 「やっぱり?」 「ああ、罠だ」  ミスリルはそろそろと足をひっこめた。今度は黒いタイルを探り、沈まないことを確認《かくにん》して足を載せる。 「ここからは黒が正解なんだ。ずっと白が正解だったから、油断《ゆだん》して調べるのがおざなりになってた。白は安全だと思いこませて、白を踏ませるためのトリックなんだ」ミスリルは歯ぎしりした。「まったく、陰険《いんけん》な野郎《やろう》だ」  そこから先、二人は黒いタイルを踏んで進んだ。しかし、最後の三列に差しかかったところで、またミスリルは足を止めた。 「ちくしょう!」 「どうしたの?」 「ここだけ、また白が正解だ!」  ミスリルは今や、会ったこともない迷宮の主に、激《はげ》しい怒《いか》りを燃《も》やしていた。 「こいつは絶対《ぜったい》、歪《ゆが》んでやがる!」 [#改ページ]    9 迷宮《めいきゅう》の守護者《しゅごしゃ》  六人は最後の部屋に足を踏み入れた。  これまでのどの部屋よりも大きな部屋だった。天井《てんじょう》も高い。奥《おく》の壁《かべ》には悪魔《あくま》か暗黒神を象《かたど》ったものらしいグロテスクな石像が立っている。大きな翼《つぼさ》を持ち、背丈《せたけ》は人間の三倍はあった。頭部はドラゴンのようで、冷酷《れいこく》そうな眼《め》で侵入者《しんにゅうしゃ》を見下ろしている。左右の壁には、あの青い鉱石《こうせき》を埋《う》めこんだ石の円柱が並《なら》び、神殿《しんでん》のような雰囲気《ふんいき》だ。財宝《ざいはう》を守る番人との戦闘《せんとう》を予期していたが、動くものは何もなかった。  静かすぎるぐらい静かだ。  石像の手前には祭壇《さいだん》のようなものがあった。大きな直方体形をしており、人間の背よりもいくらか高く、手前には階段《かいだん》がある。祭壇の上には燭台《しょくだい》のような形の金属製《きんぞくせい》の台座《だいざ》があり、黒い球体が載《の》っていた。  サーラは息を呑《の》んだ。球体は真っ黒ではなく、かすかに赤くきらめいている。ランタンの光を反射《はんしゃ》しているのではなく、内側から光が洩《も》れているのだ。以前に見た、ザーンの水源《すいげん》を維持《いじ》している魔法のオーブと、大きさも色も違《ちが》うが似《に》た雰囲気があった。素人《しろうと》の目にも魔法の品だと分かる。  じっと見ていると、説明のつかない畏怖《いふ》を覚える。子供《こども》の頭ほどしかない球体が、なぜか巨大《きょだい》なものであるかのような圧迫《あっぱく》感を発しているのだ。内部に封《ふう》じこめられた力が、魂《たましい》にじかに伝わってくるようだ。 「あれが『力の宝珠《オーブ》』……」 「そのようね」  確認のため、フェニックスは「魔法感知《センス・マジック》」の呪文《じゅもん》を唱えた。 「あの玉は間違いなく魔法の品ね。かなり強い反応《はんのう》がある」室内をぐるりと見渡《みわた》して、「他《ほか》には魔法の反応はないわね」 「あの彫像《ちょうぞう》は?」とデイン。 「魔法はかかってないわ。ただの彫像よ」 「そりゃ良かった」メイガスはほっとした。「あの大きさのゴーレムとは、さすがに戦いたくねえからな」  ミスリルは祭壇に歩み寄《よ》った。階段を慎重《しんちょう》に調べる。 「罠《わな》はないようだな……」 「そうか。じゃあ、ちょっくら——」  階段を上ろうとするメイガスを、ミスリルが止めた。 「待て。まだ何かあるかもしれん」  メイガスは笑った。「用心深いんだな!」 「そうじゃない。この迷宮の主の性格《せいかく》を信用できないだけだ。これで終わりってことはないはずだ」  そう言って、階段の三段目に足をかけ、背伸《せの》びをする。ちらっとだけ祭壇の上を覗《のぞ》き見て、すぐに頭をひっこめた。 「水槽《すいそう》になってる」 「水槽?」 「ああ。オーブの台座より奥は、大きな穴《あな》になってるんだ。祭壇全体が空っぽで、中に水がたまってる」 「水は澄《す》んでたか?」デインが訊《たず》ねた。 「ああ、澄んでるように見えた。危《あぶ》なそうだから、中まで覗きこまなかったが」 「ということは、新鮮《しんせん》な水を供給《きょうきゅう》する仕掛《しか》けがあるんだろうな。そうでなかったら、とっくに蒸発《じょうはつ》してるはずだし」 「罠なの?」とサーラ。 「どうだろうな。何かの儀式《ぎしき》に使うのかもしれないが……」 「いや、罠だ」ミスリルは断言《だんけん》した。「そう考えるべきだ」 「罠だとしても、どんな罠だ?」 「そこまでは分からん。俺《おれ》もこんな仕掛けは初めてだ。だが、罠だと考えて間違いない」  ミスリルは祭壇をにらみ、思案した。 「どんな罠なんだ……」  何分もの沈黙《ちんもく》が続いた。ミスリルはもちろん、サーラたちも、この部屋に隠《かく》された最後の罠を見破《みやぶ》ろうと、懸命《けんめい》に思考をめぐらせている。メイガスだけは、目の前にある財宝を早く取りたくていらいらしていた。 「俺の考えでは」ミスリルがようやく口を開いた。「何か侵入者をおびえさせる仕掛けがあるんだと思う」 「おびえさせる?」とサーラ。 「怪物《かいぶつ》なのか、幻影《げんえい》なのか、毒ガスか、それは分からん。侵入者は恐怖《きょうふ》に陥《おちい》って、逃《に》げ出そうとする。もちろん、出口はひとつしかない——あの罠のある通路だ」 「だが、罠があることはもう知ってるぞ」メイガスが反論《はんろん》する。 「ああ。しかし、慌《あわ》てふためいた状態《じょうたい》で、それを覚えていられるか? 覚えていたとしても、走りながら正確《せいかく》にタイルを踏《ふ》めるか? 最初の三列は白、次の一五列は黒、最後の一八列は白だ。どうだ?」  メイガスはうなった。 「確《たし》かに難《むすか》しいな……」 「だろ? 逃げようとする者は、そこにあると分かってる罠にひっかかることになる。この迷宮《めいきゅう》の主の性格からして、そういう皮肉なことを考えてやがると思うんだ」 「じゃあ、どうするの?」とサーラ。「このまま帰るわけにもいかないでしょ?」 「もちろんだ。お宝《たから》を目の前に引き下がるなんて、盗賊《とうぞく》のプライドが許《ゆる》さん」 「その推理《すいり》が正しいとして」デインの表情《ひょうじょう》はいつになく引き締《し》まっていた。「僕《ぼく》たちにできる最善《さいぜん》の方法は、何が起きても逃げ出さずに、この部屋にとどまることだな。怪物が現《あら》われても、踏みとどまって戦うんだ」 「毒ガスだったら?」とフェニックス。 「その場合は余裕《よゆう》がある。息を止めて、ゆっくりと通路を後退《こうたい》すればいい」 「ミスリルの推理が間違ってたら? 何か別の仕掛けだったらどうするの?」 「もちろんそういう可能性《かのうせい》はあるさ。でも、考えていてもしかたない。ミスリルの推理に賭《か》けてみよう」  フェニックスは眉《まゆ》をひそめた。 「ミスリルを信じないわけじゃないけど、勝率《しょうりつ》の分からない賭けに乗りたくはないわ」 「俺は乗るぜ!」メイガスが誇《ほこ》らしげにハルバードを振《ふ》り上げた。「ここまで来て、びびって引き下がれるかよ!」 「だって……」 「僕だって、正直言えば気が進まない」デインはフェニックスを説得しようとする。「生まれたばかりの息子《むすこ》を父《てて》なし子《ご》にはしたくない。だが、これぐらいの危険《きけん》は覚悟《かくご》しないと、冒険者《ぼうけんしゃ》としてやっていけないじゃないか」  それから、サーラとデルの方を振り返って、 「お前たちは出てていいんだぞ。危険をともにする必要はない」  サーラは少女の手がぎゅっと握《にぎ》り締めてくるのを感じた。横を向かなくても、隣《となり》に立つデルがどんな表情を浮かべているかは分かる。彼女が何を考えているのかも——自分も同じ心境《しんきょう》なのだから。  不必要な危険を冒《おか》す必要はない、と理性は言っている。未知の恐怖から逃げ出したいという気持ちもある。自分が死ぬこと以上に、恋人《こいびと》を巻《ま》きこんで死なせてしまうことも恐《おそ》ろしい。部屋の外で待つ決断をしても、誰《だれ》も臆病《おくびょう》だと非難《ひなん》したりはしないだろう。すべての判断《はんだん》材料は、部屋を出るべきだと告げている。  それでもサーラは言った。 「ここに残る」 「どうして?」 「仲間……だから」  その言葉を口にするのは恥《は》ずかしかったが、同時に少し誇らしくもあった。 「怪物と戦うなら、戦力は少しでも多い方がいいでしょ?」 「無理しないでいいのよ」フェニックスは心配そうだった。「いくら財宝《ざいほう》が手に入ったって、あなたたちに死なれたら寝覚《ねざ》めが悪いわ」 「僕だっていっしょだよ。自分たちだけ安全なところにいて、みんなが死んじゃったら寝覚めが悪い」少年は微笑《ほほえ》みを大人たちに投げかけた。「だからみんなで全力で戦って、いっしょに生き残ろうよ。ね?」 「まったく」フェニックスは苦笑《くしょう》した。「偉《えら》そうなことを言うようになったわね」 「お前はどうなんだ?」とミスリル。 「私? 決まってるじゃない。一人だけ逃げるわけにいかないわ」  フェニックスの表情から憂《うれ》いが消え、いつもの快活《かいかつ》さが戻《もど》ってきた。 「仲間なんだから」  それで決まりだった。  デインたちが作戦を練る間、サーラはデルに話しかけた。 「ごめん。勝手に決めちゃって……」 「いいのよ」少女はささやいた。「あなたに従《したが》うわ。あなたについて行くって決めたんだから。死ぬ時はいっしょよ」 「死なないよ」サーラは笑った。「みんなで生きて帰って、幸せになるんだ」  やがて作戦が決まった。祭壇《さいだん》にオーブを取りに行くのは、フェニックスが魔法《まほう》で創《つく》り出すストーン・サーバントの役目だ。その間、全員、柱の背後《はいご》に隠《かく》れている。壁《かべ》や柱や石像《せきぞう》には仕掛《しか》けがないことははっきりしていた。怪《あや》しいのは祭壇だけだ。怪物《かいぶつ》が現われるか、毒ガスが噴出《ふんしゅつ》するかしても、祭壇から離《はな》れていれば身を守れる可能性が高い。  戦闘《せんとう》に備《そな》え、サーラは腰から愛用のダガーを抜《ぬ》いた。戦うためではない。ダガーにこめられた魔法を発動させ、味方を援助《えんじょ》するためだ。 「刃《やいば》よ、デインとメイガスに助力を」  キーワードを唱えると、デインのレイピアとメイガスのハルバードの刃に、白い魔法の輝《かがや》きが宿る。これで切れ味が鋭《するど》くなると同時に、実体を持たない亡霊《ぼうれい》やガス状《じょう》の魔法生物など、普通《ふつう》の武器《ぶき》では傷《きず》つかない怪物をも斬《き》れるようになるのだ。  すでにみんなは背負《せお》い袋《ぶくろ》を床《ゆか》に置き、身軽になっている。いつでも戦闘に突入《とつにゅう》できる態勢《たいせい》だ。  準備《じゅんび》が完了《かんりょう》すると、フェニックスは懐《ふところ》から拳大《こぶしだい》の石を取り出し、床に転がして呪文《じゅもん》を唱えた。石はむくむくと膨張《ぼうちょう》し、ほんの数秒で人の形になる。身長はサーラと同じぐらい。ゴブリンを思わせる不格好《ぶかっこう》な体形で、全体がごつごつした石でできている。顔にはおおまかな造作《ぞうさく》があるだけで、眼《め》も口もない。どうやってものを見ているのか、サーラはいつも不思議に思うのだった。 「あのオーブを取ってきなさい」  フェニックスが命じると、ストーン・サーバントはよたよたと歩きはじめた。他の多くのゴーレムと同様、自分の意志《いし》はなく、術者《じゅつしゃ》の命令に忠実《ちゅうじつ》に従うのだ。壊《こわ》されるまで永遠《えいえん》に動き続けるボーン・サーバントと異なり、一時間で元の石ころに戻ってしまうという欠点はあるものの、ボーン・サーバントよりいくらか頑丈《がんじょう》で、ガーゴイルぐらいなら互角《ごかく》に戦える。  ストーン・サーバントは祭壇を上がりはじめた。一同は柱の蔭《かげ》から顔を半分だけ覗《のぞ》かせて、それを見守っていた。やはり階段《かいだん》には仕掛けはないらしく、何事も起きない。ここまでは順調だ。あと数歩で頂部《ちょうぶ》に達し、手がオーブに触《ふ》れる……。  最後の段に足をかけたとたん、オーブの背後から水しぶきが上がった。その中から白く巨大《きょだい》なものが飛び出し、ストーン・サーバントに襲《おそ》いかかる。  サーラは悲鳴を上げそうになった。巨大な蛇《へび》のような生物の骨《ほね》——特大のボーン・サーバントなのだ。空中にしなやかにくねる長い脊椎《せきつい》は、露出《ろしゅつ》している部分だけでも大人の背の倍はあり、先端《せんたん》についた頭蓋骨《ずがいこつ》は子供《こども》の胴体《どうたい》ほどもある。牙《きば》の生えた口をかっと開いて、ストーン・サーバントの頭に噛《か》みついた。戦闘の指示《しじ》を与《あた》えられていないストーン・サーバントは、抵抗《ていこう》するそぶりさえ見せない。骨の怪物に空中高く持ち上げられ、祭壇の片隅《かたすみ》に叩《たた》きつけられる。  フェニックスは呆然《ぼうぜん》となり、指示を出す暇《ひま》もなかった。一度目の打撃《だけき》で、ストーン・サーバントの脚《あし》が欠け落ちた。二度目の打撃で、あっけなく全身が砕《くだ》けた。  石の破片《はへん》を吐《は》き出すと、巨大なボーン・サーバントは長い首をぐるりとめぐらせ、頭蓋骨に開いたうつろな眼窩《がんか》で侵入者《しんにゅうしゃ》たちを睥睨《へいげい》した。サーラは恐怖《きょうふ》のあまり、身動きできなかった。  怪物は柱から身を乗り出していたメイガスに気づき、のっそりと祭壇から這《は》い出してきた。水中から出てくると、背中に折り畳《たた》まれていた二本の枯《か》れ木のようなものが勢《いきお》いよく広がり、ぱっと水しぶきをまき散らす。皮膜《ひまく》を失った翼《つばさ》だろう。手足はなかったが、長い胴をくねらせ、巨体に似合《にあ》わぬ速さで階段を滑《すべ》り降《お》りてくる。  からからからから……肋骨《ろっこつ》が階段とこすれ合い、木琴《もっきん》のような乾《かわ》いた音を立てた。長く水中にひそんでいたため、全身から水をしたたらせている。  ようやく尻尾《しっぽ》の先が祭壇から現《あら》われた時には、すでに蛇型ボーン・サーバントの頭部は階段を降りきって、部屋を横切り、メイガスの目前に迫《せま》っていた。全長はゆうに人間の一〇倍はあるだろう。  われに返ったミスリルが、メイガスを援護《えんご》するために炎《ほのお》の矢をぶつけた。フェニックスも一瞬《いっしゅん》遅《おく》れて電撃を放つ。室内にオレンジと白の光が続けざまにフラッシュした。炎と電光が骨の表面ではじけたが、たいして傷ついているようには見えない。怪物はひるみもせずにメイガスに突進してゆく。 「この!」  メイガスは迎《むか》え撃《う》とうとしたが、重いハルバードをスイングするのがわずかに遅れた。怪物の頭部がドワーフの胸《むね》をかすめる。骨《ほね》と金属鎧《きんぞくよろい》がこすれ合い、嫌《いや》な音がする。メイガスはよろめきながらも、通過《つうか》する首に向かってハルバードを振《ふ》り下ろした。不安定な姿勢《しせい》から放ったにもかかわらず、輝《かがや》く刃《やいば》は怪物《かいぶつ》の首筋《くびすじ》に食いこんだ。だが、切断《せつだん》するには至《いた》らない。怪物はうるさそうにそれを振り払《はら》った。  今やメイガスは壁際《かべぎわ》に追い詰《つ》められていた。あせっているのか、振り回すハルバードはなかなか当たらず、逆《ぎゃく》に牙で腕《うで》や脚を傷《きず》つけられていた。デインは援護《えんご》に駆《か》けつけたかったが、怪物は骨の翼をはばたかせ、長い尾《お》を室内いっぱいに振り回して、他の者を寄《よ》せつけない。ミスリルとフェニックスは、柱に半身を隠《かく》しながら、あまり役に立たない魔法《まほう》を放ち続けていた。サーラたちはというと、尾の攻撃《こうげき》をよけるので精《せい》いっぱいで、近づくこともできなかった。やむなく祭壇《さいだん》の背後《はいご》に退避《たいひ》する。  怪物は大きく首を振り回した。頭蓋骨がメイガスの左脇腹《ひだりわきばら》を直撃する。ドワーフの丸っこい体は吹《ふ》き飛ばされ、壁に叩きつけられた。 「メイガス!」  サーラは叫《さけ》んだ。メイガスは気を失ったのか、身動きしない。 「偉大《いだい》なるチャ=ザよ!」デインが早口で治癒《ちゆ》魔法を詠唱《えいしょう》した。「わが友メイガスに加護を……!」  怪物はメイガスに興味《きょうみ》を失ったらしく、今度はデインに向かってきた。デインはレイピアを構《かま》えたものの、勝てる気はまったくしなかった。重量のあるハルバードならともかく、こんな骨だらけで肉のない怪物に、細身の刃物《はもの》はあまり役に立たない。  ミスリルとフェニックスはというと、さっきから魔法の連発で、すでに精神力が限界《げんかい》に近かった。怪物の表面には焦《こ》げ跡《あと》がいくつもできており、肋骨も何本か欠け落ちていたが、それでも動きはほとんど鈍《にぶ》っていない。  ボーン・サーバントは三人の前で立ち止まった。長い首を揺《ゆ》らし、次の獲物《えもの》を選んでいるようだ。デインは焦燥《しょうそう》にかられ、怪物を前にして立ちすくんでいた。このままでは全滅《ぜんめつ》は避《さ》けられない。危険《きけん》を冒《おか》して、罠《わな》のある通路から撤退《てったい》すべきか……?  その時、祭壇の背後を回りこんで、サーラが飛び出した。倒《たお》れているメイガスに駆け寄り、助け起こそうとする。  その動きに怪物は惹《ひ》きつけられた。首をぐるりとめぐらせ、少年に顔を向ける。サーラはぎょっとして立ち止まった。怪物は大きく口を開け、飛びかかろうという体勢《たいせい》だ。あんなので噛《か》みつかれたら、一撃で食いちぎられてしまう……。  だが、なぜか怪物は襲ってこない。立ちすくんでいる少年を目の前にして、なぜかためらっているように見える。 「サーラ、逃《に》げて!」  祭壇の蔭《かげ》から身を乗り出し、デルが叫んだ。そのとたん、怪物は今度はデルの方を向いた。  サーラははっとした。 「デル、動いちゃだめだ!」  怪物はサーラに向き直った。サーラは動きを止めた。怪物の動きも止まる。  メイガスがうめきながら起き上がろうとしていた。怪物は再《ふたた》びメイガスに向き直り、噛《か》みつこうとする。 「メイガス、動かないで!」サーラは懸命《けんめい》に叫んだ。「みんなも動いちゃだめだ! こいつは動くものに襲《おそ》ってくるんだ!」  その叫びがまたも怪物の注意を惹きつけた。怪物は首をすばやくひねり、サーラに襲いかかろうとする。逃げるのは間に合わない。サーラは覚悟《かくご》を決めた。息を止め、眼《め》をぎゅっと閉じて静止する。  一秒、二秒、三秒……怪物は襲ってこない。サーラはそろそろと薄目《うすめ》を開けた。  誰も動いていなかった。メイガスは床《ゆか》に這《は》いつくばったまま息を殺しているし、他の四人もサーラと同様、凍《こお》りついたように立ちつくしている。ボーン・サーバントは床にとぐろを巻き、長い首をもたげて室内を見回しながら、途方《とほう》に暮《く》れているように見えた。  息が苦しくなってきた。だが、息を吐《は》くわけにはいかない。指一本も動かせない。この状況《じょうきょう》では、どんな些細《ささい》な動作でさえも怪物の注意を惹いてしまう……。  一分近くが過《す》ぎた。このまま永遠《えいえん》ににらみ合っていなくてはならないのかと不安になりかけた頃、怪物があきらめたように動き出した。巨体《きょたい》をひきずって祭壇に戻《もど》り、ゆっくりと階段《かいだん》を這い上がってゆく。  やがて怪物の体が完全に水槽《すいそう》の中に消えると、一同はようやく息を吐くことができた。 「あれは……何?」デルが震《ふる》える声でつぶやく。 「ワイバーンに似てたけど、脚《あし》がなかった」サーラの声もひどく震えている。「ドラゴンでもなさそうだし」 「ワームだ……」  メイガスがハルバードを杖《つえ》にして、よろよろと起き上がった。鎧《よろい》があちこち破損《はそん》している。九死に一生を待て、さすがにその顔は蒼《あお》ざめていた。 「翼《つばさ》のある蛇《へび》だ。ドラゴンほどじゃないが、かなり強い——骨《ほね》になってもな」  六人はまだショックで呆然《ぼうぜん》となっていた。もう少しで全滅するところだったのだから、無理もない。怪物に対する恐怖《きょうふ》と助かった安堵《あんど》感が混《ま》ざり合い、それに戦闘《せんとう》の疲労《ひろう》が重なって、まともにものを考えられる状態ではなかった。 「勝てないな……」  ミスリルが打ちのめされた様子で、ぽつりと言った。  みんな同感だった。せめてレグがいれば——いや、一人ぐらい戦力が増《ふ》えても大差あるまい。全滅はまぬがれても、一人か二人死ぬのは避けられそうにない。 「あきらめる?」とフェニックス。 「……いや、まだだ」メイガスが不敵《ふてき》な笑《え》みを浮《う》かべる。「お宝《たから》がそこにあるのに、あきらめられるもんか」  その想《おも》いは他の者も同じだった。ショックから回復《かいふく》するにつれ、冒険者《ぼうけんしゃ》としてのプライドが、むくむくと頭をもたげてくる。あの巨大ボーン・サーバントは確《たし》かに恐《おそ》ろしい。しかし、すぐ目の前にある宝をみすみす見逃《みのが》すのも悔《くや》しい。 「何としてでも戦闘は避けたい。作戦を考えないとな」デインは腕《うで》を組んだ。「オーブを取りに行こうとしたら、必ず水中にいるあいつに姿《すがた》を見られ、攻撃《こうげき》される……ロープか何かで台座《だいざ》を引き倒《たお》せないだろうか?」 「無理だな」とミスリル。「台座は固定されてるし、オーブ自体もかなりがっちりと台座にはめこまれてるように見える」 「姿を消す魔法《まほう》があったんじゃない?」サーラがミスリルに訊《たず》ねた。「姿を消してこっそり近づいたら?」 「ああ。だが透明化《とうめいか》の魔法は精神《せいしん》集中が必要だ。オーブを台座から取りはずす作業をやってる時に、集中が途切れる危険性《きけんせい》が高い。あまりやりたくないな」 「あの通路におびき寄《よ》せたらどうだ?」メイガスが提案《ていあん》した。「奴《やつ》を罠《わな》にかけて自滅させるんだ」 「いや、だめだろう。たぶん迷宮《めいきゅう》の主はそこまで計算して、通路の中まで追わないように命令してるはずだ」 「じゃあ、通路の中からちまちまと魔法で攻撃するってのは? 何十発もぶつけりゃ、奴もくたばるはずだ。時間はかかるが、安全だ」 「無茶《むちゃ》言わないで」すでに精神力を使い切ってふらふらのフェニックスが、弱々しい口調で抗議《こうぎ》した。 「もう魔法は無理か?」 「そりゃあ回復すればどうにかなるわ。まだ魔晶石《ましょうせき》もあるし——でも、あいつが水中に隠《かく》れてるかぎり、いくら『|火の玉《ファイアボール》』を撃《う》ちこんだって、たいして効果《こうか》はないでしょうね。そのための水槽なのよ。それに、オーブに近すぎる。強力な攻撃魔法をぶつけたら、オーブに傷《きず》がつくかもしれない」 「ううむ、そうか」メイガスは頭をかいた。「じゃあ、水槽から外におびき出して……」 「だから、誰《だれ》がおびき出すの? 誰が囮《おとり》になって、あいつの攻撃を引き受けるの? あなた? それじゃ、さっきと同じことじゃない」 「魔法で幻影《げんえい》を出せば?」 「ああいう魔法生物の知覚は、生き物とは違《ちが》う。うまくだませるかどうか分からないわ。それに、魔力を消耗《しょうもう》するのは同じことよ」  大人たちの議論《ぎろん》は白熱したが、なかなか結論が出なかった。サーラも頭をひねったが、いい案が浮かばない。当然だろう。迷宮の主だって馬鹿《ばか》ではない。子供《こども》に容易《ようい》に出し抜《ぬ》かれるような罠など仕掛《しか》けるはずがない……。 「やっぱり無理なのかしら……」デルが悲しそうにつぶやく。だが、サーラはそうは思わなかった。冒険者を志《こころざ》してもう一年、最初は何もできないひよっ子だったが、努力を重ねるうち、無理だと思えたことをいくつも可能《かのう》にしてきた。無理だと思って最初から挑戦《ちょうせん》しなければ、不可能は可能にならないのだ。  これまで学んだことの中で、応用《おうよう》の利《き》くものがないか思い起こしてみる。過去《かこ》に出会った怪物《かいぶつ》の中で、あのボーン・サーバントに近いものと言えば、海岸の洞窟《どうくつ》に棲《す》んでいたワイバーンだろうか。あの時、デインたちはあらかじめ洞窟の入り口の上に大量の丸太を仕掛けておいた。ワイバーンを入り口までおびき出して、それを落下させ、下敷《したじ》きにして動きを封《ふう》じたのだ。だが、ここには丸太なんてない。あるのは石柱と石像《せきぞう》……。 「あ……」  名案がひらめいた。 「ねえ、あの石像、動かせないかな?」  フェニックスは魔晶石の力を借り、さらに二体のストーン・サーバントを創《つく》り出した。  それを石像の背中《せなか》によじ登らせる。ここは祭壇《さいだん》からは死角になっているから、ボーン・サーバントを刺激《しげき》することはない。  そいつらの位置を決めるのが難《むずか》しかった。なるべく高い位置の方がいいが、石像の肩《かた》から頭を突《つ》き出すと見つかってしまう。結局、背中から生えた二枚《まい》の翼《つばさ》のつけねを選んだ。  慎重《しんちょう》に指示《しじ》を与《あた》え、腕をしっかり翼にしがみつかせる一方、脚《あし》は背後の壁《かべ》に突っ張《ぱ》らせる。 「こんなものかしらね」フェニックスは自信なさそうだった。「うまくいくかどうか分からないけど」 「とりあえず試《ため》してみる価値《かち》はある」とデイン。「失敗したら、別の方法を試せばいいだけのことだ」  一同は通路まで撤退《てったい》した。罠《わな》のタイルを踏《ふ》まないように注意して、待機する位置を決める。 「僕《ぼく》がいいと言うまで、絶対《ぜったい》に足を動かすな。成功だろうと、失敗だろうとな。踏み出す時も、タイルを間違えるなよ」  全員にあらためて注意を徹底《てってい》してから、デインはフェニックスに言った。 「はじめてくれ」  フェニックスはうなずき、ストーン・サーバントに呼びかけた。 「その石像《せきぞう》を揺《ゆ》らしなさい!」  ストーン・サーバントは壁に突っ張った脚に力をこめた。一体で大人二人分ぐらいの怪力がある。人間にとっては苦行でも、不満ひとつ洩《も》らさずに実行する。  最初のうち、巨大《きょだい》な像は微動《びどう》だにしなかった。やはり失敗か——と思われたが、やがて少しずつ揺れはじめた。その揺れがだんだん大きくなってくる。  突然《とつぜん》、祭壇の中からボーン・サーバントが飛び出してきた。揺れる石像に猛然《もうぜん》と体当たりし、その顔面に噛《か》みつく。  だが、さしもの鋭《するど》い牙《きば》も、石のかたまりには通用しない。がりがりという音を立てて、逆《ぎゃく》に牙の方が削《けず》れてゆく。さらに尻尾《しっぽ》を石像の脚にからみつかせ、骨《ほね》の翼で像の両腕《りょううで》を打つ。そんなことは意に介《かい》さず、ストーン・サーバントは石像を背後《はいご》から揺らし続ける。  ボーン・サーバントは空《むな》しい攻撃《こうげき》を続けた。そいつに与えられた命令は、室内にいる動くものすべてを攻撃すること。生命を持とうと持つまいと関係ない——だからさっき、オーブを取ろうとしたストーン・サーバントが攻撃されたのだ。  迷宮《めいきゅう》の主にしてみれば、侵入者《しんにゅうしゃ》がストーン・サーバントやアンデッドを操《あやつ》ることを予期して、生命を持たないものでも攻撃するよう指示しておいたのだろう。それを逆手《さかて》に取られるとは予想外だったに違いない。  ボーン・サーバントが暴《あば》れた拍子《ひょうし》に、石像がひときわ大きく傾《かたむ》いた。その瞬間《しゅんかん》、怪物は慌《あわ》てて逃《のが》れようとするかのように身をくねらせた。だが、石像にからみつかせた尻尾をほどくのに手間取った。もがいている間に、石像が倒《たお》れかかってきた。  石像はボーン・サーバントを下敷きにして、祭壇に激突した。大音響《だいおんきょう》とともに水槽の壁が壊《こわ》れ、水がどっと流れ出す。 「行くぞ!」  デインの合図で、冒険者《ぼうけんしゃ》たちは通路から飛び出した。床《ゆか》にあふれた水をけたてて、祭壇の向こう側に回りこむ。  ボーン・サーバントは苦悶《くもん》していた。潰《つぶ》れてはいなかったものの、胴体《どうたい》を祭壇と石像の間にはさまれ、身動きが取れない。翼も片方《かたほう》、無残に折れていた。頭をもたげ、口を開いて侵入者たちを威嚇《いかく》するが、その口からは牙が欠けている。体の自由が奪《うば》われているため、動きもひどく鈍《にぶ》かった。 「この野郎《やろう》!」  さっきのお返しとばかり、メイガスが打ちかかった。  そこから先は蛇足《だそく》でしかなかった。メイガスがハルバードを振《ふ》り下ろすごとに、怪物は傷《きず》つき、しだいに弱まっていった。何度目かの打撃で、ついに頭蓋骨《すがいこつ》を叩《たた》き割《わ》られた。怪物は尻尾をぴくぴくと震《ふる》わせたのを最後に、動かなくなった。 「ざまあみやがれ!」  メイガスは誇《ほこ》らしげにハルバードを振り上げ、勝ち鬨《どき》をあげた。 「おっと、そうだ。お宝《たから》お宝」  疲《つか》れを癒す間も、勝利の余韻《よいん》にひたる間もなく、彼は身をひるがえした。祭壇の正面側に戻《もど》ってくると、階段《かいだん》を駆《か》け上がる。二〇年も探《さが》し求めてきた財宝《ざいほう》を、間近からしげしげと眺《なが》めた。 「おお……」  思わず感嘆《かんたん》の声が出た。オーブは台座《だいざ》から伸《の》びた三本の爪《つめ》で固定されている。表面は闇《やみ》のように黒かったが、ところどころにひび割れのように見えるものがあり、そこから毒々しい赤い光が洩れていた。光はちらちらと揺れ、脈動するかのように明るさを変化させている。何かが内部で燃えているようだが、不思議に熱さは感じない。精霊使《せいれいつか》いにのみ見えるという生命のオーラというのは、こういう印象なのだろうか。 「へへへ、ついにこれが……」  彼はハルバードを下に置くと、ショート・ソードを抜《ぬ》いた。眼《め》を欲望《よくぼう》でぎらぎらさせ、期待に息を弾《はず》ませながら、黒いオーブに近づく。オーブと台座の間に刃《やいば》を差しこみ、えぐり取ろうとする。 「待って!」  フェニックスの声に、メイガスは手を止めた。 「何だよ。用なら後にしてくれ」 「いいえ。今言わなきゃいけないの。それを手に取る前に、話を聞いて欲《ほ》しいの」  彼女はひと呼吸《こきゅう》してから、胸《むね》に秘《ひ》めていた真実を吐《は》き出した。 「ここはギャラントゥスの迷宮なの。そして、それはあなたが考えているようなものじゃない——『悪魔《あくま》のエッセンス』なのよ」 [#改ページ]    10 夢《ゆめ》の末路《まつろ》  ギャラントゥス。  サーラはその名を知っていた。最初に誰から聞いたのかは覚えていない。死んだ母からだったのかも。何にせよ、小さい頃《ころ》から何度も耳にしており、忘《わす》れることのできない名だった。人形遊びの中で、しばしばそれを宿敵《しゅくてき》の名として使っていた。  何百年も前、現在《げんざい》のザーン近辺にいたと伝えられている邪悪《じゃあく》な魔術師《まじゅつし》。暗黒神を崇拝《すうはい》し、魔獣《まじゅう》を操《あやつ》り、美しい娘《むすめ》をさらって生贄《いけにえ》にしようと企《たくら》むが、最後は勇者の剣《けん》に倒《たお》される、おとぎ話の中の典型的な悪役——あまりにも型にはまりすぎていて、かえって現実味に欠ける存在《そんざい》。  それが実在したとは。 「……どういうことだ」  ショート・ソードにかけた手を止めて、メイガスは探《さぐ》るような視線《しせん》をフェニックスに向けていた。 「黙《だま》っていてごめんなさい。黒いオーブと聞いた時から、もしやという予感はしていたの。でも、今まで確信《かくしん》がなかったし、魔術師ギルドの秘密事項《ひみつじこう》だったから、軽々しく口にできなかった……」  フェニックスは静かに眼を閉じた。 「でも、今は確信できる。この迷宮全体の禍々《まがまが》しい雰囲気《ふんいき》、それにそのオーブの特徴《とくちょう》——ギャラントゥスの伝承《でんしょう》に一致《いっち》するのよ」 「詳《くわ》しく聴《き》かせてくれ」デインが一歩前に出た。「魔術師ギルドの秘密事項というのは?」  フェニックスはしかたなく、すべてを語りはじめた。 「一年も前になるかしら。ギルドマスターのヴリルから、ギルドに所属《しょぞく》する魔術師の何人かに、極秘《ごくひ》の指令があったのよ。伝承にあるギャラントゥスの迷宮を見つけて、『悪魔のエッセンス』を入手しろって」 「エッセンスって?」とサーラ。 「生きているものにはみんなエッセンスがある。生命を支えている、目に見えない要素《ようそ》のことよ」 「魂《たましい》みたいな?」 「魂とは違《ちが》うわ。エッセンスは生き物の姿《すがた》や特徴を決定するの。人間には人間のエッセンスがある。エルフにはエルフの、ドワーフにはドワーフの……エッセンスは親から子へと受け継《つ》がれる。だから子供《こども》は親に似《に》るの。ゴーレムやアンデッドはエッセンスを持たないから、子供を作れないのよ。  魔獣|創造《そうぞう》の技術《ぎじゅつ》にはいくつかあるらしいけど、そのうちのひとつが、動物からエッセンスを取り出して別の動物に注入する方法だったのよ。そうやって複数《ふくすう》の動物が合体した生物を生み出すの。どんな組み合わせでもうまくいくわけじゃないわ。死んでしまったり、元の動物より弱くなってしまう場合も多い。でも、古代の魔術師たちは試行|錯誤《さくご》を繰《く》り返して、ある種の組み合わせによって強力な魔獣が生まれることを発見したの。ライオンと山羊《やぎ》と蛇《へび》でキマイラ。ライオンとサソリとコウモリでマンティコア。人間と蛇でラミアやテルキーネス……」 「じゃあ、『悪魔のエッセンス』って……!」  サーラは驚《おどろ》いて、黒い球体に目を向けた。その内部で脈動する赤い光が、急に禍々しさを増したように感じられた。 「そう。どういう方法かは分からないけど、ギャラントゥスは魔界から召喚《しょうかん》した悪魔と交渉《こうしょう》して、その肉体からエッセンスを取り出すことに成功したのよ。それもグレーター・デーモンから」  グレーター・デーモン——その名にサーラは震《ふる》え上がった。悪魔の中でも上級の存在である彼らは、強力な暗黒魔法や古代語魔法の使い手で、たった一体でもたいていの冒険者《ぼうけんしゃ》パーティをあっさり壊滅《かいめつ》させられると言われている。幸い、ほとんどは魔界にいて、こちらの世界に現《あら》われることはめったにない。 「どうしてそんなことを?」 「ギャラントゥスは地上で最強の存在になることを夢見ていたの。自ら悪魔と合体して、悪魔の力を身につけ、人々を恐怖《きょうふ》で支配《しはい》しようとしたのよ。でも、そのためには最後の儀式《ぎしき》の材料が必要だった。悪魔のエッセンスと融合《ゆうごう》するための、にかわのようなものが。それによってオーブの封印《ふういん》が解《と》かれ、悪魔のエッセンスはオーブを手にした者と融合するの。それが——」  フェニックスは少しためらってから、汚《けが》らわしそうに言った。 「処女《しょじょ》の生き血」  室内はしんと静まりかえった。 「それも温かくて新鮮《しんせん》な血が大量に必要だった。オーブを真っ赤に染めるだけじゃなく、自らも血まみれになるほどの……」 「それで……」サーラの声はかすれていた。「若《わか》い娘《むすめ》を探《さが》しに出たんだね?」 「ええ。そこから先は伝承に語られている通りよ。彼はカーリという美しい娘に目をつけて、さらおうとした。でも、勇敢《ゆうかん》な若者にはばまれた。若者はカーリを愛し、故郷の村に連れ帰って結婚《けっこん》しようとした。よほど悔《くや》しかったんでしょうね。ギャラントゥスは他の娘には目もくれず、あくまでカーリに執着《しゅうちゃく》したの。魔獣《まじゅう》を引き連れて村を襲《おそ》い、結婚式場から花嫁《はなよめ》を略奪《りゃくだつ》しようとした。若者は村を守って勇敢に戦い、最後はギャラントゥスと相討《あいう》ちになって果てた。その若者の名は——」  彼女はサーラを見た。 「勇者サーラ」  少年は寒気にも似た奇妙《きみょう》な戦慄《せんりつ》を覚えた。何というめぐり合わせだろうか。吟遊詩人《ぎんゆうしじん》の父がつけた名前——その名の由来となった伝説の勇者と重大な関《かか》わりを持つ魔術師《まじゅつし》の迷宮《めいきゅう》に、今、自分は立っているのだ。  運命というものを、少し信じたくなってきた。 「もしかしたら、あのキマイラは、主を倒《たお》した勇者の名前を知っていたのかもしれないわね。私たちはあの時、あなたの名前を呼んだ。キマイラはあなたを、勇者サーラの子孫か何かと勘違《かんちが》いして、復讐《ふくしゅう》しようとしたのかも……」 「で」オーブのそばで突《つ》っ立ったまま、メイガスは苛立《いらだ》っていた。「何が言いたいんだ、結局?」 「そのオーブはとてつもなく邪悪《じゃあく》で危険《きけん》なものだってことよ。悪人の手に渡《わた》れば、恐《おそ》ろしいことになる……」 「じゃあ、手を触《ふ》れるなってのか!? あれだけ苦労したってえのに、ここに置いていけと?」 「そうじゃない。ここに置いていっても、危険は同じよ。いずれ誰《だれ》かがここを見つけて取りに来る。それより、魔術師ギルドで厳重《げんじゅう》に保管《ほかん》すべきだわ」彼女は真剣《しんけん》な表情《ひょうじょう》で手を差し伸《の》べた。「お願い、メイガス。それを魔術師ギルドで預《あず》からせて。もちろん、ただとは言わない。適切《てきせつ》な価格《かかく》で買い取るわ」 「ちょっと待った」ミスリルが進み出た。「魔術師ギルドは信用できるのか?」  フェニックスは驚いて振《ふ》り返る。「何ですって?」 「その、秘密裏《ひみつり》にメンバーに指令を出してたってところが気に食わん。ヴリルがオーブの悪用を企《たくら》んでいないという保証《ほしょう》はあるのか?」 「ヴリルは……そんな人じゃないわ」だが、そう言うフェニックスの口調は、どこか自信なさげだった。「確《たし》かに野心家ではあるけど、悪人じゃない。ましてや、自分の肉体を悪魔と合体させるなんて……そんなおぞましいこと、考えるわけないわ」 「ああ、まったくだ」メイガスが唇《くちびる》を歪《ゆが》めて笑った。「まともな頭の持ち主なら、そんな馬鹿《ばか》なことはしねえよな」 「だが、世の中には馬鹿がいる」ミスリルは断言《だんげん》した。「げんにギャラントゥスという野郎《やろう》はそうだったんだろう?」 「それはそうだけど……」 「ヴリルに野心がなくても、他の誰かがオーブに目をつけるかもしれん。こっそり倉庫から盗《ぬす》み出すってことも考えられる」 「管理は厳重よ」 「どうだかな。魔術師ギルドじゃ、過去《かこ》にも魔法の品がいくつか紛失《ふんしつ》したって不祥事《ふしょうじ》があったって聞くぞ」  温厚《おんこう》なフェニックスもさすがに立腹《りっぷく》した。「じゃあ、どうしろって言うの?」 「盗賊《とうぞく》ギルドで保管する方がまだ安全だ。盗みの名人ばかりだから、かえって盗賊よけの仕掛《しか》けは万全だ」 「ダルシュがオーブを悪用しないという保証は?」  今度はミスリルがむっとなった。「彼は立派《りっぱ》な男だ。信頼《しんらい》できる」 「それこそあてにならない話だわ」フェニックスは早口でまくし立てた。「あなたはどうだか知らないけど、私はダルシュが立派な人格者だとは思えない。彼が裏工作《うらこうさく》に長《た》けた人物だってことは、みんな知ってるわ。たとえダルシュに悪意がなくても、それこそ彼の部下の中から悪人が現《あら》われるかもしれないし……」 「だったらどうしろって言うんだ!?」 「まあまあ」デインが困った顔で割《わ》って入った。「とりあえずその話は、オーブを持って帰ってからにしないか? ここじゃまずい」  ミスリルとフェニックスは冷や水を浴びせられ、互《たが》いにばつが悪そうな顔で視線《しせん》をそらせた。確かにこんな迷宮の奥深《おくぶか》くで言い争うのは、冒険者《ばうけんしゃ》としてやってはならない愚《おろ》かな行為《こうい》だ。まだ帰り道に戦闘《せんとう》が控《ひか》えているかもしれない。険悪になった状態《じょうたい》では、チームワークに期待できない。 「じゃ、とりあえず……」  メイガスはあらためてショート・ソードの柄《つか》に手をかけ、「ふん!」と力をこめた。ドワーフの怪力《かいりき》で、オーブは台座《だいざ》からはずれた。転がり落ちそうになるのを、すかさず左手で受け止める。 「はあ……」  ようやく手にした宝《たから》を感慨深《かんがいぶか》げに見つめ、メイガスは会心の笑《え》みを洩《も》らした。それから階段《かいだん》を下りてくると、ミスリルたちに向かってオーブを差し出し、 「で、どっちに預《あす》けりゃいいんだ?」  ミスリルとフェニックスは、ちらっと互いの顔色をうかがった。こんな状況《じょうきょう》では、自分に渡《わた》せと言い出せるわけがない。 「チャ=ザ神殿《しんでん》に持ちこむという選択肢《せんたくし》もないではないが……」  と口にしたデインだったが、それでは三人でオーブを奪《うば》い合うことになり、かえって議論《ぎろん》をややこしくすることに気がついて、慌《あわ》てて咳払《せきばら》いをした。 「どうするかは帰ってから話し合おう。それまで君が預かっててくれ、メイガス」 「分かった」  メイガスはうなずくと、そそくさと自分の背負《せお》い袋《ぶくろ》にオーブをしまいこんだ。  一行は通路を戻《もど》って行った。来た時と同様、先頭はミスリルとサーラ、次にデインとフェニックス、最後にデルとメイガスという順だ。  サーラたちは入ってきた時と同様、足で罠《わな》を探《さぐ》りながら、一歩ずつ進んだ。まさか行きと帰りで罠が変化するということはないと思うが、念のためだ。安全が確認《かくにん》されたら、仲間を呼び、一人ずつ歩かせる。万が一、間違《まちが》ったタイルを踏《ふ》んでしまっても、犠牲者《ぎせいしゃ》は一人で済《す》む。  研究室に戻るところまでは、何の支障もなかった。その次の通路を、ボーン・サーバントの群《む》れと戦った部屋へと進む。ミスリルとサーラ、デイン、フェニックス……。  だが、次のデルがなかなかやって来ない。 「どうしたの、デル?」  サーラは通路の奥に呼びかけた。ここからでは研究室にいるデルたちの姿《すがた》はよく見えない。彼女の持っているランタンの灯《ひ》が揺《ゆ》れ、壁《かべ》に影《かげ》が動いているのが見えるだけだ。何か揉《も》みあっているようなごそごそという音も聞こえる。 「デル?」  もう一度呼びかけると、くぐもった悲鳴が返ってきた。 「サーラ、助け……!」  口を押《お》さえられたせいか、悲鳴は不自然に途切《とぎ》れた。 「デル!?」  サーラは駆《か》け出した。こんな時でも冷静さだけは忘《わす》れず、白いタイルを正確《せいかく》に踏んで走ってゆく。ミスリルたちも慌てて後に続いた。  あと数歩で研究室——というところで、通路の出口に背の低い影が立ちはだかった。サーラはびっくりして立ち止まる。 「メイガス!?」 「悪いな」  メイガスはにやりと笑うと、短い足を踏み出し、黒いタイルを踏んだ。  その瞬間《しゅんかん》、左右の壁の奥《おく》から、同時にピーンという|不吉《ふきつ》な音が響《ひび》いた。サーラは心臓《しんぞう》が凍《こお》りつくような恐怖《きょうふ》を覚えた。 「気をつけて!」  そう叫《さけ》ぶのが精《せい》いっぱいだった。自分も左右の壁に並《なら》ぶ悪魔《あくま》の顔の位置をすばやく確認する。右の真横に顔のひとつが位置していた。直撃《ちょくげき》を避《さ》けるために上半身をのけぞらせる。  次の瞬間、たくさんの剣《けん》がいっせいに打ち合わされるかのような、騒々《そうぞう》しい金属音《きんぞくおん》が通路に響き渡った、何十本もの槍《やり》が同時に飛び出したのだ。そのうち一本はサーラの眼前《がんぜん》を、一本は尻を、一本は脛《すね》を、ぎりぎりのところでかすめていた。  背後《はいご》から苦悶《くもん》する声が上がった。ミスリルとデインの声だ。振《ふ》り返ったサーラは、恐《おそ》ろしい光景を目にした。  二人は貫《つらぬ》かれていた——ミスリルは右肩《みぎかた》を、デインは左の大腿部《だいたいぶ》を串刺《くしざ》しにされ、反対側の壁に縫《ぬ》いつけられている。フェニックスも悲鳴を上げていた。彼女だけはまだ通路に入っていなかったので無事だった。 「ミスリル!?」  サーラは叫んだ。駆け寄《よ》りたいが、水平に林立した槍の群れが鉄格子《てつごうし》のようになって接近《せっきん》をはばんでいる。 「平気……だ」ミスリルはもがき苦しみながら、どうにか言葉をしぼり出した。「こんなのは……致命傷《ちめいしょう》じゃねえ」  デインも苦しんでいるが、意識《いしき》ははっきりしているようだ。いつもなら負傷はすぐに神聖《しんせい》魔法で治癒《ちゆ》するのだが、槍で串刺しにされた状態《じょうたい》ではそれもできない。まず槍を抜《ぬ》かなくてはならないのだ。 「ちくしょう、何でこんなことに……」  ミスリルは顔を歪《ゆが》めて愚痴《ぐち》りながら、左手でダガーを抜き、槍の穂先《ほさき》を柄《つか》から取りはずそうとしはじめた。だが、時間がかかりそうだ。フェニックスも槍の合間から体をねじこみ、デインを助けようとしている。 「あばよ!」  メイガスの声に、サーラは前に向き直った。ドワーフはハルバードを放《ほう》り出し、デルをかつぎ上げて、奥の通路へ入ってゆくところだった。少女は気絶《きぜつ》しているのか、ぐったりとなっている。 「メイガス! デル!」  サーラは叫んだ。何がどうなっているのか分からない。頭の中で思考が渦《うず》を巻《ま》く。メイガスが裏切《うらぎ》った? 目を疑《うたが》いたくなるが、そうとしか考えられない。彼は「悪魔のエッセンス」を持っている。その彼がデルを必要とする理由は……。  信じられない。信じたくない。  茫然《ぼうぜん》自失となりかけている自分を、サーラは叱《しか》りつけた。考えている時間なんてない。デルの身が危《あぶ》ないのだ。  一瞬、振り返ってためらった。傷ついたミスリルとデインを助けることを優先《ゆうせん》すべきかどうか、迷《まよ》ったのだ。だが、その作業には何分もかかりそうだ。その間にデルは殺されてしまう。 「ごめん!」  引き裂《さ》かれそうな思いでそう叫ぶと、サーラは槍の合間をくぐり抜け、研究室に入った。逃《に》げるドワーフを追って、通路に飛びこむ。  メイガスはずっと前方にいたが、デルをかついでいるうえ、タイルを正確に踏《ふ》むのに専念《せんねん》しているため、歩みは遅《おそ》かった。たちまちサーラが追い上げてゆく。 「メイガースっ!」  走りながら、サーラが怒鳴《どな》る。メイガスはちらっと振り返り、舌打《したう》ちした。歩調を速めたものの、このままだと出口あたりで追いつかれそうだ。 「ええい!」  最後の数歩を、メイガスは思いきって跳躍《ちょうやく》した。最後の列の黒いタイルを踏みながら、祭壇《さいだん》の間に駆《か》けこむ。それを見て、サーラもとっさに全力で跳躍した。体をほとんど水平にして宙《ちゅう》を飛ぶ。  間一髪《かんいっぱつ》、あの不吉な金属音とともに、罠《わな》が発動した。刺されはしなかったものの、飛び出してきた槍の一本にブーツをはじかれ、空中でバランスを崩《くず》した。着地に失敗し、肩から石畳《いしだたみ》に叩《たた》きつけられる。さらにメイガスが身をひるがえし、少年の腹《はら》を思いきり蹴りつけた。サーラは苦痛《くつう》にうめき、しばらく起き上がれなかった。その間にメイガスは階段《かいだん》を駆け上がっていた。祭壇にデルを下ろしてひと息つく。  サーラがようやく起き上がった時、メイガスは袋《ふくろ》からオーブを取り出していた。デルが目を覚まし、かわいらしいうめき声を上げながら身を起こそうとする。メイガスはすかさずオーブを握《にぎ》った左手を少女の腰《こし》に回した。抱《だ》きすくめられたデルは悲鳴を上げて抵抗《ていこう》するが、ドワーフの怪力《かいりき》にはかなわない。さらにメイガスは右手でショート・ソードを抜《ぬ》き、少女の白い咽喉《のど》に突《つ》きつけた。 「動くな!——サーラ、お前もだ」  デルは抵抗をやめた。階段を駆け上がりかけていたサーラも、びくっとして動きを止める。 「サーラ……」  デルは男の腕《うで》の中で震《ふる》え、泣きそうな声で少年を見下ろしている。だが、サーラにはどうにもできない。どんなに急いで駆け上がっても、メイガスのショート・ソードが少女の咽喉を裂《さ》く方が早いだろう。たとえ間に合ったとしても、場数を踏んだ優秀《ゆうしゅう》な戦士であるメイガスに、腕力《わんりょく》でかなうはずもない。 「メイガス……」サーラは必死に呼《よ》びかけた。「正気になって。そのオーブを放すんだ。そのオーブのせいだ。呪《のろ》いにかかって、頭がおかしくなってるんだよ……」 「呪いだぁ!?」メイガスは高らかに笑った。「は! 面白《おもしろ》い発想だな。が、あいにく俺《おれ》は呪いなんかにかかっちゃいねえ。最初からこうするつもりだったんだからな」 「最初から……?」 「そうさ。ギャラントゥスの伝説も、これが『悪魔《あくま》のエッセンス』だってことも、あの地図を手に入れた時から知ってたんだ。どんなものかもな。最初はただの好奇心《こうきしん》だったが、そのうち本気で手に入れたいと思うようになった——そう、俺は何年もずっと夢《ゆめ》見てきたんだよ。この瞬間《しゅんかん》が来るのをな!」  サーラは全身がしびれるような衝撃《しょうげき》を味わった。  メイガス——この半年間、仲間として冒険《ぼうけん》を重ね、いっしょに笑い、食べ、歌い、信頼《しんらい》と友情《ゆうじょう》を育《はぐく》んできた男。  それが悪人だったなんて。 「安心しな。お前は殺さねえよ、サーラ。お前にゃ証人《しょうにん》になって欲《ほ》しいんだ。俺がこれからやらかすことを、しっかりその記憶《きおく》に刻《きざ》みつけて、みんなに語って聞かせるんだ」 「……そんな……でも……」 「どうしてかって?」  メイガスは今や仮面《かめん》をかなぐり捨《す》て、邪悪《じゃあく》なオーブの持ち主にふさわしく、残酷《ざんこく》な笑《え》みを顔いっぱいに浮かべていた。 「そうだな。デインたちが来るまで、まだ時間がありそうだ。話しておいてやろう。悪魔になっちまったら、正気を保《たも》っていられなくなるかもしれねえからな——前にした話を覚えてるか? 俺はこの世界の主役じゃねえって話を」  サーラはぎこちなくうなずいた。 「そう、俺は主役じゃねえ。どんなにがんばっても英雄《えいゆう》にはなれねえ。そういうめぐり合わせなんだ——だったら端役《はやく》として一生を終えるのか? お前ならどうだ? 端役としての人生に満足できるか?」 「僕《ぼく》は……」サーラは答えられない。「僕は……」 「ああ、お前には分からねえかもしれねえな。お前はまだ若《わか》い。まだ自分が主役だって可能性《かのうせい》を信じていられるからな。だが、俺にはそんな希望はねえ……」  これから人を殺すというのに、彼の口調はやけに静かだった。 「俺もいつか死ぬ。迷宮《めいきゅう》の中で怪物に倒《たお》されるか、病気でぽっくり行くか、崖《がけ》から足を踏《ふ》みはずすか、それは分からねえがな。俺が死んでも、お前たちは何年か、俺のことを覚えてるだろう。酒を飲みながら、ごくたまに『そう言えば昔、メイガスって野郎《やろう》がいたな』って思い出話をしてくれるだろう。だが、三〇年|経《た》ったらどうだ? 五〇年経ったら? お前たちがみんな死んだら? 俺のことを覚えててくれる奴《やつ》なんて誰《だれ》もいなくなる。賢者《けんじゃ》の記録に俺の名が載《の》ることも、吟遊詩人《ぎんゆうしじん》が俺の名を語り継《つ》ぐなんてこともありえねえ——俺がこの世に存在《そんざい》した証《あかし》は、何もなくなっちまうんだ。  そうさ、死ぬのはちっともこわくねえ。誰でもいつかは死ぬんだしな。だが、俺の存在が忘《わす》れられるのは……」  彼の顔にふと、哀《かな》しみがよぎるのを、サーラは見た。 「こわくてたまらねえ」 「……それでなの?」サーラはおそるおそる言った。「それでこんなことを?」 「ああ、そうさ。主役として名を残せねえなら、悪役として名を残す道があるって気がついたんだ。ギャラントゥスを見ろ。勇者サーラの名といっしょに、何百年も後まで語り継がれてるじゃねえか!  無論《むろん》、ちっぽけな悪事じゃいけねえ。五人や六人、殺したって、すぐに忘れられちまうからな。伝説になるためには、とてつもない悪事をやらかをなきゃいけねえんだ。何百人、何千人も殺せば、間違《まちが》いなく伝説として残るだろう。そのためには、でっかい力が必要なんだ——まさに悪魔の力がな」 「そんなことをしたって……」 「ああ、末路《まつろ》は分かってるさ。最後はどこかの勇者に退治《たいじ》されるんだろう。それでもかまやしねえ。いや、とびきり強い勇者に退治されるなら大歓迎《だいかんげい》さ。力いっぱい戦って果ててやろうじゃねえか。俺の望みは生き残ることじゃなく、伝説になることなんだからな!」  サーラは立ちつくしていた。依然《いぜん》として恐怖《きょうふ》と衝撃《しょうげき》に束縛《そくばく》されてはいたが、魂《たましい》の深い底から哀しみが湧《わ》き上がってくるのを感じていた。メイガスを憎悪《ぞうお》すべきなのに、同情《どうじょう》の念が浮かんでくるのだ。  英雄《ヒーロー》になりたい。  それはまさに幼《おさな》い頃《ころ》からの自分の夢《ゆめ》だ。そしてメイガスも若《わか》い頃は同じ夢を抱いていた。英雄として悪を打ち倒し、伝説となることに憧《あこが》れていた。  その夢の末路がこれだとは。 「好きだったのに……」サーラは泣きそうになった。「僕、メイガスのことが好きだったのに……」 「ああ、俺も好きだぜ、サーラ。お前はいい奴だ。お前もデインもレグもフェニックスもミスリルも、みんな好きだ」  彼は少女をぎゅっと抱《だ》き締《し》め、恐怖に震《ふる》えるその横顔に、低い声でささやきかけた。 「デル、お前もな」  その言葉は、それまでのどんな言葉よりも強い衝撃をサーラにもたらした。デルの顔からは血の気が失せ、失神|寸前《すんぜん》だ。 「フェニックスはひとつだけ説明し忘れてたな。なぜギャラントゥスがカーリに執着《しゅうちゃく》したか——生贄《いけにえ》はどんな娘《むすめ》でもいいわけじゃねえんだ。自分と無関係な娘や、憎《にく》い娘じゃだめなんだ。恋《こい》とまではいかなくても、知っている間柄《あいだがら》で、友情や好意を抱いてる相手じゃないといけねえんだ。それがギャラントゥスが悪魔《あくま》と交《か》わした契約《けいやく》だったのさ。仲間を裏切《うらぎ》り、好きな娘を殺すことで、人として最も大切なものを捨《す》て去ることが」  サーラは気がついた。メイガスは泣いている——その小さな眼《め》の端《はし》には涙《なみだ》の粒《つぶ》が光り、口は無理に笑おうとするかのように歪《ゆが》んでいた。悲嘆《ひたん》と歓喜《かんき》、決意と後悔《こうかい》、絶望《ぜつぼう》と期待が入り混《ま》じった、奇妙《きみょう》な泣き笑いだ。彼の中に渦巻《うずま》く複雑《ふくざつ》な感情が、顔の筋肉《きんにく》で表現《ひょうげん》できる限界《げんかい》を超《こ》えているようだった。 「だからお前を選んだんだ、デル」彼の声はうわずっていた。「お前でなきゃいけねえんだよ。大好きなお前たちみんなを裏切ることで、俺は伝説になれるんだよ……」  そう言って、ショート・ソードを大きく振《ふ》りかぶった。勢《いきお》いよく少女の胸《むね》に突《つ》き立てようという体勢《たいせい》だ。 「待って!」サーラは最後のチャンスに賭《か》けた。「そんなことしても無駄《むだ》だ!」 「何が無駄だ!?」  サーラはほんの一瞬《いっしゅん》、ためらった。震えているデルと視線《しせん》が合う。これから発する言葉は彼女を傷《きず》つけるだろう。しかし、彼女を救うためにはやむを得ない。 「デルは——処女《しょじょ》じゃないんだ!」  だが、意外なことに、メイガスは動じない。 「は!」彼はせせら笑った。「もっとましな嘘《うそ》をつけ! 俺は知ってるんだよ。一昨日《おととい》の晩《ばん》、眠《ねむ》ってるふりをして、お前とミスリルの話を聞いちまったんだ——お前たち、まだ寝《ね》てねえんだってなあ?」  最後の希望が砕《くだ》け散り、サーラは深い闇《やみ》に突き落とされた。  メイガスはあの時からデルに目をつけていたのだ。ミスリルとの話を聞いて、彼女に生贄としての資格《しかく》があると確信《かくしん》したのだ。昨日の夕方、自分たちをこっそりつけてきたのも、彼女が処女を失うのではないかと心配になったからだろう。  だが、違《ちが》う。メイガスは大きな勘違《かんちが》いをしている——しかし、その誤解《ごかい》を正している時間がない。 「やめろーっ!」  サーラはもはやなすすべもなく、ただ絶叫《ぜっきょう》した。それに呼応《こおう》して、デルも必死に身をよじる。もう少しでドワーフの太い腕《うで》から逃《のが》れられそうだった。 「サーラ……!」  だが、その懸命《けんめい》の抵抗《ていこう》が、ためらっていたメイガスに最後のひと押《お》しを与《あた》えてしまった。彼は腕からすり抜《ぬ》けそうになったデルを強引《どういん》に押し倒《たお》し、馬乗りになった。 「うわ〜おおおおおうっ!」  悲鳴とも勝鬨《かちどぎ》ともつかない奇妙な叫びを上げながら、メイガスは振りかぶったショート・ソードを振り下ろした。  その刃《やいば》は、少女の胸を貫《つらぬ》いた。 [#改ページ]    11 サーラの決断《けつだん》  ずっと後になって思い出してみても、サーラにはその時の光景が夢《ゆめ》の中の出来事のように思えるのだった。平板で、真実味に欠け、よそよそしく、とても自分が本当に体験したこととは思えない。おそらく、あまりにも衝撃が大きすぎて、感情が凍《こお》りついてしまったからだろう。その瞬間、少年の心には恐怖《きょうふ》も悲しみもなかった。無関係な第三者のように、出来事のすべてを正確に目撃し、機械的に記憶《きおく》に刻《きざ》みつけたのだ。  サーラは見た。刃が引き抜かれ、少女の細い体が激《はげ》しく痙攣《けいれん》するのを。その胸から噴水《ふんすい》のように鮮血《せんけつ》がほとばしるのを。  サーラは見た。メイガスがショート・ソードを投げ捨て、少女の胸《むな》ぐらをつかんで、勝ち誇《ほこ》るように頭上に差し上げるのを。ぐったりとなった体から血が奔流《ほんりゅう》となって流れ落ち、ドワーフの頭を、肩《かた》を、胸を、そして左手に持ったオーブを真っ赤に染めてゆくのを。おぞましいシャワーを浴びながら、彼が狂《くる》ったように笑い、踊《おど》るのを。  動けなかった。助けに行こうにも、衝撃のあまり足が萎《な》え、一歩も踏《ふ》み出すことができなかった。叫ぼうにも咽喉《のど》は見えない力で絞《し》め上げられ、息ひとつ洩《も》らすことができなかった。脳《のう》は麻痺《まひ》し、何も考えられなかった。おぞましい光景を、ただ見つめていることしかできなかった。  サーラは見た。血を浴びたオーブが急に邪悪《じゃあく》な輝《かがや》きを増《ま》すのを。そこから黒い霧のようなものが湧《わ》き出して、メイガスにまとわりついてゆくのを。勝利を確信《かくしん》したのか、メイガスが笑いながら、デルの体を突《つ》き飛ばすのを。  サーラの記憶の中で、時間は引き伸《の》ばされていた。少女はゆっくりと、ひどくゆっくりと、階段《かいだん》を転がり落ちてきた。一回転するごとに、白い腕がゆらゆらと宙《ちゅう》に踊った。黒い髪《かみ》がひらめいた。血が飛び散る。回るたびに飛び散る。少女の生命を支《ささ》えていた貴重《きちょう》な液体《えきたい》が、空中に散ってゆく……。  少女の体が足元まで転がり落ちてきた時、ようやく麻痺が解けた。夢中《むちゅう》になってかがみこみ、抱《だ》き起こす。 「デル……!」  少女は血まみれでぐったりとなり、意識《いしき》を失っていた。顔からは血の気が失せ、色白の顔がいっそう白くなっている。シャツの胸《むね》が大きく裂け、無残な傷口《きずぐち》が露出《ろしゅつ》していた。一撃《いちげき》は心臓《しんぞう》をわずかにそれていたものの、胸の奥深《おくふか》くにまで達しているようだ。サーラはすっかり混乱《こんらん》して、傷口に手を押し当て、血を止めようとした。だが、血は指の間からいくらでもあふれ出してくる。石畳《いしだたみ》の上に血溜《ちだま》りが広がってゆく。  手の平にかすかな脈動が感じられた。大量の血を失っても、小さな心臓はまだどうにか鼓動《こどう》しているのだ。しかし、一|拍《ぱく》ごとに着実に弱まりつつあった。サーラはそれをどうにもできなかった。 「あ……はう……こんな……」  少年の眼《め》から熱い涙《なみだ》があふれた。どうしていいのか分からない。まともに言葉さえ出てこない。腕の中で、命の重みが失われてゆくのを感じる。あと、ほんの十数秒で、少女の小さな命の灯《ひ》は尽《つ》きる。  世界が終わる、とサーラは感じた。光が失われる。この鼓動が止まるとともに、世界は永遠《えいえん》に闇《やみ》に閉《と》ざされる……。  その時である。 「サーラ! 無事か!」  通路の奥から響《ひび》いてきた声が、少年を正気に返らせた。 「デイン!」  大急ぎでデルの体をひきずり、通路の入り口近くに運んだ。通路の奥で、槍《やり》の林をくぐり抜けようと、デインたちが苦戦しているのが見える。どうにか槍を引き抜くのに成功して、駆《か》けつけてきたに違いない。だが、ここまでたどり着くのに、まだ一分やそこらはかかりそうだ。  しかし、見える距離《きょり》にいるなら治癒魔法《ちゆまほう》は届《とど》くはずだ。サーラは少女の体を抱《だ》き上げ、通路の入り口にかざした。自分も血にまみれるが、気にしてはいられない。 「助けて、デイン!」サーラは泣きじゃくりながら|叫《さけ》んだ。「デルが刺《さ》された! 刺されたんだ! 助けて! 死んじゃうよ! デルが、デルが、デルが……!」 「偉大《いだい》なるチャ=ザよ!」デインは槍の合間から手を差し伸べ、可能《かのう》な限《かぎ》りの早口で詠唱《えいしょう》した。「わが友デルに加護《かご》を。わが祈りを生命《いのち》に変え、かの者に分かち与《あた》えたまえ!」  サーラは少女の体がびくっと震《ふる》えるのを感じた。治癒魔法は届いたのだろうか? 間に合ったのだろうか? それとも今の震えは、生命が失われる瞬間《しゅんかん》の、最後のあがきのようなものだったのか?  慌《あわ》てて傷口を確認《かくにん》する。ふさがってゆく! あれほど激《はげ》しかった出血も止まりつつあった。サーラは絶望《ぜつぼう》のどん底で、奇跡《きせき》のように希望が湧いてくるのを感じた。死者には治癒魔法は効果《こうか》がないはずだから、傷が治るということはまだ命は尽きてはいないことを意味している。 「デル! しっかりして、デル! 死んじゃだめだ! 死なないで、デル! デル! デル……!」  何度も何度も、懸命《けんめい》に揺《ゆ》り動かす。やがて、二度と開かないかとあきらめかけていた少女の目蓋《まぶた》が、震えながら、うっすらとではあるが開いた。  デルの唇《くちびる》から声が洩《も》れた。弱々しく、聞き逃《のが》しそうなほど小さな声だが、確《たし》かに「サーラ……」とつぶやいた。 「デル! 良かった!」  サーラの胸に再《ふたた》び光があふれた。愛する少女を力いっぱい抱き締め、その体によみがえりつつある生命の重みを実感する。世界が戻《もど》ってきた。安堵《あんど》とともに、さらに涙がこぼれ落ちる。  その頃《ころ》には、デインたちもようやく槍の林をくぐり抜《ぬ》けて、室内に入ってきていた。 「メイガス!」  ミスリルが祭壇《さいだん》の方を見て、驚《おどろ》きの声を上げた。デインとフェニックスも立ちすくみ、恐怖《きょうふ》の表情《ひょうじょう》を浮《う》かべている。  サーラはメイガスの悲鳴に気がついた。さっきからずっと室内に響いていたのだが、デルのことしか頭になかったので、耳に入っていなかったのだ。  メイガスは苦悶《くもん》していた——血まみれの姿《すがた》で、祭壇の上でのたうち回っている。オーブからあふれ出した黒い霧は、何十本もの細い管に枝分《えだわ》かれして、蛇《へび》の群《む》れのように彼にからみついていた。振《ふ》り払《はら》おうとでたらめに腕《うで》を振り回しているが、実体を持たない霧には効果がない。激痛《げきつう》を経験《けいけん》しているのか、その顔はひどく歪《ゆが》んでいる。  異様《いよう》な光景を目にして、デインたちは動けなかった。驚きに打たれているせいもあったが、ドワーフの全身にからみついている黒い霧に危険《きけん》なものを感じ、近づくのがためらわれたのだ。だが、メイガスが危険な悪魔に変身しようとしているなら、ただちに攻撃《こうげき》してとどめを刺すか、あるいは逃《に》げ出すかを選択《せんたく》しなくてはならない。ギャラントゥスの秘法《ひほう》が伝承通《でんしょうどお》りのものなら、最悪の魔獣《まじゅう》が誕生《たんじょう》することになる。変身が完了《かんりょう》したらもう手遅《ておく》れかもしれないのだ。  だが、メイガスの肉体には何も変化がないように見えた。何かがおかしい——うまくいっていない。  メイガス自身もそれに気がついているようだ。自分の身に起きていることが信じられないらしく、眼《め》は恐怖と驚きに見開かれている。 「そんな……! なぜだ!?」口から血を流しながら、彼は叫んでいた。「これでうまくいくはずなのに……なぜ拒否《きょひ》する!?……いったい何が……!?」  彼はデインたちに目を止めた。苦痛と絶望の中、泣きそうな顔で、すがるように腕を差し伸《の》べる。その腕も黒い霧に包まれていた。 「助けて……」  ざこっ。  野菜を包丁で切るような奇妙《きみょう》な音がした。メイガスは目をみはった。見ていたサーラたちも愕然《がくぜん》となる。差し伸べたメイガスの腕の、手首から先が消滅《しょうめつ》したのだ。切り落とされたのではない。見えない何かに食いちぎられたかのように、虚空《こくう》に消え失せたのだ。一瞬遅れて、断面《だんめん》から鮮血《せんけつ》が噴《ふ》き出す。  ざこっ。  また音がして、肘《ひじ》から先が消滅した。空中に舞《ま》っていた血もいっしょに消える。フェニックスが耐《た》え切れずに悲鳴を上げた。サーラも叫び出したい気分だった。 「あ、ああ……!?」  メイガスは発狂《はっきょう》寸前《すんぜん》だった。「悪魔のエッセンス」の封印《ふういん》を解《と》く瞬間を、頭の中で何百回も想像《そうぞう》してきたはずだ。悪魔に変身する際《さい》には苦痛もあるかもしれないと覚悟《かくご》していただろう。だが、こんなことが起こるとはまったく予想外だったに違《ちが》いない。  ざこっ。今度は肩《かた》から先が消滅した。次に起きることを予感し、サーラは眼を閉じた。デルの顔をしっかりと胸《むね》で覆《おお》い、彼女にも見せないようにする。 「た、たす……」  ざこっ。  音がメイガスの悲鳴を断《た》ち切った。  音はそれからも規則正《きそくただ》しく室内に響《ひび》き渡《わた》った。ざこっ、ぎこっ、ざこっ——もうメイガスの悲鳴はしない。ミスリルたちも何も言わない。ただ、あの無気味な音だけが響き続ける。サーラは耳もふさぎたかった。やめてくれ。もうやめてくれ……。  十数回目にして、ようやく音が止まった。サーラはおそるおそる眼を開け、祭壇《さいだん》の方を見た。  あの黒い霧が束縛《そくばく》を解き、退《ひ》いてゆくところだった。騒々《そうぞう》しい音を立てながら、空っぽになった金属鎧《きんぞくよろい》が祭壇を転がり落ちてくる。もうメイガスの姿《すがた》はどこにもない。あるのは鎧と、衣服の断片《だんぺん》、それに血痕《けっこん》だけ。  オーブも鎧の後を追うように転がり落ち、床《ゆか》を少し転がって止まった。黒い霧はゆるやかに渦《うず》を巻《ま》きながら、その中へ戻《もど》ってゆく。穴《あな》の開いた桶《おけ》の底に水が吸《す》いこまれるのを見るようだ。霧が消えるにつれ、オーブの赤い輝《かがや》きも弱まっていった。  声が響いた。聞いたこともない声——低く、重々しく、発音はやや不明瞭《ふめいりょう》で、人間のものではない声帯が無理に人の言葉を発音しようとしているかのような不自然さがあった。サーラの知らない言語で何かを宣言《せんげん》しているようだ。意味は理解《りかい》できないが、その口調には明らかに嘲笑《ちょうしょう》が含《ふく》まれていた。  霧が完全にオーブに戻ると、その赤い輝きも元と同じ明るさに戻った。 「今のは……何?」サーラは恐怖《きょうふ》に震《ふる》える声で言った。「あの声……何て言ったの?」 「……古代語よ」フェニックスの声もひどく震えていた。「『契約《けいやく》を軽《かろ》んずるべからず。契約を違《たが》えし者には罰《ばつ》あるべし』……」  その日の夕方。  ハドリー村の人々は、朝から探索《たんさく》に出かけていた冒険者《ばうけんしゃ》たちが、意気|消沈《しょうちん》し、足に鎖《くさり》がついているような重い足取りで戻ってきたのを目撃した。彼らはひどく落ちこんでおり、何も話そうとしなかったが、ドワーフの姿が見えないこと、サーラの連れの少女の服に乾《かわ》きかけた血がべっとりとこびりついていることなどから、村人たちはおぼろげに何が起きたのかを推測《すいそく》した。  パル家の隣《となり》のライン家でも、夕食時にその話題が出ていた。 「仲間が死ねば、そりゃがっくりも来るだろうさ。哀《あわ》れなもんだ」  家長のクラークは肉をつつきながら言った。あまり人の死を悼《いた》んでいるようではない。露骨《ろこつ》に口に出しはしなかったが、内心では、冒険者などという連中は世間からはみ出した荒《あら》くれ者|揃《ぞろ》い、山賊《さんぞく》も同然と思っていたからだ。財宝《ざいほう》を探《さが》しに出かけて命を失うなど、自業《じごう》自得もいいところだ。 「サーラ、沈《しず》んでるでしょうね」フレイヤは心配で、さっきからスプーンでスープをかき回してばかりいた。「後でお見舞《みま》いに行こうかしら」 「いや、やめなさい」クラークは慌《あわ》てて言った。 「どうして?」 「そりゃお前、こういう場合はそっとしておくのが心遣《こころづか》いというもんだ。うわべだけの悔《く》やみの言葉なんて、彼らも聞きたくないだろう」  そうは言ったが、本音は娘《むすめ》が冒険者と親しくするのを避《さ》けたいのだ。特に同世代で幼《おさな》なじみでもあるサーラに、あまり近づけたくはなかった。フレイヤもそろそろ年頃《としごろ》、少年に対する同情《どうじょう》の念が恋愛《れんあい》感情に変わったりしたら厄介《やっかい》だ。 「そうよ、フレイヤ」夫人のミアも同調した。「今夜はあの人たちだけで仲間の死を悼みたいでしょうしね」 「そうね……うん、その通りかも」  フレイヤはうなずき、スープをすすった。  サーラに会いに行くのは明日にしよう。  サーラたちはというと、ユリアナが気を利《き》かせて用意してくれた夕食が、あまり咽喉《のど》を通らなかった。あんなことがあった後では、元気よく飲み食いなどできるわけがない。  その夜|遅《おそ》く、五人は集会所のテーブルを囲んだ。デインの提案《ていあん》で、これからのことを話し合うことになったのだ。テーブルの上では、迷宮《めいきゅう》から持ってきた「悪魔《あくま》のエッセンス」が、邪悪《じゃあく》な赤い光をほんのりと放っている。彼らはそれを取り巻き、いまわしげに、悲しげに、憎々《にくにく》しげに見つめていた。 「……いったい何が間違《まちが》ってたのかな?」  デインは迷宮の中からずっとひきずってきた疑問《ぎもん》を口にした。メイガスは確《たし》かに正しい手順(道義《どうぎ》的には間違っていたが)を踏《ふ》んでいたはずだ。それなのになぜ、オーブは彼が契約を違えたと判断《はんだん》したのか。それが分からない。 「さあ」フェニックスは考えたくもないというように、投げやりな口調で言った。「彼がドワーフだったせいかもしれない。生贅《いけにえ》のデルが死ななかったせいかも。あるいは私たちの知らない契約|事項《じこう》がまだ何かあったのか……何にしても、失敗して良かったんだわ」 「ああ——まあ、良かったんだろうな」  デインはそう答えるしかなかった。  サーラはデルと並《なら》んで座《すわ》っていた。デルはだめになった服に代わって、使用人から借りたシャツをはおっている。治癒《ちゆ》魔法で健康は取り戻《もど》したものの、疲《つか》れ果てたようにうなだれ、いつもよりさらに無表情になっていた。  二人はデインたちの会話を聞いているだけで、何も発言しようとしなかった。メイガスの死について、誰《だれ》も彼らに意見を求めようとしなかった。しかし、二人は真相を知っていた。メイガスがどこを間違《まちが》えたのか、気がついていた。無論《むろん》、たとえ質問《しつもん》されても、サーラはそれを口にする気はなかった。  デルは処女《しょじょ》ではないのだ。  彼女は八|歳《さい》の時、ドレックノールの工作員に誘拐《ゆうかい》され、暴行《ぼうこう》を受けたのだ。それはサーラだけが知っている秘密《ひみつ》である。彼女の心の傷《きず》に触《ふ》れないようにするため、ミスリルたち親しい仲間にも打ち明けなかったのだ。  メイガスがそれに気づいていたら、デル以外の少女を生贄に選んだだろう。その場合、儀式《ぎしき》は成功し、彼は魔獣《まじゅう》に変身していた可能性《かのうせい》が高い。そうなれば彼は自らの望みを成就《じょうじゅ》するために大量|殺戮《さつりく》を開始していただろう。手違いでそれが失敗したのは、世界にとって幸いと言うべきなのだ。  だが、サーラはこんな結果が「良かった」とは、とうてい思えなかった。 「……そんなことより」ミスリルがのろのろと、面倒臭《めんどうくさ》そうに言った。「このオーブをどうするか、話し合うんじゃなかったか?」 「ああ、そうだな」とデイン。「どうする? 誰か意見は? このくそったれな代物《しろもの》は、どこに叩《たた》き売るべきだと思う?」  彼がこんな汚《きたな》い言葉を使うのは珍《めずら》しい。平静なようでいて、胸《むね》の中には激《はげ》しい悲しみと怒《いか》りが渦巻《うずま》いているのだろう。  誰も口を開かない。 「フェニックス、君の意見は?」  彼女は深くうなだれていた。「……自信がないわ」 「ん?」 「昨日までは確かに自信があった。自分から悪魔と合体しようなんて考える愚《おろ》かな人間なんて、ギャラントゥスぐらいのものだと思ってた。ヴリルや魔術師《まじゅつし》ギルドの人たちがオーブを悪用するなんてありえないって……でも」ゆっくりとかぶりを振《ふ》る。「もう、誰も信じられない」 「同感だな」ミスリルはため息をついた。「俺《おれ》も盗賊《とうぞく》ギルドを信じられない……」  そう、彼らは今日、それを思い知らされたのだ。どんなに親しげでも、どんなに善人《ぜんにん》そうに見えても、裏には別の顔があるかもしれない。仲間と笑ってつき合いながら、内面ではおぞましい欲望《よくぼう》をたぎらせているのかもしれない。強大な力を約束するオーブの存在《そんざい》は、彼らの邪悪《じゃあく》な望みを叶《かな》え、心の闇《やみ》を解《と》き放つかもしれない。  信じていた仲間に裏切られた今、いったい誰を信じられるというのか。 「お前はどうだ、デイン? チャ=ザ神殿《しんでん》は信じられるのか?」 「難《むすか》しい質問《しつもん》だな」デインは悲しげに苦笑《くしょう》した。「僕《ぼく》も同じだ。あんなことがある前なら、自信を持って答えられたんだが」  みんなはまた黙《だま》りこくった。危険《きけん》なオーブを誰の手に委《ゆだ》ねるべきか——いくら考えても、いい答えが浮かばない。 「……ねえ」サーラが口を開いた。「僕、お金なんかいらない」  一同ははっとして少年を見た。 「売ればお金になるからって……いくら大金だからって……そんなの欲《ほ》しくない。こんなのを売って儲《もう》けたお金なんて」  サーラは傍《かたわ》らのデルに語りかけた。 「ねえ、デル。そうは思わない? 確《たし》かに幸せになるのにお金は必要かもしれない。だけど、こんなお金じゃ幸せになれないよ」  デルはぽかんとしていたが、やがて、おずおずとうなずいた。 「確かにね……」フェニックスはオーブをにらんで考えこんだ。「これを売った金で飲む酒は、きっとまずいわ」  その考えは全員の心にゆっくりと浸透《しんとう》していった。最後には裏切ったとはいえ、メイガスはやはり仲間だった。彼の命を奪《うば》ったオーブを売るということは、彼の死で金儲けするような気がする。はした金ならともかく、大金であるだけに、後ろめたさも大きい。 「言われてみればなあ……」ミスリルは顎《あご》を撫《な》でた。「金を使うたびに、奴《やつ》の顔が浮かびそうだな……」 「ちょっと待ってくれ」デインが慌《あわ》てて言った。「それが君たちの意見なのか? オーブをどこにも売らないというのが?」 「そうさ。こんなの叩き割《わ》っちまえばいい。面倒が起きる前に」 「それはいい考えじゃないわね」とフェニックス。「こういう魔法のかかった品は、ちょっとやそっとの衝撃《しょうげき》じゃ壊《こわ》れない。それに、もし壊れたら、中に封《ふう》じこめられていた悪魔のエッセンスが流出するかもしれない。何が起きるか予想がつかないわ」 「そうか……だが、迷宮《めいきゅう》に戻しに行くのもまずいだろ? いつか別の誰かが探《さが》しに行って、見つけちまうかもしれない」 「どこかに捨《す》てるしかないわね」 「どこかってどこだ?」とデイン。「そこらの道端《みちばた》に捨てるわけにはいかないぞ。誰かに拾われたらどうする?」 「だから見つからない場所に捨てるのよ。洞窟《どうくつ》の奥《おく》とか、海の底とか……」 「僕に捨てさせて」  サーラの発言に、デインたちは驚《おどろ》いた。 「いい隠《かく》し場所を知ってるんだ。誰にも見つからない場所」 「この近くなのか? どこだ?」 「言えない」サーラはきっぱりと言った。「たとえみんなでも」   ′  一瞬《いっしゅん》、気まずい雰囲気《ふんいき》が流れた。だが、サーラはそれが正しい判断《はんだん》だと信じていた。ここにいる誰かが、メイガスのようにオーブの力に魅了《みりょう》されると思っているわけではない。だが、また誰かが裏切って悪に走るのではないかと疑心暗鬼《ぎしんあんき》に陥《おちい》るより、今ここで災《わざわ》いの種を処分《しょぶん》して、禍根《かこん》を断《た》つべきなのだ。  それが正しいことは、デインたちにも理解《りかい》できた。 「知ってるのは僕とデル——それに死んだメイガスだけだ。メイガスは言ってた。この場所なら、誰かが偶然《ぐうぜん》に見つけることなんて百万にひとつもないって。そして、僕とデルは誰にも喋《しゃべ》らない。墓《はか》まで秘密《ひみつ》を持って行く」サーラは静かな口調で、しかし自信をこめて言った。「この方法がいちばんいいと思うんだ」  しばらく黙考《もっこう》したのち、デインが口を開いた。 「ああ、確かに……それが最善の選択《せんたく》かもしれんな」 「愚《おろ》かな選択ではあるけどね」フェニックスは自嘲《じちょう》の笑《え》みを浮かべた。「こんな大儲けをふいにするなんてね」 「ま、冒険者《ぼうけんしゃ》なんてのは馬鹿《ばか》なもんさ」とミスリル。「それよりデイン、お前はいいのか? レグにどう言い訳《わけ》する?」 「今回は骨折《ほねお》り損《ぞん》だったってことにするさ」デインは悲しげに肩《かた》をすくめた。「おしめ代ぐらい、稼《かせ》ぐ方法はいくらでもあるしな」 「じゃあ、決まりだね」  サーラはそう言うと、オーブをひったくるようにしてテーブルから取り上げ、水などを入れる革袋《かわぶくろ》に押《お》しこんだ。それをさらに背負《せお》い袋に入れる。 「捨ててくる。朝までには戻《もど》るから——デル、いっしょに来て」  サーラは少女を連れ、ランタンを持って外の闇へ飛び出していった。その後ろ姿《すがた》を見送って、ミスリルはぽつりとつぶやいた。 「……サーラを仲間にしたのは正解だったよな」  デインとフェニックスは、無言でうなずいた。  夜の山は暗かったが、歩き慣《な》れたサーラは迷《まよ》うことはなかった。小川に沿《そ》ってしばらく進み、テーブル状の岩がある場所から横にそれて、斜面《しゃめん》を登る。念のため、途中《とちゅう》で何度も振《ふ》り返り、誰にもつけられていないのを確認《かくにん》する。  あの隠し場所にたどり着いた。デルが掲《かか》げるランタンの灯《ひ》の下で作業を行なう。埋めたばかりの土を掛り返し、空洞を露出《ろしゅつ》させてゆく。前にこの作業をしたのは、つい前日のことだった。風景には何も変化はないが、サーラは自分の内面がたった一日でずいぶん変わってしまったのを感じていた。  昨日はここにメイガスがいた。あの時の彼はまだ仲間であり、友人だった。親しく言葉を交《か》わしていた。気難《きむずか》しいところや荒《あら》っぽいところがあり、ややつき合いづらくはあっても、決して悪人ではないと信じていた。  次の日にあんなことになるなんて、想像《そうぞう》もしていなかった。  穴《あな》が現《あら》われると、サーラはそこに革袋ごとオーブをねじこんだ。人形を捨てる時のように、感慨《かんがい》にふけってはいなかった。忌《い》まわしいオーブに長いこと触《ふ》れていたくなかったからだ。一刻《いっこく》も早く、目の届《とど》かない場所にやってしまいたかった。 「忘《わす》れられてしまえ……」穴に土を詰《つ》める作業をしながら、サーラは小さく呪《のろ》いの言葉をつぶやいていた。「お前なんか、この世から忘れられてしまえ……」  入念に穴をふさぎ、サーラはようやく満足した。 「これでいい——さあ、行こう」  二人は斜面を無言で下っていった。樹々《きぎ》の葉叢《はむら》の合間から差しこむ月光が、ほの白い光の柱となって、夜の森に林立している。どこかで虫の声がしている。夜の空気は涼《すず》しいものの、不快《ふかい》な冷たさを感じさせるほどではない。秋が深まってきているとはいえ、この地方の冬の訪《おとず》れはまだ先のことなのだ。  やがて小川に出た。月は満月に近く、ほぼ天頂《てんちょう》にあり、この小さな谷間を照らし出している。涼やかなせせらぎの音が夜の空気に満ちている。あのテーブル状《 じょう》の岩は流れの上に大きく突《つ》き出していた。昼間は苔《こけ》むして緑色に見えたが、月光の下では色彩《しきさい》が失われ、灰色《はいいろ》がかって見える。 「待って」サーラは先を歩くデルを呼び止めた。「話しておきたいことがあるんだ」  デルは足を止め、不思議そうに振り返った。 「……何なの?」 「大事なことだ。僕たちのこと」  サーラは愛する少女の顔を真正面から見つめた。  逃《に》げてはいけない——と自分に言い聞かせる。そう、今日は絶対《ぜったい》に逃げない。 「この前、ミスリルと話し合った。いつになったら大人になれるのかって——ミスリルが言うには、『自分は大人だ』って確信できた時が大人になった時なんだって。年の問題じゃなくて、そう確信できないうちは、まだ子供《こども》なんだって。  僕にはそんな確信はない。自分が大人だなんて思えない。この世はまだまだ僕たちの知らないことでいっぱいで、僕たちにはできないことが多すぎて、まだミスリルたちの足手まといで……でも……」  サーラはかぶりを振った。 「違《ちが》うんだ——そんなこと関係ない。自分が大人かどうかとか、大人だって確信を持てるかとか、そんなのぜんぜん関係ない。普通《ふつう》の人はそれでいいのかもしれない。フレイヤみたいな普通の人なら、それでいいんだ。あせることなんかない。何年でも待てばいい。ゆっくりと生きて、ゆっくりと親しくなって、大人になって結婚《けっこん》して……でも、違う。僕たちは普通の人間じゃない。冒険者《ぼうけんしゃ》なんだ。いつ死ぬか分からない。今日はたまたま運が良かったから生き残れた。でも、明日は死ぬかもしれない。僕たちの人生は短いんだ。短い人生を駆《か》け足で生きてるんだ。  今日、それが分かった。君が死にかけたあの時に——僕は自分も死んだような気がした。もしあのまま君が死んでたら、僕はものすごく後悔《こうかい》したと思う。一生、悔《く》やみ続けたと思う。どうして……どうして……」  抑《おさ》えていた感情《かんじょう》が、熱い涙《なみだ》となってあふれ出してきた。サーラは拳《こぶし》を握《にぎ》り締《し》め、すすり泣いた。 「どうして君を抱《だ》いてあげなかったんだろうって……」 「サーラ……」  デルはそっと手を差し伸《の》べた。細い指で優《やさ》しく少年の涙をぬぐう。 「泣かないで、サーラ……」 「デル……!」  サーラは少女を引き寄《よ》せ、強く抱き締めた。デルも少年の背《せ》に腕《うで》を回した。互《たが》いの自分の胸《むね》が相手の胸に圧迫《あっぱく》されるのを感じる。腕の中に互いの体重と体温が存在《そんざい》するのを感じる。生きている証《あかし》が息づいているのを感じる。 「……僕は決めた」  サーラは少女の耳にささやいた。 「僕は後悔したくない」  デルは小さくうなずいた。 [#改ページ]    12 夜の翼《つばさ》  サーラは震《ふる》える指で、少女の体から少しずつ衣服を取り除《のぞ》いていった。大切な美術品《びじゅつひん》の包みをほどくように、優しく、慎重《しんちょう》に——デルは目蓋《まぶた》を閉《と》じて静かに立ちつくし、されるがままだった。  白い肌《はだ》が現《あら》われてゆくにつれ、サーラは魂《たましい》の奥《おく》で暗く熱く凶暴《きょうぼう》な何かが脈打ち、ゆっくりと力を増《ま》してゆくのを感じた。知らず知らず、呼吸《こきゅう》が荒《あら》くなっている。それは二月《ふたつき》前のあの晩《ばん》、池のほとりで覚えたのと同じ感覚だった。自分の中には、あの黒いオーブと同じような球体が眠《ねむ》っていて、それが解《と》き放たれるのを待っているように思える。  恐《おそ》ろしかった——決意したこととはいえ、これから未知の世界に足を踏《ふ》み入れるのだと考えると、不安でたまらない。だが、サーラは勇気を奮《ふる》い起こした。後戻《あともど》りはできない。後悔しないと誓《ちか》ったのだから。  やがて少女は、世間の倫理《りんり》が強要していた堅苦《かたくる》しいものから解き放たれ、生まれたままの姿《すがた》で少年の前に立った。静かに微笑《びしょう》を浮《う》かべ、両手は恥ずかしげに胸に置いているが、何も隠してはいない。サーラはその足元にひざまずき、女神像《めがみぞう》を崇《あが》める巡礼者《じゅんれいしゃ》のように、その至高《しこう》の美に酔《よ》っていた。  月明かりの下で、少女の肌は雪花石膏《アラバスター》のように白かった。月光に浮かび上がった幻想《げんそう》的なその姿は、内側からほのかな燐光《りんこう》を放っているようにも見える。サーラは現実から遊離《ゆうり》し、頭がしびれるような感覚を味わっていた。その感動はまさに宗教的《しゅうきょうてき》な熱狂《ねっきょう》に近いものだった。デルの言葉は正しい。本当にいちばんきれいなのは、何も着ていない彼女だ……。  無論《むろん》、客観的に見れば、もっと美しい女性《じょせい》などいくらでもいるだろう。だが、彼にとってデルは唯一《ゆいいつ》無二の存在なのだ。他のどんな美女が衣服を脱《ぬ》いだとしても、これほどの感動を与《あた》えてはくれないだろう。この世で最も愛している少女だからこそ、この世で最も美しいのだ。  同時にサーラは、恐怖《きょうふ》も感じていた。美の背後《はいご》に強烈《きょうれつ》な危険《きけん》が潜《ひそ》んでいるという、理屈《りくつ》に合わない予感が胸を苛《さいな》む。目の前に立っているのが生身の少女ではなく、切れ味の鋭《するど》い剣《けん》、鞘《さや》から解き放たれ、月光を反射《はんしゃ》して輝《かがや》く鋼鉄《こうてつ》の刃《やいば》のように感じられるのだ。触《ふ》れれば手が斬《き》れる。抱《だ》き締《し》めれば自分はまっぷたつにされる……。  それでもサーラはおずおずと手を伸《の》ばし、少女の脚《あし》に触れた。予想に反して、手は斬れなかった。そっと指を滑《すべ》らせると、素焼《すや》きの壷《つぼ》のように乾《かわ》いた、軽く心地《ここち》よい感触《かんしょく》だった。  サーラはしばらく行動に移《うつ》れなかった。二つの強烈な力が拮抗《きっこう》していたからだ。恐怖と魅惑《みわく》、不安と歓喜《かんき》、少女を突《つ》き飛ばしてここから逃《に》げ出したいという想《おも》いと、さらに先へ進みたいという想い——やがて後者がわずかに打ち勝ち、サーラはためらいながらも前進を再開《さいかい》した。  自分も服を脱ぎ捨《す》てて立ち上がり、デルを静かに抱き寄せる。ふたつの白い影《かげ》がひとつになる。 「……寒くない?」 「あなたがいれば……」  二人はくちづけを交わした。  サーラは少女の背中で手をぎこちなくさまよわせながら、ゆっくりと腰を落としていった。彼女を誘導《ゆうどう》し、苔《こけ》に覆《おお》われた岩の上に座《すわ》らせ、自分も並《なら》んで座る。湿気《しっけ》を含《ふく》んだ苔はやや冷たかったものの、深くて柔《やわ》らかく、最良のクッションを提供《ていきょう》していた。サーラは少女を横たえていった。壊《こわ》れやすい美術品のように慎重に、優しさと愛《いと》しさをこめて。  衝動《しょうどう》は急速に膨張《ぼうちょう》してゆく。魂の奥の黒い球体が、内側からの圧力《あつりょく》に耐《た》えかね、ひび割《わ》れてゆく。その奥で燃えたぎっているのは灼熱《しゃくねつ》の闇《やみ》、目もくらむばかりの暗黒だ。それは殻《から》を破《やぶ》って飛び出し、少年を焼きつくそうとしていた。サーラはますます不安を覚えたが、それを無理に押《お》し殺し、ゆっくりと少女に折り重なっていった。  自分の下に少女の全存在《ぜんそんざい》を感じる。柔らかく、温かく、愛しく、せつない。つい一年ほど前まで存在すら知らなかった少女と、こうして全身を密着《みっちゃく》させているのは、不思議で心|躍《おど》る体験だった——それは人生で最も幸福な瞬間《しゅんかん》のはずだった。  にもかかわらず、恐怖は依然《いぜん》としてサーラを締めつけていた。息が詰《つ》まりそうだった。黒い炎《ほのお》の圧力は今や限界《げんかい》に達している。殻は膨張し、砕《くだ》け散る寸前《すんぜん》だ。大きく、さらに大きく、邪悪《じゃあく》な影が広がり、月蝕《げっしょく》のように魂を侵食《しんしょく》してゆく。サーラは正気が失われてゆくのを感じた。爆発《ばくはつ》の時が迫《せま》ってくる。迫ってくる……。  後から思えば、それは明白な予兆《よちょう》だった。だが、経験《けいけん》のないサーラにはそれが理解できなかった。これほど危険《きけん》が間近に迫ってもなお、デルに接近《せっきん》するたびに感じていた理由のない不安の正体が、意識下《いしきか》で発せられていた警鐘《けいしょう》であることに気がつかなかった。  破滅《はめつ》が訪《おとず》れる瞬間まで、彼はそれを男性《だんせい》としての正常《せいじょう》な衝動だと信じていた。  ついに、それは爆発した。殻は砕け散り、秘《ひ》められていた強大な力が解放《かいほう》され、少年の理性を吹《ふ》き飛ばした。  デルは幸福に酔《よ》っていた。サーラに出会って以来、ずっと待ち望んでいた瞬間だった。歓喜が高まるにつれ、五年前のいまわしい体験の記憶《きおく》が過去《かこ》のものになってゆく。今夜、自分は新たに生まれ変わるのだ。愛する少年の腕《うで》の中で、一度は破滅した人生をやり直すのだ……。  のしかかっていたサーラの体に不自然な震《ふる》えが走った。だが、陶酔《とうすい》していたデルは気づきもしなかった。眼《め》を閉《と》じ、少年の優《やさ》しい手に、ただ身を委《ゆだ》ねていた。手がゆっくりと這《は》い上がってくるのを感じる。脇腹《わきばら》から胸《むね》へ、肩《かた》へ、そして首へ……。  少年の手が首を絞《し》めはじめた時、ようやくデルは異変《いへん》に気がついた。 「……!」  叫《さけ》ぼうとしたが、声が出ない。サーラは馬乗りになり、全身の力を腕に集めて、ぐいぐいと首を絞め上げてくる。突然《とつぜん》のことで、デルは何がなんだか分からなかった。必死にもがくが、少年を振《ふ》りほどくことはできない。頚動脈《けいどうみゃく》が圧迫《あっぱく》されて血流が断《た》たれる。意識が急速に遠のいてゆく……。  急に力が弱まった。闇に落ちかけていた意識が戻《もど》ってくる。気がつくと、のしかかっていた少年の体重が消失していた。デルは眼を開けた。咳《せ》きこみながら上体を起こす。  サーラは苦悶《くもん》していた——彼女のそばに横たわり、胎児《たいじ》のように体を丸めて、自分を抱き締めている。自分を必死に抑《おさ》えているのだ。その全身は激《はげ》しく痙攣《けいれん》し、食いしばられた歯の合間からは獣《けもの》のようなうなり声が洩《も》れていた。 「サーラ……?」 「触《さわ》るなあ!」  差し伸べられた少女の手を、サーラは乱暴《らんぼう》に払《はら》いのけた。こちらを向いたその顔を見て、デルはぞっとなった。少年の優しい瞳《ひとみ》は、すさまじい狂気《きょうき》に憑《つ》かれ、ぎらぎらと光っていた。  サーラは近くに脱《ぬ》ぎ捨てていた服を手探《てさぐ》りし、ダガーを引き抜《ぬ》いた。それを振りかざし、わけの分からない叫びを上げながら、デルに飛びかかってゆく。デルはとっさに転がってよけ、川に転落した。  川は膝《ひざ》までの深さしかなかった。水がクッションになったおかげで、尻を軽く川底にぶつけたぐらいで済《す》んだ。とっさに体勢《たいせい》を立て直し、見上げると、月明かりに刃が《やいば》きらめくのが見えた。サーラが彼女を追って飛び降《お》りてくるところだった。流星のように降ってくるダガーの致命《ちめい》的な一撃《いちげき》を、デルは反射《はんしゃ》的な動作でかわした。  サーラはなおもダガーを振り回し、デルに斬《き》りつけようとする。二人は水しぶきを上げながら、ぶざまな立ち回りを演《えん》じた。正気を失ったサーラの動きはでたらめで、流麗《りゅうれい》さのかけらもない。デルの方も動転していて、よろめきながら死に物狂いで逃げ続けるばかりだ。悪夢《あくむ》の中にいるようだった。 「サーラ、どうしたの!? サーラ!」 「デル、逃げろ!」サーラは懸命《けんめい》に意志《いし》の力をふるい、声を絞《しぼ》り出した。「呪《のろ》いだ——君を殺しちゃう!」  その言葉に、デルは愕然《がくぜん》となった。こんな時に呪いが発動するなんて——いや、こんな時だからこそ発動したのか。  ショックのせいで足元の注意がおろそかになった。後退《こうたい》を続けていたデルは、川底の石につまずき、派手《はで》に水をはね散らかして転倒《てんとう》した。起き上がろうともがく。だが、間に合わない。サーラが迫《せま》ってきて、ダガーを振り下ろそうとする。 「やめろーっ!」  サーラは絶叫《ぜっきょう》した。最後の瞬間《しゅんかん》、意志の力を振り絞り、腕《うで》をわずかに操《あやつ》ってダガーの軌道《きどう》を変える。  ダガーはサーラ自身の大腿部《だいたいぶ》に突《つ》き刺《さ》さった。激痛《げきつう》とともに、バランスを崩《くず》して、川の中に倒れこむ。 「サーラ!」 「来るな!」  デルは近づけなかった。サーラはよろめきながらも片膝《かたひざ》を立てた。激痛に苦しみながらも、ダガーを振り回して、恋人《こいびと》に斬りつけようとしている。 「逃げろ! 逃げてくれ!」サーラは顔をくしゃくしゃにして泣きじゃくっていた。「君を殺しちゃう、殺しちゃう、殺しちゃう……殺す、殺す、殺すうう〜っ!」  彼が強烈《きょうれつ》な殺戮衝動《さつりくしょうどう》と戦っているのが、デルには分かった。それがどれほどすさまじい精神《せいしん》的|闘争《とうそう》なのか想像《そうぞう》もつかない。キマイラが死に際《ぎわ》に放った呪いは恐《おそ》ろしく強力なものであったはずだ。サーラが強い意志を持つ少年だからこそ、どうにか耐《た》えていられるのだ。  だが、長くは持ちそうにない。彼女は決意を固めた。  傷《きず》ついて動きの鈍《にぶ》ったサーラの背後《はいご》に回りこむ。サーラはダガーを振り回すが、背後までは届《とど》かない。デルは「抵抗《ていこう》しないで!」と叫ぶと、全力をこめて「精神攻撃《メンタル・アタック》」の呪文《じゅもん》を放った。相手を傷つけずに気絶させることのできる暗黒|魔法《まほう》だ。  サーラは失神し、川に突っ伏《ぷ》した。  デルは少年が溺《おぼ》れないよう、川岸までひきずり上げ、草の上にうつ伏せに横たえた。負傷《ふしょう》した大腿部を暗黒魔法で治療《ちりょう》する。  サーラはうなされていた。意識《いしき》を失っているにもかかわらず、顔はひどく歪《ゆが》み、口からは「殺す、殺す……」とうわごとが洩《も》れている。指は鉤爪《かぎづめ》のように曲がり、ぴくぴく震《ふる》えていた。夢の中でも少女の首を絞《し》めているのだろう。気絶しても呪いは解《と》けないのだ。  目を覚ましたら、また襲《おそ》いかかってくるに違《ちが》いない。 (私のせいだ、私のせいだ、私の……)  デルは泣いていた。パニックに陥《おちい》りそうだった。絶望、後悔《こうかい》、悲嘆《ひたん》、自己嫌悪《じこけんお》が混沌《こんとん》となり、激《はげ》しく荒《あ》れ狂《くる》う。こんなことになるなんて。みんな私のせいだ。私が誘惑《ゆうわく》したせいだ。知らなかったなんて言い訳《わけ》にならない。抱《だ》いて欲しいと望まなければ、キマイラの呪いが発動することもなかったんだ……。  愛の相手を殺せ。  正確《せいかく》にそういう文章ではなかったかもしれないが、そういうニュアンスの命令だったはずだ。精神的に愛し合うだけではなく、肉体的に結ばれようとする瞬間に、強烈な殺戮衝動が解き放たれるように仕組まれていたのだ。  ジェノアの呪いがかからなかった理由も、今となっては理解《りかい》できる。男色家であるジェノアは、サーラに目をつけ、呪いで束縛《そくばく》してドレックノールに連れ帰り、愛人の一人に加えようと企《たくら》んでいた。呪いがかかっていれば、確実にそうなっていたはずである。その場合、殺戮衝動《さつりくしょうどう》はジェノアに向けられていただろう。だが、「ジェノアを殺せ」という命令と「ジェノアに従《したが》え」という命令が矛盾《むじゅん》するのは明白である。だから弱い呪《のろ》いの方がはじかれたのだ。  それにしても、何という狡猾《こうかつ》で残酷《ざんこく》な呪いだろうか。普段《ふだん》の日常《にちじょう》生活では決して発動することはなく、その存在《そんざい》すら察知されることはない。そして、犠牲者《ぎせいしゃ》が幸福の絶頂《ぜっちょう》にある瞬間を狙《ねら》って発動し、愛する者をその手にかけさせることによって、最大限《さいだいげん》の苦しみをもたらす……。  人の愛を無残に踏《ふ》みにじる、考えうる限《かぎ》り最悪の呪い——キマイラがサーラを勇者サーラの子孫だと誤解《ごかい》し、復讐《ふくしゅう》を企《たくら》んだというフェニックスの説も、間違いではないのかもしれない。  だが、呪いの正体が分かったところで、それが解けるわけではない。 (どうしよう、どうしよう、どうしよう……)  デルは狼狽《ろうばい》していた。ひどく混乱《こんらん》し、まともにものを考えるのが難《むすか》しい。それでも必死に、愛する少年を救う方法を模索《もさく》した。時間がない。彼が意識を回復する前に、どうにかしなければ。  デインたちに助けを求めるというのが、最初に思いついたことだった。だが、デインの司祭としての能力《のうりょく》はたいして高くなく、キマイラの強力な呪いを解けるとは思えない。こんな村では、デイン以上の司祭もいないだろう。  大きな街に行けば高位の司祭が何人もいる。大金を積めば解呪《リムーブ・カース》の儀式《ぎしき》も受けられるだろう。だが、ザーンに戻《もど》るだけで何日もかかる。サーラをずっと眠《ねむ》らせたままにしておくことはできない。眠っている間も彼は苦しみ続けているのだ。こんな状態《じょうたい》が何日も続けば、精神が破壊《はかい》されてしまうに違いない。  いっそサーラに殺されてしまおうかとも考えた。殺意の対象になっている自分が死ねば、呪いは解けないまでも、一時的に殺戮衝動からは解放されるはずだ。死を恐《おそ》れはしなかった。サーラのためならいつでも命を投げ出す覚悟《かくご》があった。  だが、それは生き残ったサーラに深い心の傷《きず》を負わせるだろう。彼に重い罪《つみ》の意識を背負《せお》わせ、一生苦しめるだろう。それを考えるとデルはためらった。サーラにとって、死よりも残酷なことかもしれない。他に手がなければそれを選択《せんたく》するしかないだろうが、あくまで最後の手段《しゅだん》だ。他の方法を試《ため》してからでも遅《おそ》くない。  まだひとつ、方法があった。  デルはその案自体よりも、それを思いついた自分に恐怖《きょうふ》した。自らの内にひそむ心の闇《やみ》の大きさにあらためて気づき、戦慄《せんりつ》した。だが、考えれば考えるほど、それは有望な方法に見えた。お膳立《ぜんだ》ては整っている——まるでファラリスがすべてを見通し、この瞬間《しゅんかん》、彼女のための舞台《ぶたい》を用意したかのように。  最初はためらったが、否定《ひてい》する材料は見当たらなかった。この方法でもサーラの心に傷を負わせることになるだろうが、もうひとつの方法よりはましなはずだ。なぜなら、すべての罪《つみ》を背負うのはサーラではなく、自分だからだ。そして自分は、罪を犯《おか》すことなど恐れはしない……。  問題は、それを行なう勇気があるかどうかだ。 「……ええ、あるわ」デルは自分に言い聞かせるように、決意を声に出した。「私はサーラのためなら何でもする……」  彼女は立ち上がると、夢遊病者《むゆうびょうしゃ》のようにふらふらと川の中に入り、サーラの落としたダガーを拾い上げた。月光にきらめく刃《やいば》をじっと見つめる。もう迷いはない。これがサーラを救う最も確実《かくじつ》な方法なのだから。  少女は一糸まとわぬ姿《すがた》で、月光を浴びてすっくと立ち、夜空を見上げた。輝《かがや》く月と、その背後《はいご》に広がる闇に向かって、震《ふる》える愛らしい声で、誇《ほこ》らしげに宣言《せんげん》する。 「偉大《いだい》なるファラリスよ。あなたの教えに従《したが》います。ですからどうか、私に力を……」  こんこん。  窓《まど》をノックする昔に、フレイヤは気がついた。ベッドに入ったものの、なぜか深夜を過《す》ぎても寝《ね》つかれず、悶々《もんもん》として寝返りを繰《く》り返していたのだ。 「誰《だれ》……?」  窓の外に人影《ひとかげ》があった。なおも窓を叩《たた》いている。泥棒《どろぼう》ならばノックはしないだろう。彼女は不審《ふしん》に思いながらも起き上がり、窓に近づいた。  月光を浴びた牧草地に、デルが立っていた。 「どうしたの? こんな夜中に……」 「その……」デルはうつむきかげんで、もじもじしているように見えた。「昨日のことで、まだお礼を言ってなかったから——少し話したいんだけど、いい?」 「今すぐ?」  デルはこくりとうなずく。何か女同士の秘密《ひみつ》の話なのだろう、とフレイヤは思った。 「ええ、どうぞ」  フレイヤは疑《うたが》いもせず、窓を開けた。昨日、しばらく話してみて、デルが少し変わってはいるが、内気で無害な少女だという印象を抱《いだ》いていたからだ。短い言葉の端々《はしばし》に表《あら》われる、サーラを一途《いちず》に思う気持ちは微笑《ほほえ》ましかった。  デルは身軽に窓から入ってきた。男物のシャツを着て、左手に泥だらけの革袋《かわぶくろ》を提《さ》げている。何かのおみやげだろうか、とフレイヤは訝《いぶか》ったものの、あまり気にはしなかった。 「あのドワーフの人が亡《な》くなったんですってね? サーラはどうしてる? やっぱり沈んでるのかしら?」  だが、デルはうなだれて立ちつくしたまま、答えない。 「デル?」  フレイヤはデルが泣きそうな顔をしているのに気がついた。だが、仲間が死んだ悲しみに暮《く》れているからだろうと思った。 「私……」デルはおずおずと言った。「昨日……あんなに親切にしてもらって……」 「ああ、服のこと? あんなのいいわよ。またいつでも貸《か》したげるから」 「あなたっていい人ね……」 「え?」 「私、あなたが好き」  フレイヤは一瞬《いっしゅん》、とまどったものの、すぐに微笑みを浮かべた。 「ええ。私もあなたが好きよ」 「……ごめんなさい」 「え?」  デルは背中《せなか》に回した右手で、ダガーの柄《つか》を固く握《にぎ》り締《し》め、静かにすすり泣いた。 「本当にごめんなさい……」  サーラは闇《やみ》の中で目を覚ました。のろのろと顔を上げ、ぼんやりとした頭で周囲を見回す。自分がなぜか小川のそばに横たわっているのに気づいた。衣服が毛布《もうふ》のように体にかけられている。精神《せいしん》も肉体も疲《つか》れ果てていて、すぐには起き上がれなかった。しばらく横になったまま、何が起きたのかを思い出そうとする。 (そうだ! デル!?)  恐《おそ》ろしい記憶《きおく》が鮮烈《せんれつ》によみがえった。あれほど荒《あ》れ狂《くる》っていた衝動《しょうどう》は嘘《うそ》のように去っている。悪夢《あくむ》の中の出来事だったと思いたいところだ。だが、愛する少女の首を絞《し》めようとした手の感触《かんしょく》も、ダガーが大腿部《だいたいぶ》に突《つ》き刺《さ》さった時の衝撃《しょうげき》も、はっきりと覚えている。これほど心と体が疲れているのも、あれが現実《げんじつ》に起きたことである証拠《しょうこ》だ。  サーラは恐怖《きょうふ》に襲《おそ》われた。最後に何が起きたのか思い出せない。衝動が去ったということは呪《のろ》いが完遂《かんすい》したということではないのか? この手でデルを殺してしまったのではないのか? 「デル……!」  全身を蝕《むしば》む疲労《ひろう》感と戦いながら、サーラはどうにか上半身を起こした。少女の姿を探《さが》す。しかし、月が傾《かたむ》いて山に隠《かく》れたため、谷は深い闇に沈んでいた。近くの岩の上に置かれたランタンの周囲が、わずかに照らされているだけだ。いったい自分はどれぐらい気を失っていたのだろうか? 「サーラ……」  闇の奥《おく》から聞こえる少女の声に、サーラははっとなった。 「デル? どこにいるんだ? 無事なのか、デル?」 「良かった。呪いは解《と》けたのね……」  サーラは胸《むね》に手を当てた。確《たし》かに、もうデルを殺したいとは思わない。 「ああ、デル。解けたよ。もう君を傷《きず》つけない。だから出てきてよ、デル」  しかし、デルは姿《すがた》を現わさない。サーラは必死に少女の姿を探し求めるが、見えるのは黒い森ばかり。闇の中から悲しげな声だけが聞こえる。 「愛してるわ、サーラ……」 「僕《ぼく》もだよ。僕も愛してる!」  少女はすすり泣き、声を詰《つ》まらせた。 「さようなら……!」  その言葉とともに、サーラは翼《つばさ》の音を耳にした。鳥ではない。もっと何か大きなものがはばたき、飛び去る音……。  谷に静寂《せいじゃく》が戻《もど》ってきた。聞こえるのは小川のせせらぎと虫の声だけ。 「デル?」サーラは呼びかけた。「デル?」  だが、もう返事はなかった。  それから何時間も、サーラは疲れた体に鞭打《むちう》ち、ランタンを片手《かたて》に森の中をさまよった。デルの名を呼び、探し回った。だが、彼女は見つからない。そのうち空が白々と明けはじめたので、やむなく村に戻った。  村は騒然《そうぜん》となっていた。  もともと村では朝が早い。夜明け前から農作業や家畜《かちく》の世話をする人が多いからだ。だが、今朝は雰囲気《ふんいき》が違《ちが》った。みんながライン氏の家にぞろぞろと集まってゆくのだ。家を取り囲み、騒いでいる。その向こうから、女性《じょせい》が狂乱《きょうらん》して泣き叫《さけ》ぶ声が聞こえた。 「どうしたの?」  サーラは人の輪の中にデインの姿を見つけ、袖《そで》を引いた。デインはびっくりして振《ふ》り返る。 「サーラ! お前、どこにいたんだ!?」  その声を聞きつけて、フェニックスとミスリルも駆《か》けつけてきた。ミスリルは例によってフードで顔を隠している。三人は少年を近くの木の蔭《かげ》にひきずっていった。村人たちは彼らに|訝《いぶか》しげな視線《しせん》を向けている。 「今まで何やってたんだ?」 「心配してたのよ」 「デルはどうした?」  三人に口々に問い詰められたものの、サーラは説明に窮《きゅう》した。口にできないことや、自分でもよく分からないことが多すぎる。 「いや、その……ずっと山の中で……その……ねえ、何があったの?」  フェニックスが顔を曇《くも》らせた。「殺人よ」 「殺人?」 「あの家の娘《むすめ》さんが殺されたんですって。フレイヤっていう……」 「フレイヤ!?」 「ええ、心臓《しんぞう》を刺《さ》されて——夜中に変な物音を聞いて、見に行ったお母さんが発見したんですって」 「さっきちらっと覗《のぞ》いたが、部屋の中は血まみれだ」デインは顔をしかめた。「まったく、ひどいことをする……」 「おかげで俺《おれ》たちが疑《うたが》われてるんだ」ミスリルは不快《ふかい》そうにうなった。「まあ、よそ者だから当然だがな」 「気になるのが、心臓を刺されてたってことだ」とデイン。「どうしてもメイガスの件《けん》を連想させる——なあ、サーラ。例のオーブはちゃんと隠したんだろうな? まさか誰かに盗られたりしてないな?」 「それと、デルはどうしたの?」とフェニックス。  フレイヤの死。オーブ。デル——その瞬間《しゅんかん》、サーラの中で、すべてが組み合わさった。 「デルだ……」 「え?」 「デルだ、デルだ、デルだ……」  サーラは放心した表情《ひょうじょう》で、憑《つ》かれたように繰《く》り返しつぶやいた。足の力が抜《ぬ》け、へなへなと尻餅《しりもち》をつく。その衝撃《しょうげき》はあまりにも大きかった。なぜ呪《のろ》いが解《と》けたのか、なぜデルが闇《やみ》の中に隠れ、姿を見せなかったのか、ようやく埋解《りかい》したのだ。  あのはばたきの音が何だったかも、理解できた。  キマイラの呪いを解くには、それを上回《うわまわ》る魔力《まりょく》が必要だ。暗黒魔法は基本《きほん》的に神聖《しんせい》魔法と同じものだから、他の者がかけた呪いを解くことも可能《かのう》だ——キマイラ以上の魔獣《まじゅう》で、なおかつ暗黒魔法の使い手であれば。  呪いをかける場合と同様、解く場合にも、大きな代償《だいしょう》を払《はら》うことによって、より強い力が発揮《はっき》されるだろう。大きな罪《つみ》を犯《おか》し、人であることを捨《す》て、愛する者と永遠《えいえん》に別れる覚悟《かくご》があれば、それは代償として充分すぎるはずだ。  デルはその可能性《かのうせい》に賭《か》け、勝ったのだ。 「おい、どうした? デルがどうした?」  デインたちの声も耳に入らない。彼らは想像《そうぞう》もできないだろう。サーラの呪いが発動したことも、デルが暗黒司祭だったことも知らないのだから。  最初の衝撃が薄《うす》れるにつれ、サーラは少しずつ虚脱状態《きょだつじょうたい》から回復《かいふく》していった。同時に、熱い感情が湧《わ》き上がってくる——これまでの人生で一度も感じたことのない、深い悲しみと怒《いか》りが。 「これで……僕を救ったつもりなのか……!」  サーラは声を震《ふる》わせた。熱い涙《なみだ》がとめどなくあふれ出し、地面にしたたる。 「こんな……こんなことをしたって……僕は嬉《うれ》しくないぞ……!」  昨日、デルが死にかけた時、サーラは世界が終わる感覚を味わった。今、味わっているのは、世界が傾《かたむ》く感覚——人生のすべての意味が変化する感覚だった。昨日までの希望にあふれていた未来は、もう存在《そんざい》しない。屈託《くったく》なく笑うことも、もうできない。  今この瞬間から、彼にとっての世界は一変したのだ。 「デルーっ!」  サーラは夜明けの空に向かって絶叫《ぜっきょう》した。 [#改ページ]    あとがき  四|巻《かん》『愛を信じたい!』以来一〇年ぶりにお届けする『サーラの冒険《ぼうけん》』の新作です。  三巻を書いた頃に結婚《けっこん》し、生まれた娘《むすめ》が今年で九歳です。本当に時が経《た》つのは早いものだなあと実感します。  今回、初めてこのシリーズに接《せっ》する方もおられると思いますので、あらためてシリーズ誕生《たんじょう》の経緯《いきさつ》からご説明いたしましょう。  グループSNE制作のテーブルトークRPG『ソード・ワールドRPG』が富士見書房《ふじみしょぼう》より初めて発売されたのは、一九八九年のこと。当時は僕《ぼく》もグループSNEの一員で、『ソード・ワールド』の開発には最初から関《かか》わっていました。モンスターや魔法などのデータの一部を作成し、テストプレイにも参加。また雑誌《ざっし》『ドラゴンマガジン』にリプレイを連載《れんさい》していました。  同時に『ソード・ワールド」はシェアード・ワールド小説(共通の世界を舞台《ぶたい》に複数の作家が書く小説)としても展開していました。僕も短篇《たんぺん》を何本か書いていましたが、やはり短篇だけでなく、柱となる長編シリーズも必要だということになり、僕にその任《にん》が回ってきたというわけです。  その際《さい》に僕が考えたのは、「ゲームで省略されている部分を小説の形で補完《ほかん》する」ということでした。  たとえば『ソード・ワールドRPG』では、キャラクターが「冒険者の店」にたむろして仕事を探したり、森の中で野営《やえい》したりする場面がよくあります。実際のプレイでは、ゲームマスターはいちいちそんな部分を詳《くわ》しく説明したりはせず、さらっと流してしまいます。でも小説として描《えが》く場合には、様々《さまざま》な肉づけをしなくてはなりません。「冒険者の店」というのはどんな場所なのか。冒険に出ていない間、冒険者は何をやっているのか。夜の森というのはどんな雰囲気《ふんいき》なのか。見張《みは》りはどんな会話をしているのか……。  僕の念頭《ねんとう》にあったのは、何かの本で読んだリーバイスのジーンズのエピソードでした。  一九世紀後半に発売され、西部のカウボーイなどに愛用されたリーバイスのジーンズ。当初は股下《またした》にクロッチ・リベットというリベットが打たれていましたが、第二次世界大戦の頃に廃止《はいし》されました。というのも、ジーンズを履いて焚《た》き火に当たっていると、リベットが熱くなり、股間《こかん》を火傷《やけど》する人が続出したからだそうです。  僕はその話を読んで感心しました。西部|劇《げき》でカウボーイが焚き火に当たっている場面はよく見ますが、「ジーンズのリベットが熱くなる」なんてのは、実際に体験しないと気づかないことです。  そうした事例をファンタジー世界に応用してみたらどうか。平凡《へいぼん》な冒険者たちの日常のちょっとした苦労話や失敗談、スケールの大きな英雄物語では無視《むし》されるような些細《ささい》な部分にスポットを当ててみれば、『ソード・ワールド』の世界に人間味が生まれ、リアルになるのではないか。そしてプレイヤーが小説で得た雰囲気をプレイにフィードバックしてくれれば、場面がリアルに想像できて、ゲームがより身近に楽しめるのではないか……とまあ、そんなことを考えたわけです。  ですから、主人公は王族でもヒーローでもなく、何の特殊《とくしゅ》能力も持たない平凡な少年でなくてはなりませんでした。冒険者に憧《あこが》れる少年が、大魔王と戦うわけでもなく、世界の危機を救うわけでもなく、先輩《せんぱい》たちと旅をしながらちょっとした冒険を積み重ね、いろんなことを教わって人間的に成長してゆく——開始当初の『サーラの冒険』は、そういうコンセプトでした。  あと、(これを言うとみんな笑うんですが)「女の子の裸《はだか》は出さない」というのも、シリーズ開始当初に自分に課した制約でした。僕の小説というのはヒロインが裸になるシーンが必ずあるというのがお約束だったもんで、このシリーズではそれをやめよう、健全《けんぜん》なジュヴナイル路線《ろせん》で行こうと考えたわけです。  第一巻『ヒーローになりたい!』の発売は一九九一年です。  ところが、二巻目まで書いて、これが失敗だったことに気がつきました。平凡な話ほど書いていて苦しいものはない(笑)。派手《はで》な事件を起こしたり、すごい怪物を出したり、びっくり仰天《ぎょうてん》の展開にした方が、作者も燃えるんです。そんな当たり前のことに気がついていなかった。  そのまま当初の路線で続けるのはきびしいので、三巻目で思いきって路線|変更《へんこう》を試みました。デルという少女を登場させたのをきっかけに、サーラとデルの関係を中心に、構想を練《ね》り直したのです。同時に「女の子の裸は出さない」という制約もなしにしました。やっぱり裸はあった方がいいよね、ということで(笑)。  一巻とこの五巻を読み比べてみると、こんなに違う話になっちゃったんだなあと、感慨《かんがい》深いものがあります。実時間では一四年経ってるんですが、物語の中ではたった一年。それなのにサーラの内面はずいぶん変わりました。やはりデルとの出会いが大きなウェイトを占めていますね。  ちなみに、なんでデルを出したかというと、当時は無口で無表情なヒロインというのが珍《めずら》しかったんですね。その後、某《ぼう》大ヒットアニメの影響で、ちっとも珍しくなくなっちゃいましたが(苦笑)。僕自身、きゃぴきゃぴしたタイプの女の子に飽《あ》きていたので、これまで書いたことのないタイプの女の子、あらゆる点でサーラと正反対の女の子として設定したわけです。  彼女を登場させてから、ゲームの方でも「善良《ぜんりょう》なファラリス信者」を出すゲーマーが増えたと聞いています。僕も『ソード・ワールド』のデザイナーの清松《きよまつ》みゆきも、「デルは特殊な例であって、大多数のファラリス信者は邪悪《じゃあく》なんだ」と言い続けてたんですが……今回の話をお読みになれば、「善良なファラリス信者」という概念《がいねん》が、ものすごく危ういバランスの上に成り立っていることがお分《わ》かりになると思います。  この一〇年、よくファンの方から「『サーラ』の新作はまだですか」と訊《たず》ねられ、そのたびに「すみません、必ず書きます」と謝《あやま》ってきました。それなのになかなか書けず、ずるずると今まで延《の》ばしてきました。話が思い浮かばなかったわけではありません。三巻のラストを書いた時点で、五巻をどんな話にするかという構想はできていました。こういう展開に持っていくために、何年も前から伏線《ふくせん》も張っていました。短篇「時《とき》の果《は》てまでこの歌を」(『熱血《ねっけつ》爆風《ばくふう》! プリンセス』収録)や「奪《うば》うことあたわぬ宝」(『へっぽこ冒険者とイオドの宝』収録)を読まれた方なら、今回の話を読まれて「あのシーンにはこういう意味があったのか」と気づかれたはずです。  いつでも書こうと思えば書けたのです。それなのになぜ書かなかったかというと——  書くのが辛《つら》かったから。  僕はアンハッピーエンドが嫌《きら》いな人間です。だからサーラにも幸《しあわ》せになって欲しかった。いつまでもデルとラブラブで、未来に希望があふれていれば、どんなに良かったか。だから今回の展開は自分でも苦しくて苦しくて……最初の方を少し書いただけで何年もストップしていました。「なんでこんな話を考えちゃったかなあ」と頭を抱《かか》えたもんです。  でも、伏線を張ったまま、いつまでも放り出しておくわけにいかない。『へっぽこ冒険者とイオドの宝』が発売されるのを機会《きかい》に、「よっしゃ、こうなったらきちんと決着をつけてやろう!」と思い立ったわけです。  ところが、やっぱりこれが辛かった。サーラが村に帰りたがらないのにも手を焼きましたが(キャラクターが思うように動いてくれないのは、とても困ります)、結末《けつまつ》に何が待ってるか作者には分かってるだけに、話を進めるのがやたら苦しい。何か月も七転八倒《しちてんばっとう》しました。読み直してみても、前半の文章のノリが良くないのがはっきり分かります。  もっとも、ラスト三章はそれまでのスランプが嘘《うそ》のように、一〇日ほどで一気に書き上がりました。ここまで苦労してお膳立《ぜんだ》てしたからには、もうやるしかないという感じです。じわじわと上がっていったジェットコースターが落下に転じるように、結末に向かってまっしぐらに突き進みました。特に最終章は、一〇年前から温《あたた》め続けていた場面だけに、ノリにノリまくって書きました。自分で読み返してみても鳥肌《とりはだ》が立ちます。いや、ほんと。結末を知らずに読まれたみなさんは、呆然《ぼうぜん》とされたんじゃないでしょうか。  やっぱり書いて良かったんだと思います。  いちおう次の六巻で完結予定です。さすがに次は一〇年お待たせしません(笑)。一年以内に再会《さいかい》できることをお約束します。サーラは最大の試練《しれん》を乗り越えて、真《しん》のヒーローへと目覚めますし、これまで張っていた他の伏線にも決着をつけるつもりです。  最後になりますが、素晴《すば》らしいイラストを描いてくださった幻《まぼろし》超二《ちょうじ》さん、富士見書房編集部の工藤《くどう》大丈《だいじょう》さんと長谷川《はせがわ》高史《たかし》さん、そして辛抱《しんぼう》強く待っていただいたファンのみなさん、どうもありがとうございます。 [#改ページ]    キャラクター・データ サーラ・パル(人間、男、12歳《さい》) 器用度《きようど》14(+2) 敏捷度《びんしょうど》13(+2) 知力《ちりょく》12(+1) 筋《きん》力9(+1) 生命《せいめい》力12(+1) 精神《せいしん》力11(+1) 冒険者《ぼうけんしゃ》技能 シーフ3 冒険者レベル 3 生命力抵抗力5 精神力抵抗力4  武器:ダガー(必要筋力4)  攻撃力5 打撃力4 追加ダメージ4   盾《たて》:なし          回避《かいひ》力5   鎧《よろい》:ハード・レザー(必要筋力5)   防御《ぼうぎょ》力5 ダメージ減少3  言語:(会話)共通語《きょうつうご》、西方《せいほう》語     (読解)共通語 デル・シータ(人間、女、13歳) 器用度15(+2) 敏捷度15(+2) 知力13(+2) 筋力8(+1) 生命力12(+2) 精神力13(+2) 冒険者技能 シーフ3 ダークプリースト(ファラリス)2 冒険者レベル 3 生命力抵抗力5 精神力抵抗力5  武器:ダガー(必要筋力4)     攻撃力5 打撃力4 追加ダメージ4   盾:なし             回避力5   鎧:ソフト・レザー(必要筋力3)      防御力3 ダメージ減少3  魔法:暗黒魔法(ファラリス)2レベル 魔力4  言語:(会話)共通語、西方語     (読解)共通語、西方語 デイン・ザニミチュア(人間、男、27歳) 器用度15(+2) 敏捷度17(+2) 知力17(+2) 筋力12(+2) 生命力13(+2) 精神力19(+3) 冒険者技能 ファイター4、プリースト4(チャ=ザ)、セージ4 冒険者レベル 4 生命力抵抗力6 精神力抵抗力7  武器:レイピア(必要筋力12)   攻撃力6 打撃力12 追加ダメージ6   盾:バックラー(必要筋力1)  回避力7   鎧:ハード・レザー(必要筋力12)     防御力12 ダメージ減少4  魔法《まほう》:神聖《しんせい》魔法(チャ=ザ)4レベル 魔力6  言語:(会話)共通語、西方語、下位《かい》古代《こだい》語、エルフ語、ゴブリン語     (読解)共通語、西方語、下位古代語 フェニックス(ハーフエルフ、女、?歳) 器用度18(+3) 敏捷度20(+3) 知力20(+3) 筋力12(+2) 生命力13(+2) 精神力15(+2) 冒険者技能 ソーサラー5、バード1、セージ2 冒険者レベル 5 生命力抵抗力7 精神力抵抗力7  武器:メイジ・スタッフ(必要筋力10)攻撃力1 打撃力15 追加ダメージ0   盾:なし             回避力0   鎧:ソフト・レザー(必要筋力7)      防御力7 ダメージ減少5  魔法:古代語魔法5レベル       魔力8  言語:(会話)共通語、西方語、下位古代語、上位古代語、エルフ語     (読解)共通語、西方語、下位古代語、上位古代語 ミスリル(エルフ、男、35歳) 器用度19(+3) 敏捷度21(+3) 知力18(+3) 筋力8(+1) 生命力9(+1) 精神力16(+2) 冒険者技能 シャーマン4 シーフ5 冒険者レベル 5 生命力抵抗力6 精神力抵抗力7  武器:ダガー(必要筋力4)    攻撃力8 打撃力4 追加ダメージ6   盾:なし            回避力8   鎧:ソフト・レザー(必要筋力4)     防御力4 ダメージ減少5  魔法:精霊魔法4レベル       魔力7  言語:(会話)共通語、西方語、エルフ語、精霊語     (読解)共通語、西方語、エルフ語 レグディアナ(人間、女、20歳) 器用度19(+3) 敏捷度13(+2) 知力12(+2) 筋力21(+3) 生命力19(+3) 精神力14(+2) 冒険者技能 ファイター5 レンジャー4 冒険者レベル 5 生命力抵抗力8 精神力抵抗力7  武器:ヘビー・フレイル(必要筋力21)攻撃力7 打撃力31 追加ダメージ8   盾:なし             回避力7   鎧:プレート・メイル(必要筋力21)     防御力26 ダメージ減少5  言語:(会話)共通語、西方語     (読解)共通語、西方語 メイガス(ドワーフ、男、?歳) 器用度18(+3) 敏捷度11(+1) 知力12(+2) 筋力17(+2) 生命力21(+3) 精神力23(+3) 冒険者技能 ファイター5 レンジャー1 セージ5 一般技能 クラフトマン5 冒険者レベル 5 生命力抵抗力8 精神力抵抗力8  武器:ハルバード(必要筋力17)突《つ》き 攻撃力8 打撃力22 追加ダメージ7                 切り 攻撃力8 打撃力27 追加ダメージ7                 刺《さ》し 攻撃力6 打撃力32 追加ダメージ7                 払《はら》い 攻撃力8 打撃力0 追加ダメージ7   盾:なし             回避力6   鎧:プレート・メイル(必要筋力17)     防御力22 ダメージ減少5  言語:(会話)共通語、ドワーフ語、東方《とうほう》語、西方語     (読解)共通語、ドワーフ語、下位古代語、東方語、西方語 ワームボーン・サーバント  モンスター・レベル=7  知名度=18  敏捷度=12  移動速度=12  出現数=単独《たんどく》 出現|頻度《ひんど》=ごくまれ 知能=命令を聞く 反応=命令による  攻撃点=牙《きば》:14(7)/尻尾《しっぽ》:14(7)/翼《つばさ》:12(5)/翼:12(5)  打撃点=17/16/14/14  回避点=13(6)  防御点=10  生命点/抵抗|値《ち》=25/17(10)  精神点/抵抗値=一/16(9)  特殊能力=刃のついた武器はクリティカルしない       精神的な攻撃は無効《むこう》       毒《どく》、病気に冒《おか》されない  棲息地《せいそくち》=遺跡《いせき》 言語=なし 知覚=擬似《ぎじ》  その名の通り、ワームの骨《ほね》から作られたボーン・サーバントです。生前のワームよりも攻撃力や防御力はやや劣《おと》っていますが、前面の敵は頭部の牙で、後方の敵は尻尾で、側面の敵は翼を振り下ろして攻撃するので、死角《しかく》がありません。翼には皮膜《ひまく》がないので、空を飛ぶことはできません。 マジックアイテム 悪魔のエッセンス  知名度=20  魔力|付与者《ふよしゃ》=ギャラントゥス  形状=直径20センチほどの黒い球体  基本|取引価格《とりひきかかく》=不明  魔力=人間を魔獣《まじゅう》に変える  説明=魔界から召喚《しょうかん》されたグレーター・デーモンから抽出《ちゅうしゅつ》されたエッセンスが封《ふう》じこめられています。使用者は処女《しょじょ》の生き血を球体と自分自身に大量に振りかけねばなりません。魔力が発動すると、封じられていたデーモンのエッセンスが使用者と融合《ゆうごう》し、悪魔の能力を持つ魔獣に変身させます。このアイテムは一度しか使用できません。 [#改ページ] 底本 富士見ファンタジア文庫  ソードワールドノベル 幸《しあわ》せをつかみたい! サーラの冒険㈭  平成17年7月25日 初版発行  著者——山本《やまもと》 弘《ひろし》